第53話 死霊術師は問答する

文字数 4,500文字

 レリオットは固まり、転がった片腕を凝視する。
 落ちた片腕は、断面に魔法陣が刻まれていた。
 魔力の光が明滅している。
 様々な細工が施されており、生身と金属が混ざり合っていた。

「ぐっ、この……!」

 レリオットは落ちた腕を掴み、断面同士を押し付ける。
 強引に繋げようとしているらしい。
 しかし、腕は光を明滅させるばかりで治らない。

「義手のようだね。いや、四肢すべてが義体なのか。大したものだ」

 私が指摘すると、レリオットはとびきりの嫌悪感を表情に出す。
 触れられたくない話題だったようだ。
 接合を諦めた彼は片腕を捨て、残る一方の手で聖剣を拾う。

 レリオットの手足は、妙な魔力反応を発していた。
 そこだけが生身ではないのである。

 もっとも、義手や義足自体は珍しくない。
 稀少な魔道具として普及している。
 専用の術で感覚を繋げることで、自由に動かせる代物だ。
 生身より強靭なものも多く、愛用する者もいるほどであった。
 レリオットのような英雄ともなれば、容易に発注可能だろう。

 しかし、彼の義体は一般的なそれとは仕組みが異なる。
 私にとっては慣れ親しんだ体系――つまりは死霊魔術だ。
 剣聖レリオットは、死霊魔術によって手足の義体を操っている。
 片腕が外れてしまったのは、霊毒の作用でコントロールが弱まったせいだろう。

 開拓村の診療所で対面した時から、その仕組みには気付いていた。
 上手く隠蔽しているようだが、私の目は誤魔化せない。
 彼に関する噂で義体の話はなかったので、秘密にしているのかもしれない。

 まさか今代の剣聖が死霊術師の力を有しているとは思わなかった。
 アンデッドを憎悪するクロムハート一族が、死霊魔術を使っているなど皮肉な話である。
 そこには並々ならぬ葛藤と努力があったのだろう。

 如何なる事情かは知らないが、レリオットは四肢を持たない人間らしい。
 そこから大陸最強の剣士とまで呼ばれるまでに、一体どれほどの研鑽を積んだのか。
 ましてや彼自身が忌避する死霊魔術を手段として用いている。
 様々な想いを抜きにして、強さを探求した結果に違いない。

 私はレリオットの義体に死霊魔術の干渉を試みるも、かなりの抵抗感を以て弾かれた。
 僅かに動きを阻害するだけに終わる。
 完全な支配には至らない。

 これにはさすがに驚く。
 術を弾いたのはレリオットの技量ではない。
 義体に使われた素材が原因だろう。
 おそらく神代の金属である。
 強力な呪いがかかっているようだった。

 そこに何重もの支配対策の術式が施されている。
 これほどまでに入念で厳重なものは滅多に見ない。
 他者の死霊魔術による支配を警戒しているのだ。

 もう少し出力を上げれば支配できそうだが、そこまで執着することもあるまい。
 今は死霊結界の維持に意識を割いている状態だ。
 レリオットの死亡が確定している以上、義足の支配にこだわる必要はなかった。

「――――っ」

 聖剣を構えようとしたレリオットが、咳き込んで吐血した。
 大きくふらついて転びかける。
 霊毒が全身に回ってきている証拠だ。
 魂が肉体から剥がれそうになっている。

 緩やかに死へと近付く感覚が、彼を襲い続けていた。
 常人なら恐ろしさに気が狂いかねない。
 それらを押し殺したレリオットは、堂々とした態度で私と対峙する。

「まだ、だ……まだ負けていない……ッ!」

 レリオットは口から血を飛ばしながら叫ぶ。
 それはひとえに精神の強さからなるものであった。
 彼は光を失った聖剣を振るい、無限に現れる私の肉体を切り裂いていく。

 もっとも、死霊結界は気合いだけで打破できるものではない。
 次第にレリオットの体調に異変が生じつつあった。
 こちらを睨む目は朦朧とし始めて、足取りも先ほどから不安定だった。
 まだ健在な片腕と両脚の挙動も怪しい。

 既に限界を超えているはずだ。
 いつ死んでもおかしくない状態である。
 それを精神力だけで無理やり繋ぎ止めているのだった。

「あ、ぐっ……」

 ついにレリオットが膝を突く。
 不規則な上に荒い呼吸。
 俯きがちの顔は青ざめている。

「これだけは、使いたくなかった、が……」

 苦しげに呟いたレリオットは、躊躇いながらも死霊魔術を行使する。
 彼の魔力が空間内に広がっていく。
 どうやら死霊結界に干渉するつもりらしい。

 私は肉体の供給を止めて感心する。

「ふむ。方法としては間違っていない」

 術者を凌駕する死霊魔術で支配権を奪い取ること。
 死霊結界を脱する唯一の手段である。
 単純ながらも抜群の効果を持っている。
 成功すれば形勢は一気に逆転するだろう。

 死霊結界は禁術指定されているが、門外不出というわけでもなかった。
 使えるか否かは別として、対策を知る人間がいてもおかしくない。
 アンデッド殲滅を至上目的とするクロムハート一族なら、まず把握しているとは思っていた。
 憎き死霊魔術に頼るのはレリオットの信条に反するのだろうが、やむを得ず実行したようだ。

