第4話
文字数 3,711文字
最初、真は遺言について何か考察をしてみた。一番に気にするべき点は一つである。
なぜ主催者は、遺言という謎を参加者に突き付けたのか? という点だ。本来ルピナスに必要のない要素であることは明白で、今回の催しには追加されたルールさえある。そのルールとは、死者は謎に挑戦する権利を失うというものだ。この遺言という謎を出した主催者は、単にロールプレイングをさせるためだけに置いたのだろうか?
ルピナスで勝利をするだけで賞金がもらえるという仕組みではならなかったのか。真はこの遺言というものに、どこか禍々しい感想を抱いた。本来ならば必要のない要素に付け足された、奇妙な文章の羅列。置いたからには、賞金を出す以外に意図があるはずなのだ。
その意図が掴めない。遺言の謎を解けば自然と意味が分かってくるのだろうか。八条に言われた通り、賞金を手にするために脳を使う時が来ただろうか。
それから真はおよそ一時間は考え、とある結論に達した。
遺言の謎、これは解かせる気があるのだろうか? という結論だ。そもそも三〇〇万という大きな額が掛かっているのだ。用意はしてあるが、結局渡したくなくてわざと解けないようにされているのではないか? そう考えてしまうと、真は途端に気持ちが萎えて謎解きどころではなくなってしまった。
いつしか、どうやって謎が解けなかったと八条に言い訳するかを考えるようになっていた。怜美が邪魔だったから、謎が難しかったから、慣れない場所に身を置いて集中できなかったから。どの論法でも通用する。
言い訳が
「談話室に来い!」
短く、それ以上ないほど適格な指示だ。あまりにも唐突だから行くかは迷った。談話室ということだから、他の参加者達が揃っているのだろう。
気乗りしない、というのが真の正直な心情だ。彼は人と群れるのが非常に苦手であり、少数ならまだしも四人以上いる場所に居座ると
とはいえ無視したら後の
階段を下りる時から、既に談話室の中から音が聞こえてきた。人の話し声だ。察するに、少なくとも五人はいるだろう。根本兄弟と怜美の声が聞こえてくる。後一人か二人、知らない人間の声だ。
人見知りな真にとっては拷問室のような空気が流れている。今日に入ってから二度も、ゲームに参加したことを後悔した。一度目は船に乗っている時、船酔いでパニックを起こしかけた時だ。
扉の前まで来たが、入る気にはどうしてもなれない。後で怜美に小言を突かれる方がマシのように思えて、真は踵を返した。
その途端、背後から扉の開く音が聞こえた。
「お、なんだ浅葱君。もう来ていたのか! さあ、一緒にお茶会といこう!」
「いや、俺は――」
有無を言わさず、怜美は真の袖を掴んで室内に引っ張っていった。
談話室の中は暖かかった。暖炉に木がくべられていて、炎がついているからだろう。赤レンガの暖炉で、それは部屋の左奥にあった。最初に屋敷を見た時は煙突から煙が出ていなかったから、その後に火がつけられたのだろう。
天井にはガラスでできたシャンデリア。緑色の高価そうな四人掛けソファーが四つ向かい合っていて、中央には赤褐色のステンドグラス風の円形テーブルが居座っていた。外からの陽ざしが入るドアがちょうど真正面にあり、その先は屋敷の左側面に繋がっている。
ソファには兄弟の弟である恒が座っていた。兄の純也は暖炉の真向かいにある簡易的なシンクでコーヒーを淹れているようだった。ソーサーの上には白と金が折り重なったカップが乗っていて、湯気が立ち込めていた。
「こんにちは、あなたが探偵の浅葱さんですね」
ソファに座っていた一人の男性が立ち上がった。彼は愛想のよい笑みを浮かべて手を差し出してきた。真は困惑したが、軽く会釈をしてからその手を取った。
彼は外着ではないだろうラフな格好をしている。白い無地のシャツの上に、灰色のジャンパーを着ている。身長は真よりも僅かに高く、目線は対等だった。
「僕は
