第55話 死霊術師は悠久の日々を過ごす
文字数 3,071文字
「治療は終わりました。二日ほど安静にしていただければ体調も戻るかと思います」
かざしていた手を下ろして、私は患者の背中に告げる。
包帯を巻いた青年は、安堵の表情を見せた。
「助かります。やっぱり回復魔術はすごいなぁ。それで、代金のことなんですが……」
「ええ。次の給料日でしたよね。事情は私から所長に伝えますので。何かあればお気軽におっしゃってください」
「ありがとうございます。必ず持ってきます!」
丁寧な礼を繰り返しながら、患者の青年は退室した。
私は診療所内を移動し、休憩室へと赴く。
働きすぎると小言を言われるため、この時間帯はここで待機するようにしているのだ。
本当は疲労などしていないが、人間らしく振る舞わねばならない。
椅子に座って虚空を見つめていると、扉がノックされた。
入ってきたのは、数人の冒険者たちだった。
馴染みのある面々である。
この時間帯に治療の予約はなかったはずだが。
他の者も診察は入れていなかったはずだ。
怪我人でも出たのだろうか。
それにしては緊迫した雰囲気でもない。
私は立ち上がって彼らに挨拶する。
「こんにちは。何かご用でしょうか」
「先生、時間はあるかい? よかったら食事でも一緒にどうかと思ってね。先生の分も買ってあるぜ。今日も用意してないんだろう?」
冒険者はそれぞれ弁当を手に持っていた。
揃いの包みが特徴のそれは、近所の定食屋で販売されているものであった。
数えれば確かに私の分も含まれているようだ。
いつも私が食事を忘れるのを見越して用意したらしい。
「わざわざありがとうございます。後ほど代金をお支払いします」
「そんな遠慮すんなって。これくらいお安い御用さ。先生にはいつも世話になっているからな!」
冒険者たちは手慣れた様子で近くの椅子や机を使う。
彼らは何かと私のもとを訪ねてくる。
雑談相手がほしいのかもしれない。
冒険者の一人が、焼いた肉を頬張りながら息を吐く。
「それにしても、この街はすげぇよな。国内でも類を見ないほど治安が良い。夜でも女子供が出歩けるなんざ、他じゃ考えられねぇよ」
別の冒険者が深く頷きながら野菜を齧る。
「善人の報われる街、と呼ばれているんだとさ。普通なら笑っちまうところだが、これが冗談じゃないんだ」
「素敵な場所ですね」
私がそう言うと、冒険者は少し真面目な表情で語る。
「……先生はここへ来て日が浅いから知らないかもしれないが、この土地には奇妙な力があるみたいでね。何年か前、街が戦争に巻き込まれそうになった時も、両軍がアンデッドの大軍に襲われて甚大な被害を受けたんだ。戦いは中断して、おかげで街は無傷で済んだ。どうしてそんなことが起きたのか、分かるかい?」
冒険者の質問に、私は考えるそぶりを見せる。
即答しては不自然に思われるかもしれない。
十分に時間を取ってから、自信なさげに発言する。
「もしかして、近くの迷宮でしょうか」
「その通り! あの不死者の迷宮が暴走して、戦おうとした二つの軍を潰したんだ。以降は暴走もなく、迷宮は街の大きな資源の一つとして変わらず存在している」
「とんでもない奇跡だ。きっとこの街は祝福を受けている。実際、俺たちもちょっと立ち寄るつもりが、気付けば何年も居座っているくらいさ! 迷宮は儲かるし、楽しい毎日を送っているよ」
冒険者たちは愉快そうに笑った。
私もそれに合わせて微笑する。
なるべく自然な表情を意識した。
そんな中、冒険者の一人がふと思い出したように声を上げた。
彼は少し意地の悪い顔になった。
「……奇妙繋がりだと、ちょっとした伝承もある。この街に不要な人間は、何者かに消されちまうそうだ。実際、領主が行方不明になったこともあるらしい」
冒険者は声を落として語る。
恐怖心を煽るような口調だった。
一種の怪談なのだろうか。
さすがに私自身が怖がることはないが、少し興味を惹く内容だった。
なかなか真実味を帯びた伝承である。
「ただの噂話だろう? 何者かに消される、って誰なんだって話さ。それに不要な人間が消されるのなら、俺たちが真っ先にいなくなっているだろっ?」
「そりゃ違いないなっ!」
冒険者たちはまたも大笑いする。
今気付いたが、彼らの顔が微妙に赤らんでいる。
どうやら酒を飲んで酔っているらしい。
「伝承と言えば、この診療所は随分と前からあるそうだ。百年前に建てられたと聞いたことがある。この街の元になった開拓村の時代からあるらしいな。ちなみに先生は、どういった経緯でここで働くことになったんだ?」
話題が私のことになった。
不意の失言に注意しつつ、私はごく自然に答える。
