第4話

文字数 3,711文字

 根本兄弟は挨拶回りに戻り、怜美は彼らの尻尾を追いかけていったから部屋には真が一人、取り残された。もうすっかり、彼女はワトソン役というのをほっぽりだしてしまったらしい。
 最初、真は遺言について何か考察をしてみた。一番に気にするべき点は一つである。
 なぜ主催者は、遺言という謎を参加者に突き付けたのか? という点だ。本来ルピナスに必要のない要素であることは明白で、今回の催しには追加されたルールさえある。そのルールとは、死者は謎に挑戦する権利を失うというものだ。この遺言という謎を出した主催者は、単にロールプレイングをさせるためだけに置いたのだろうか?
 ルピナスで勝利をするだけで賞金がもらえるという仕組みではならなかったのか。真はこの遺言というものに、どこか禍々しい感想を抱いた。本来ならば必要のない要素に付け足された、奇妙な文章の羅列。置いたからには、賞金を出す以外に意図があるはずなのだ。
 その意図が掴めない。遺言の謎を解けば自然と意味が分かってくるのだろうか。八条に言われた通り、賞金を手にするために脳を使う時が来ただろうか。
 それから真はおよそ一時間は考え、とある結論に達した。
 遺言の謎、これは解かせる気があるのだろうか? という結論だ。そもそも三〇〇万という大きな額が掛かっているのだ。用意はしてあるが、結局渡したくなくてわざと解けないようにされているのではないか? そう考えてしまうと、真は途端に気持ちが萎えて謎解きどころではなくなってしまった。
 いつしか、どうやって謎が解けなかったと八条に言い訳するかを考えるようになっていた。怜美が邪魔だったから、謎が難しかったから、慣れない場所に身を置いて集中できなかったから。どの論法でも通用する。
 言い訳が(まと)まってきたところで、真のポケットの中に入っていた端末が二回振動した。誰かからメッセージが来たようだ。噂をすれば八条からかと思って端末を取り出すが、送り主は怜美のようだった。送られてきた文章は非常に短文で、文字が読めれば幼稚園児でも分かるほどシンプルだった。
「談話室に来い!」
 短く、それ以上ないほど適格な指示だ。あまりにも唐突だから行くかは迷った。談話室ということだから、他の参加者達が揃っているのだろう。
 気乗りしない、というのが真の正直な心情だ。彼は人と群れるのが非常に苦手であり、少数ならまだしも四人以上いる場所に居座ると窮屈感(きゅうくつかん)を覚えるのだ。
 とはいえ無視したら後の亀裂(きれつ)になることは明白だ。真は髪をかきながら自室を出て、階下へ向かうのであった。
 階段を下りる時から、既に談話室の中から音が聞こえてきた。人の話し声だ。察するに、少なくとも五人はいるだろう。根本兄弟と怜美の声が聞こえてくる。後一人か二人、知らない人間の声だ。
 人見知りな真にとっては拷問室のような空気が流れている。今日に入ってから二度も、ゲームに参加したことを後悔した。一度目は船に乗っている時、船酔いでパニックを起こしかけた時だ。
 扉の前まで来たが、入る気にはどうしてもなれない。後で怜美に小言を突かれる方がマシのように思えて、真は踵を返した。
 その途端、背後から扉の開く音が聞こえた。
「お、なんだ浅葱君。もう来ていたのか! さあ、一緒にお茶会といこう!」
「いや、俺は――」
 有無を言わさず、怜美は真の袖を掴んで室内に引っ張っていった。
 談話室の中は暖かかった。暖炉に木がくべられていて、炎がついているからだろう。赤レンガの暖炉で、それは部屋の左奥にあった。最初に屋敷を見た時は煙突から煙が出ていなかったから、その後に火がつけられたのだろう。
 天井にはガラスでできたシャンデリア。緑色の高価そうな四人掛けソファーが四つ向かい合っていて、中央には赤褐色のステンドグラス風の円形テーブルが居座っていた。外からの陽ざしが入るドアがちょうど真正面にあり、その先は屋敷の左側面に繋がっている。
 ソファには兄弟の弟である恒が座っていた。兄の純也は暖炉の真向かいにある簡易的なシンクでコーヒーを淹れているようだった。ソーサーの上には白と金が折り重なったカップが乗っていて、湯気が立ち込めていた。
「こんにちは、あなたが探偵の浅葱さんですね」
 ソファに座っていた一人の男性が立ち上がった。彼は愛想のよい笑みを浮かべて手を差し出してきた。真は困惑したが、軽く会釈をしてからその手を取った。
 彼は外着ではないだろうラフな格好をしている。白い無地のシャツの上に、灰色のジャンパーを着ている。身長は真よりも僅かに高く、目線は対等だった。
「僕は佐伯奏楽(さえきそら)と言います。一緒に頑張りましょうね」
