第46話

文字数 2,210文字

 胸に命中したのを亜里沙は覚えている。その衝撃で真は後ろに倒れ、起き上がらないのも確認した。今そこに立っているのは幽霊なのか、ウィンチェスターの起こした魔法か。亜里沙は非現実と現実の狭間(はざま)を往来するかのように、目を(みは)っている。
「俺も最初は死んだと思った。生きてるなんて信じもしなかった。だが紫苑――いや、飯沼実乃さんが俺だけに防具を用意したんだ。防弾服だ」
 真が幻覚剤を使って意識を失っている間、実乃は真の衣服を脱がして防弾服を着せていた。撃たれた後でさえ真も気付かないほど丁寧に。起きた直後、真の身体のだるさは幻覚剤だけでなく防弾服を着た時の身体の重さが原因でもあったのだ。
 亜里沙はそれでも信じられないと首を横に振った。
「瓶の中の話、斜め読みだが全部読んだ。そこで聞きたい、最後に生き残らせたのは誰だ。お前は最後、偶然生き残ってしまった生存者に銃で撃たれるっていう筋書きを書いたんだろ。彼女、とまで書いている。誰を生き残らせたんだ」
 犯人の死によって筋書きは線路を無くし、終着駅に到着する。
 亜里沙にとって真も実乃も生きているのは予想外だっただろう。筋書きとは異なる模様が、今生きている世界。
「時間が経てば分かりますよ」
 西日が窓から差し込まれる。机の上に置いてある花瓶を照らしていた。花瓶の中にあるはずの花はない。それに意味があるのかないのかと問われても、誰も答えられないだろう。真の意味での支配者である亜里沙ですら、どうして花を捨てなければならなかったのか分かっていないのだから。
 うつ伏せになっている亜里沙の腕を掴んだ実乃は、彼女をソファに座らせた。
「こんな結末になるんなら、死んどくんだった。もっともっと早くから」
 死という言葉を口にするにしては、あまりにも軽々しい口振りで亜里沙が言った。だがその一言は彼女の生き様がいかに苦痛であったかを知るのにこの上ない呟きだった。愛されない寂しさ、報われない虚しさ。その哀しみは、奏楽と同等のものだっただろう。
 だから互いに惹かれ合い、このゲームを作り出した。悲劇のゲームだ。
 それ以上の言葉は不要だと言わんばかりに、亜里沙は口を閉じた。深くソファに座り込んで一点を見つけている。死人のように志気を失い、心が(ろう)で固められてしまったかのようだった。その蝋の中に自分という存在を閉じ込めてしまって、きっと彼女は死しても出てはこないだろう。
「浅葱様、少し着替えてきます。この使用人の服は、少々私には似合わないもので」
 実乃は裾を持ち上げて、生真面目に言ってみせた。
「似合わなくもない。それにもう飯沼さんと言えばその服で見慣れてるからな。何とも思わない」
「そう仰っていただけるのはありがたい限りですが、私の気分の問題でもございます。少しばかり、失礼いたします」
 深々と一礼した実乃は、亜里沙を一瞥(いちべつ)した。だが彼女は呼吸をするだけの人形だと判断した実乃は、(きびす)を返して談話室を後にした。扉の閉まる音が響いたのは、実乃が自分の役目を全うしたとする終了宣言のようなものだろう。使用人の時の彼女は音を立てる動作にも気遣い、気配を隠していたからだ。
 空は晴れていた。鬱陶しいくらいに、太陽が照り付けている。
「私は、最初はただ寂しかっただけなんです。誰でもいいから、愛してほしかっただけだったんです」
 独り言のように呟いたから、真は何も言わなかった。相応の言葉は何も見つからなかった。同情なんですれば、彼女を余計傷つけるだけだと思えた。
 風もないからカーテンも(なび)かない部屋。
「浅葱さん、さきほど誰を生き残らせたのかと()きましたね。書き手を、誰かが銃で撃つストーリー。それは、撃ったのは私なんです。だから、誰も生きていません」
 怜美が生きているかもしれない、誰かもう一人くらいは生き残っているかもしれない。そんな淡い期待は、無残にも切り裂かれた。
「じゃあ、どうして時間が経てば分かるなんて言ったんだ」
「浅葱さんが気付くかもしれないと思ったからです。でも、気付きませんでしたね。最後の最後だけは、私の思い通りに進んだ。今の私にはそれだけで、十分でした」
 亜里沙の最後の一手で、彼女の描いてきた計画は終わった。ポーカーで言うならば、まだゲーム自体は終わっていない。亜里沙が逮捕されるまでがゲームだ。彼女の最後の一手は、(いたずら)に人の心を惑わすために全てのチップを乗じただけで、それ以上の意味はない。
 後はただ、明日の朝を待つだけ。
 実乃が淡泊な服に着替えて談話室に戻ると、真は彼女に見張りを任せて怜美の眠っている部屋へと向かった。階段を上り、三階の部屋。今ではどういう目的で造られたのか分からない部屋だが、きっと書斎だったのではないだろうか。
 部屋の扉を前にして、真は怯えた。脚が竦んだ。この部屋に入れば、怜美の遺体が落ちている。扉を開けなければ、まだ怜美が生きている可能性を信じられる。まだ確かな検死はしていないのだから。ついさっきは、一見して毒殺されたと判断しただけで、犯人が致死量を間違えて怜美は仮死状態になって生きているかもしれない。そんなバカバカしい庶幾(しょき)さえ、扉を開けなければずっと思い続けられる。少なくとも、明日以降までは。
 真は自分の感情を押し殺して、扉のドアノブを握った。扉は開かれて、付けっぱなしだった明かりが濁流のように飛び出してきた。
「――そうだよな。そんな事、あるはずがないんだよ」
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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