「知人の紹介ですね。この街を勧められまして。若輩者ですが、頑張っていくつもりです」
「その知人さんはよく分かっているな。この街ほど働きやすい環境はない」
「先生ならすぐに出世するさ。応援しているよ」
冒険者たちは、私に温かい言葉を投げかける。
純粋な善意が嬉しかった。
その後も談笑しながら食事を進める。
やがて冒険者たちは、空になった弁当箱を手に立ち上がった。
午後から迷宮に潜る予定らしい。
「吸血鬼とデュラハンに気を付けないとなぁ。中層でたまに遭遇するらしいんだよ」
「誰かの誇張だろうが、あの迷宮が発生した頃から未だに討伐されていないらしい。本当ならとんでもない化け物だぜ」
「まあ、俺たちは上層にしか踏み込まないから大丈夫さ。命あってこその人生だろ!」
「はは、まったくだ!」
冒険者たちは好き勝手に喋りながら帰り支度を済ませる。
「じゃあな、先生! また今度、飯でも行こうぜ。俺たちが奢るからさ」
「ありがとうございます。楽しみにしておきますね」
赤ら顔の冒険者たちは、陽気な調子で立ち去る。
彼らが無謀な探索をしないことを祈ろう。
一人になった私は、無言で天井を仰ぐ。
もう百年か。
あっという間だった。
いざ体感すると、意外に短いものである。
開拓村は街になった。
迷宮を利用した運営が軌道に乗ったのだ。
そこからは富がさらなる富を呼んで急成長した。
今では国内でも有数の大都市となっている。
冒険者たちの言う通り、治安の良い理想的な場所という評判もあった。
私は、より良い街を築くために暗躍してきた。
肉体と身分を変えながら、ひたすらこの地に貢献し続けた。
一つ前の肉体は、診療所のそばに暮らす薬師だった。
その前は診療所の看護師だった。
正体を偽って生きることは、存外に簡単なものであった。
無論、現在に至るまでに数々の問題が発生した。
それらのことごとくを、私は秘密裏に解決してみせた。
誰であろうと容赦なく"処理"してきた。
その甲斐もあって、今の街は非常に素晴らしい場所である。
私は、これからも街に存在し続ける。
陰ながら介入するつもりだ。
この方針だけは、百年前から少しも変わっていなかった。
ただ、こんな私にも変化はある。
以前までは、表面的なものとして知覚していた。
現在では 胸に芽生えた確かな感情として認識していた。
些細な発見かもしれないが、とても大事だと思う。
――私は今、とても幸せだった。
かざしていた手を下ろして、私は患者の背中に告げる。
包帯を巻いた青年は、安堵の表情を見せた。
「助かります。やっぱり回復魔術はすごいなぁ。それで、代金のことなんですが……」
「ええ。次の給料日でしたよね。事情は私から所長に伝えますので。何かあればお気軽におっしゃってください」
「ありがとうございます。必ず持ってきます!」
丁寧な礼を繰り返しながら、患者の青年は退室した。
私は診療所内を移動し、休憩室へと赴く。
働きすぎると小言を言われるため、この時間帯はここで待機するようにしているのだ。
本当は疲労などしていないが、人間らしく振る舞わねばならない。
椅子に座って虚空を見つめていると、扉がノックされた。
入ってきたのは、数人の冒険者たちだった。
馴染みのある面々である。
この時間帯に治療の予約はなかったはずだが。
他の者も診察は入れていなかったはずだ。
怪我人でも出たのだろうか。
それにしては緊迫した雰囲気でもない。
私は立ち上がって彼らに挨拶する。
「こんにちは。何かご用でしょうか」
「先生、時間はあるかい? よかったら食事でも一緒にどうかと思ってね。先生の分も買ってあるぜ。今日も用意してないんだろう?」
冒険者はそれぞれ弁当を手に持っていた。
揃いの包みが特徴のそれは、近所の定食屋で販売されているものであった。
数えれば確かに私の分も含まれているようだ。
いつも私が食事を忘れるのを見越して用意したらしい。
「わざわざありがとうございます。後ほど代金をお支払いします」
「そんな遠慮すんなって。これくらいお安い御用さ。先生にはいつも世話になっているからな!」
冒険者たちは手慣れた様子で近くの椅子や机を使う。
彼らは何かと私のもとを訪ねてくる。
雑談相手がほしいのかもしれない。
冒険者の一人が、焼いた肉を頬張りながら息を吐く。
「それにしても、この街はすげぇよな。国内でも類を見ないほど治安が良い。夜でも女子供が出歩けるなんざ、他じゃ考えられねぇよ」
別の冒険者が深く頷きながら野菜を齧る。
「善人の報われる街、と呼ばれているんだとさ。普通なら笑っちまうところだが、これが冗談じゃないんだ」
「素敵な場所ですね」
私がそう言うと、冒険者は少し真面目な表情で語る。