 どぎまぎしながら、真は「よろしく」とだけ告げると、奏楽はゆっくりとソファに席についた。するとまるでシーソーゲームのように、奏楽の隣に座っていた二人の女性が立ち上がった。片方は十歳くらいの少女で、片方は高校生か大学生くらいに見える。
 大学生くらいの女性は何の挨拶もせず、まるで男性アイドルが目の前にいるかのような惚気のある顔をして威勢よく手を前に突き出した。奏楽と同じように握手をしたいということだろうが、無言で手を差し出された真は困惑する他なかった。
「ねえ握手しよ!」
 彼女の人間的性格が飲み込めず、真はどうするか戸惑った。だが握手をしなければ前に進めないと理解したから、困惑しながらもそれに応じることにした。
 少し日本人離れした、スッキリとした顔立ちはおそらくハーフだろう。灰色のカーディガンを着ていて、薄いピンク色のワイシャツを着ている。丈の短い黒のスカートを履いていて、いかにも学生らしい出で立ちだった。
 手を取った瞬間、彼女は鼻息を荒くしながら真に急接近した。思わず、彼は後ろに後ずさった。
「私、秋本(あきもと)リミー! あなたは浅葱真! 私、決めた。今日から浅葱リミーになるって!」
「誰かこの状況を適当に解説できるやつはいないか。ついでにこの後、俺がどうすればいいのか助言してくれると助かるんだが」
「マコト、私はあなたに一目惚れしたんだよ! 事務所なんかやめて私の家にきて一緒に暮らそう?」
「なんかもう怖えよ。怜美、どうにかしろ」
 怜美は口元を押さえてニヤニヤしている。他の参加者も止める気配はない。やはり、談話室に来たのは間違いだったのかもしれない。それどころかゲームに参加したことさえ、過ちなのかもしれない。
「ゲームが終わったら婚姻届けを取りにいきましょ!」
「い、や、だ。お断りだ。そうやって無条件で人を好きになる女にロクな奴はいないってことくらい知ってるんだからな」
 リミーは少しだけ不貞腐れたようにそっと手を離し、残念そうに席についた。
「じゃあもうどうでもいいや。はいはい、よろしく」
 先ほどまでの態度とは裏腹に、彼女は大げさに溜息を吐いて四人掛けのソファーの上に寝転んだ。彼女の情緒がどうなっているのか、魔術師の遺言よりよっぽど理解の難しい問題であることは明白であった。ニヤついていた怜美を見ると、堪えきれず笑いの息が漏れているようだった。
一体何にハメられたのかさえ、真には理解しようがない。
 真の当惑をよそに、次に前に出てきたのは小学生ほどの少女だった。彼女の親らしき存在はどこにも見当たらない。
「こんにちは! 私は行峯茉莉(ゆきみねまり)と言います。迷惑をかけないよう、頑張るです」
 頭に紺色のリボンをつけた長髪の彼女は、リミーとは対照的に大人びていた。この一言で、親の教育が正しく作用しているのだとはっきりと分かるほど彼女は人格者だった。特にリミーの後の自己紹介なのだから、より一層常識人に思えた。
 短い挨拶を終えた彼女は席について、不機嫌なリミーの背中を撫でた。このように見ると、どちらが年下でどちらが年上なのだか、はっきりとしなくなる。
「浅葱さんは、探偵だそうですね」
 沈黙を尊ぶことはないようで、奏楽はそう言った。真は立ちっぱなしだから座るように怜美に催促され、いやいやソファに腰を下ろした。
「大それたもんじゃないけどな。一応、不可能犯罪とかを扱ってる」
 警察には言いにくいことで事件を調べてほしいと依頼してくるお客人は減ってはいるが、現代でも目にすることがある。八条の伝手で警察と協力して捜査することもあるが、基本は単独だ。
「きっと、頭脳明晰(ずのうめいせき)なのでしょう。そんな浅葱さんだからこそお尋ねしたいことがあるのですが」
 頭脳明晰だという憶測を否定する前に、奏楽は改まった表情、それも軽い雑談とは呼べないような表情で言った。
「チルドレンデザイナーについて、どう考えますか?」
 真は面を食らった。ここでする話にしては、場違いなような気がしたからだ。だがそう思っているのは真だけで、他の参加者は次に真が何を話すのか待っている。
 ミステリーとはまったく関係のない話を、このミステリーゲームの最中にするのは不自然だ。ただの社会問題の一つでしかないのだから、この話題は会社のオフィス等でするのが適当ではなかろうか。
 とはいえ、何も答えないというのは礼儀に欠ける。真はチルドレンデザイナーについて、期待される言葉を考えてみることにした。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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