第8話 死霊術師は魔物を蹂躙する

文字数 2,101文字

 その日の夜、私は死体の身体で森の中にいた。
 村からは離れた地点で、自警団や狩人でもまずここまでは来ない。

 前方では、地面が人の背丈ほどの高さまで隆起していた。
 その頂点に穴があり、巨大な蟻が顔を覗かせている。
 カチカチと鳴らされる顎。
 私の存在にも気付いているようだが、攻撃を仕掛けるつもりはないようだ。

 ここは朱殻蟻の巣。
 その名の通り、朱色の甲殻を持った蟻の魔物の住処である。

 朱殻蟻は基本的に穏やかな性格で、攻撃されない限りは人間を捕食しない。
 人間の味を好まないという話を聞いた覚えがある。
 嘘か本当かは定かではない。
 今はどうでもいいか。

 私がなぜここへ来たのかと言えば、昼間に閃いた案の前準備のためである。
 それに必要な要素が、この巣と朱殻蟻なのだ。

 私は軽く手を振る。
 背後からアンデッドの集団が現れた。
 これまで"処理"した村人に加えて、冒険者や土狼の群れもいる。
 前準備に際して集めたのだ。

 しかも、今回はただのアンデッドではない。
 強化術式を加えて、戦闘能力を底上げしている。
 通常時の三倍は手強くなっただろう。
 総数は二十と少し。
 朱殻蟻が束になろうとも何ら障害にはなり得ない。

 私は片手を掲げて下ろす。
 アンデッド達は動き出し、朱殻蟻へと雪崩のように襲いかかっていった。

 敵意を察知したのか、巣から続々と朱殻蟻が現れる。
 ざっと見積もっても五十は下らない。
 巣の中に潜む分を含めると、百を突破するのではないだろうか。
 なかなかの規模である。

 間もなくアンデッドと朱殻蟻達が衝突した。
 村人の死体が拳を振り下ろす。
 朱殻蟻の強固な甲殻を突き破った。
 代償として死体の拳も潰れるが、何ら問題ない。
 アンデッドは壊れゆく肉体も厭わず、ただひたすらに私の命令を実行する。

 朱殻蟻の大きな顎が、アンデッドを噛み千切った。
 血飛沫を伴って臓腑が撒き散らされる。
 上下に分断されたアンデッドが地面を転がり、無意味に手足を掻く。

 土狼のアンデッドが朱殻蟻に食らい付いた。
 鋭利な牙が甲殻を貫いて内部を啜る。
 朱殻蟻の反撃で胴体を抉られるも、土狼は気にせず噛み続けていた。

 両者の戦闘能力は拮抗しているようだ。
 こちらのアンデッドは、素体がそれほど強くないので仕方ないか。
 もう少し高位の魔物の死体があれば、戦況は一方的なものになったのだろうが。

 私はその場から動かず、傍観に徹する。
 アンデッドは徐々に無力化されているが、慌てることはない。
 既に罠は仕掛けてあった。
 それは、ほどなくして発動する。

 ギチギチと奇妙な鳴き声を発する一匹の朱殻蟻が、突然痙攣して絶命した。
 同様に他の朱殻蟻も次々と死んでいく。
 そしてアンデッドとして起き上がり始めた。
 アンデッドとなった朱殻蟻は、今度はかつての仲間を襲う。

 用意した死体には、感染型の死霊魔術を仕込んであった。
 その血肉を摂取すると、猛毒で息絶えてアンデッドに変異するのだ。
 朱殻蟻は、得意な攻撃を行うことが自滅に繋がる。
 そして、死んだ個体から順に私の手駒となる。

 元より正々堂々と朱殻蟻を倒すつもりはなかった。
 少数の勢力で最も確実な解決手段を選ぶまでだ。

 朱殻蟻の服毒死とアンデッド化によって、形勢は加速度的に私が有利なものへと傾いていく。
 これこそが死霊術師の本領。
 戦場において忌避される要因であった。

 そうして地上に出ていた分の朱殻蟻は殲滅される。
 アンデッド達はさらなる獲物を求めて、巣の中へと入り込んでいった。

 私はその場で待機し、死霊術の調整に思考を割く。
 巣の中のアンデッドを誘導して、残らず手中に治めていった。
 ここまで来ると戦力の格差は覆せるものではなくなり、生存する朱殻蟻達は欠片の反撃もできずに蹂躙される。

 さらに待つこと暫し。
 結局、その場から一歩も動くことなく戦闘は終了した。
 巣の中には無数のアンデッドが跋扈し、その隅々まで私のものとなる。

 私はすべてのアンデッドを地上に引き上げる。
 ぞろぞろと這い出てきては整列するその光景は壮観だった。
 大多数が朱殻蟻で、あちこちと損傷している。
 明らかに致命傷を負っている個体もいた。
 無論、アンデッド化した彼らには、そのような傷は些事に過ぎない。

 これだけの数と巣の規模ならば、いくらでも自由なことができる。
 前準備としては上出来だろう。
 森の生態系に影響が出る可能性があるので、その辺りには気を払わねばならない。

 百を超えるアンデッドを前に、私は今後の予定を思案する。
 思ったより早く済んだので、今から次の作業に移っていいかもしれない。
 この計画はなるべく早めに完遂しておきたかった。

 すべては開拓村のため。
 あの素晴らしき場所の安寧を確固たるものにしなければ。

 こうして私は、森の地下に広がる巣と、そこに生息する朱殻蟻を手に入れた。
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