 必死で術式を構築する剣聖を眺めつつ、私はそれを一気に弾き壊す。
 霧散した魔力が空間に吸収された。
 レリオットは血の涙を流しながら呆然とする。

「なっ、え……?」

「方法は間違っていなかったが、力が足りなかった。非常に残念だろうが」

 絶句するレリオットに、私は淡々と語る。

 あらゆる戦闘技術において剣聖は私を凌駕する。
 だがしかし、死霊魔術という一点に関しては私の領域だった。
 彼程度の技量では、私の術に干渉することは不可能である。

 無理な魔術行使が祟ったようで、レリオットの右脚が外れた。
 加えて体力と魔力を大きく消耗した反動によって、彼は地面に倒れる。
 半ば溺れるような形で霊毒塗れになった。
 片肘を立てて顔を反らして上げたレリオットは、壁に浮かんだアンデッドの目を睨む。

「……なぜ! なぜこんな場所に不死者の迷宮を作ったんだ! あの開拓村を――いや、この国全体を陥れるつもりかッ!」

「とんでもない。私は開拓村に貢献しているだけだ。世界で唯一、私が大切にしている場所だ。君が迷宮を破壊すると開拓村が衰退する。私はそれを阻止したいだけだ」

 大いに誤解されているので弁明する。
 これは正直な気持ちだった。
 私は開拓村のために活動している。
 レリオットさえ来なければ、このようなことにはならなかった。

「開拓村に、貢献……だと……?」

 私の答えを聞いたレリオットは、理解不能とでも言いたげな表情をする。
 彼は聖剣を地面に突き立ててなんとか身を起こす。

「どういうことだ。貴様は、尋常でない力を持った死霊術師だ……僕では足元にも、及ばないのだろう。こうして戦って、分かった。未だに、力の底が見えない。まるで、深淵のようだ……それだけ強大な死霊術師が、なぜあの村に固執する?」

 レリオットは疑問を口にする。
 時間稼ぎといった雰囲気ではない。
 純粋に理由を知りたいらしい。

 壁と同化した私は少し思案する。
 どうせ彼は死ぬ。
 最期に答えを渡すのも悪くない。

 別に私は彼のことを嫌っていないのだ。
 開拓村の障害だから排除しようとしていただけである。
 こうして脅威ではなくなった以上、知人のように接することも厭わなかった。

 言葉を選びながら、私は自らの考えを吐露する。

「――開拓村は、私に無償の善意を教えてくれた。それなりに長い人生の中で、私は幾多もの絶望と悪意に晒されてきた。辟易してしまってね。当時は目的や存在意義を見失い、死体のように無気力だった。そんな折、ほんの気まぐれで訪れたのが開拓村なんだ」

 開拓村の人々は、苦境の中でもその日を懸命に生きていた。
 それも人間性を失わず、互いに支え合って生きていた。

 彼らは私にも良くしてくれた。
 決して裕福な生活ではなく、自らが困窮しているのも構わず、善意を以て私に接してくれたのだ。

「私は人間の本当の強さを知った。もはや人間を自称できる身ではないが、彼らに憧れと感謝の念を抱いた。それをきっかけに、既に枯れ果てたと思っていた人間性が蘇った。私は受けた恩を開拓村に返したいと考えた。そのために持てる能力を最大限に活かそうと考えた」

 幸か不幸か、私は死霊術師だ。
 常人では不可能なことができる。
 そうして私は、汚名を被ってでも開拓村に貢献すると決心した。
 その一環で築き上げたのがこの迷宮だった。

「親切にしてもらった、恩返し……? たった、そんな理由だけで、こんなことを……」

「私にとっては大きな出来事だ。君は壮大な動機を期待していたようだが。所詮、世界とはそういうものだ。開拓村は私を救ってくれた。だから私は開拓村に報いる。単純な構図だろう。助けられたら恩返しするのは、当然のことだと思うが」

 私がそう言うと、レリオットは地面を叩いて激昂した。

「狂った偽善だッ! ただの自己満足に過ぎない! 何をしようと貴様が! 人間になれるわけではないんだッ!」

「ああ、知っているとも。当然だ。世界は不可逆なのだから。私は怪物。これは揺るぎようのない事実だろう。ただし何度でも言うが、私は開拓村に貢献できればそれでいい。手段は問わない。自分が何者だろうと構わない」

 たとえ剣聖に糾弾されようが、考えを変えるつもりはなかった。
 周囲に流されて自らを歪めるのには、もう飽きた。

「……貴様の、やり方は、間違って、いる」

「私の間違いで村をより良くできるのなら本望だ。私は正しいことをしたいわけではない」

「そ、んな……馬鹿、なこと、が……」

 レリオットが聖剣を掲げる。
 投擲の構えを取ろうとして、その腕が外れて落ちた。
 残る片脚も根本から外れて分離する。
 魔力が底を尽きたようだ。
 術式も霊毒に蝕まれて破壊されている。

 四肢を失ったレリオットは、虚空を見つめながら呻く。

「ぼ、僕は…………もう、分から、ない……どうして、不死、者が……誰、が……間違……」

 嘆きの途中で力尽きたレリオットは、霊毒に顔を沈めた。
 そのまま動かなくなる。
 肉体から剥がれ落ちた魂が空間に溶け込み、死霊結界の一部へと変質していった。

 彼の執念は稀少だ。
 あとで抽出して有効活用しよう。
 死体と義体、それに聖剣も再利用の余地がある。

 私は死霊結界を解除した。
 死体で構成された空間が徐々に形を失って綻んでいく。
 放っておけば最下層の居住区へ戻れるだろう。
 周辺一帯の瘴気が消費されたので、しばらくは体調不良を我慢しなければならない。
 私は意識の維持に集中しながら、術の終了を待つ。

 ――こうして剣聖レリオット・クロムハートは死んだ。
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