どぎまぎしながら、真は「よろしく」とだけ告げると、奏楽はゆっくりとソファに席についた。するとまるでシーソーゲームのように、奏楽の隣に座っていた二人の女性が立ち上がった。片方は十歳くらいの少女で、片方は高校生か大学生くらいに見える。
大学生くらいの女性は何の挨拶もせず、まるで男性アイドルが目の前にいるかのような惚気のある顔をして威勢よく手を前に突き出した。奏楽と同じように握手をしたいということだろうが、無言で手を差し出された真は困惑する他なかった。
「ねえ握手しよ!」
彼女の人間的性格が飲み込めず、真はどうするか戸惑った。だが握手をしなければ前に進めないと理解したから、困惑しながらもそれに応じることにした。
少し日本人離れした、スッキリとした顔立ちはおそらくハーフだろう。灰色のカーディガンを着ていて、薄いピンク色のワイシャツを着ている。丈の短い黒のスカートを履いていて、いかにも学生らしい出で立ちだった。
手を取った瞬間、彼女は鼻息を荒くしながら真に急接近した。思わず、彼は後ろに後ずさった。
「私、
「誰かこの状況を適当に解説できるやつはいないか。ついでにこの後、俺がどうすればいいのか助言してくれると助かるんだが」
「マコト、私はあなたに一目惚れしたんだよ! 事務所なんかやめて私の家にきて一緒に暮らそう?」
「なんかもう怖えよ。怜美、どうにかしろ」
怜美は口元を押さえてニヤニヤしている。他の参加者も止める気配はない。やはり、談話室に来たのは間違いだったのかもしれない。それどころかゲームに参加したことさえ、過ちなのかもしれない。
「ゲームが終わったら婚姻届けを取りにいきましょ!」
「い、や、だ。お断りだ。そうやって無条件で人を好きになる女にロクな奴はいないってことくらい知ってるんだからな」
リミーは少しだけ不貞腐れたようにそっと手を離し、残念そうに席についた。
「じゃあもうどうでもいいや。はいはい、よろしく」
先ほどまでの態度とは裏腹に、彼女は大げさに溜息を吐いて四人掛けのソファーの上に寝転んだ。彼女の情緒がどうなっているのか、魔術師の遺言よりよっぽど理解の難しい問題であることは明白であった。ニヤついていた怜美を見ると、堪えきれず笑いの息が漏れているようだった。
一体何にハメられたのかさえ、真には理解しようがない。
真の当惑をよそに、次に前に出てきたのは小学生ほどの少女だった。彼女の親らしき存在はどこにも見当たらない。
「こんにちは! 私は
頭に紺色のリボンをつけた長髪の彼女は、リミーとは対照的に大人びていた。この一言で、親の教育が正しく作用しているのだとはっきりと分かるほど彼女は人格者だった。特にリミーの後の自己紹介なのだから、より一層常識人に思えた。
短い挨拶を終えた彼女は席について、不機嫌なリミーの背中を撫でた。このように見ると、どちらが年下でどちらが年上なのだか、はっきりとしなくなる。
「浅葱さんは、探偵だそうですね」
沈黙を尊ぶことはないようで、奏楽はそう言った。真は立ちっぱなしだから座るように怜美に催促され、いやいやソファに腰を下ろした。
「大それたもんじゃないけどな。一応、不可能犯罪とかを扱ってる」
警察には言いにくいことで事件を調べてほしいと依頼してくるお客人は減ってはいるが、現代でも目にすることがある。八条の伝手で警察と協力して捜査することもあるが、基本は単独だ。
「きっと、
頭脳明晰だという憶測を否定する前に、奏楽は改まった表情、それも軽い雑談とは呼べないような表情で言った。
「チルドレンデザイナーについて、どう考えますか?」
真は面を食らった。ここでする話にしては、場違いなような気がしたからだ。だがそう思っているのは真だけで、他の参加者は次に真が何を話すのか待っている。
ミステリーとはまったく関係のない話を、このミステリーゲームの最中にするのは不自然だ。ただの社会問題の一つでしかないのだから、この話題は会社のオフィス等でするのが適当ではなかろうか。
とはいえ、何も答えないというのは礼儀に欠ける。真はチルドレンデザイナーについて、期待される言葉を考えてみることにした。