「……先生はここへ来て日が浅いから知らないかもしれないが、この土地には奇妙な力があるみたいでね。何年か前、街が戦争に巻き込まれそうになった時も、両軍がアンデッドの大軍に襲われて甚大な被害を受けたんだ。戦いは中断して、おかげで街は無傷で済んだ。どうしてそんなことが起きたのか、分かるかい?」
冒険者の質問に、私は考えるそぶりを見せる。
即答しては不自然に思われるかもしれない。
十分に時間を取ってから、自信なさげに発言する。
「もしかして、近くの迷宮でしょうか」
「その通り! あの不死者の迷宮が暴走して、戦おうとした二つの軍を潰したんだ。以降は暴走もなく、迷宮は街の大きな資源の一つとして変わらず存在している」
「とんでもない奇跡だ。きっとこの街は祝福を受けている。実際、俺たちもちょっと立ち寄るつもりが、気付けば何年も居座っているくらいさ! 迷宮は儲かるし、楽しい毎日を送っているよ」
冒険者たちは愉快そうに笑った。
私もそれに合わせて微笑する。
なるべく自然な表情を意識した。
そんな中、冒険者の一人がふと思い出したように声を上げた。
彼は少し意地の悪い顔になった。
「……奇妙繋がりだと、ちょっとした伝承もある。この街に不要な人間は、何者かに消されちまうそうだ。実際、領主が行方不明になったこともあるらしい」
冒険者は声を落として語る。
恐怖心を煽るような口調だった。
一種の怪談なのだろうか。
さすがに私自身が怖がることはないが、少し興味を惹く内容だった。
なかなか真実味を帯びた伝承である。
「ただの噂話だろう? 何者かに消される、って誰なんだって話さ。それに不要な人間が消されるのなら、俺たちが真っ先にいなくなっているだろっ?」
「そりゃ違いないなっ!」
冒険者たちはまたも大笑いする。
今気付いたが、彼らの顔が微妙に赤らんでいる。
どうやら酒を飲んで酔っているらしい。
「伝承と言えば、この診療所は随分と前からあるそうだ。百年前に建てられたと聞いたことがある。この街の元になった開拓村の時代からあるらしいな。ちなみに先生は、どういった経緯でここで働くことになったんだ?」
話題が私のことになった。
不意の失言に注意しつつ、私はごく自然に答える。
「知人の紹介ですね。この街を勧められまして。若輩者ですが、頑張っていくつもりです」
「その知人さんはよく分かっているな。この街ほど働きやすい環境はない」
「先生ならすぐに出世するさ。応援しているよ」
冒険者たちは、私に温かい言葉を投げかける。
純粋な善意が嬉しかった。
その後も談笑しながら食事を進める。
やがて冒険者たちは、空になった弁当箱を手に立ち上がった。
午後から迷宮に潜る予定らしい。
「吸血鬼とデュラハンに気を付けないとなぁ。中層でたまに遭遇するらしいんだよ」
「誰かの誇張だろうが、あの迷宮が発生した頃から未だに討伐されていないらしい。本当ならとんでもない化け物だぜ」
「まあ、俺たちは上層にしか踏み込まないから大丈夫さ。命あってこその人生だろ!」
「はは、まったくだ!」
冒険者たちは好き勝手に喋りながら帰り支度を済ませる。
「じゃあな、先生! また今度、飯でも行こうぜ。俺たちが奢るからさ」
「ありがとうございます。楽しみにしておきますね」
赤ら顔の冒険者たちは、陽気な調子で立ち去る。
彼らが無謀な探索をしないことを祈ろう。
一人になった私は、無言で天井を仰ぐ。
もう百年か。
あっという間だった。
いざ体感すると、意外に短いものである。
開拓村は街になった。
迷宮を利用した運営が軌道に乗ったのだ。
そこからは富がさらなる富を呼んで急成長した。
今では国内でも有数の大都市となっている。
冒険者たちの言う通り、治安の良い理想的な場所という評判もあった。
私は、より良い街を築くために暗躍してきた。
肉体と身分を変えながら、ひたすらこの地に貢献し続けた。
一つ前の肉体は、診療所のそばに暮らす薬師だった。
その前は診療所の看護師だった。
正体を偽って生きることは、存外に簡単なものであった。
無論、現在に至るまでに数々の問題が発生した。
それらのことごとくを、私は秘密裏に解決してみせた。
誰であろうと容赦なく"処理"してきた。
その甲斐もあって、今の街は非常に素晴らしい場所である。
私は、これからも街に存在し続ける。
陰ながら介入するつもりだ。
この方針だけは、百年前から少しも変わっていなかった。
ただ、こんな私にも変化はある。
以前までは、表面的なものとして知覚していた。
現在では 胸に芽生えた確かな感情として認識していた。
些細な発見かもしれないが、とても大事だと思う。
――私は今、とても幸せだった。