第5話
文字数 3,379文字
親が会社に、子供を美容師にさせたいと依頼する。すると数週間で担当が家に訪れ、教育を施していくのだ。早くて三歳から始まるが、基本は幼稚園、保育園を出てから依頼される。
担当者が変わることは滅多にない。担当者の業務継続不可判断、
会社は様々あるが、チルドレンデザイナーの保護で育った子供は大きな力と可能性を秘めた超人的な能力を習得する。美容師は社会の求める美容師に。漫画家は頂点に近い漫画家に。
優先的に考えるべくことは子供のことであり、子供が学校を望むなら会社は契約を打ち切る。別の職業に就きたいと思った場合も同様だ。
理想的な人間になりたい子供は理想を。普通の生き方で妥協した子供はその道を。一見すると、特に問題はない社会観のように見える。だが、近年日本ではチルドレンデザイナー問題という名前で、とある現象が起こっていた。
「チルドレンデザイナーが、数十年前から存在していたのはご存知ですか。僕が生まれる前からあったこと」
奏楽は淡々と、しかし感情を捨てない声でそう告げた。真は、彼が次に何かを言う前に分かったことがある。
誰が何を言わずとも、奏楽が真の憶測の正しさを証明した。
「僕は、彼らによって育てられました。恩はあります。でも、彼女の気持ちは分かるんです。痛いほど」
たった一人の若者が起こした、小さな運命によって狂わせられたとしか言いようがない出来事が起きた。
小学校教師を志望していた女性が、学校側の都合で幼稚園勤務となったのだ。小学校と幼稚園とでは業務がまったく異なり、数十年培ってきた教育が全て水の泡となり、一から全てを学ばなければならなくなった。
それはたった一つの手違いと、社会の都合。それだけで、女性の精神はやすやすと蝕まれていったのだ。ニュースでは報道されなかったが、女性のいる精神病棟に足を運んだ雑誌の記者は、彼女の体験を小説にした本でこう語った。
「彼女は人間じゃない。まるで、人間の形をして人間と同じ知能を持った、未確認生命体のようだった」と。
読者の間でそれはアンドロイドだと解釈されたり、宇宙人なのだと解釈されたり。様々な波紋を呼んだ。それでも読者の間で統一されているただ一つの要素がある。
彼女が真っ当な人生を歩んでいたら、事件を起こさなかっただろう。
「人生をデザインされた子供達は、一歩でもレールから外れたら取り戻しがきかなくなる」
訴えかけるような眼差しで、奏楽は全員を一瞥した。彼の言った言葉は、問題の根底を表現していたのだ。
「こんな事を全員で話してたのか」
うつ伏せになったままのリミーがそうだと答えた。
談話室に来る時間を見誤り、ついでと言わんばかりに立ち去るタイミングさえ失った。ここで立ち去るのが不自然だということは、社会経験に乏しい真でさえ簡単に分かることだった。
「俺はこの問題について、そんなに詳しくは知らない。だが、仕方なかった――で済ましていい問題じゃないことくらいは知ってる」
大きく取沙汰されている問題ではない。焚火に火がついたばかりで、仄かな火がともっている程度の問題でしかない。しかし、いずれは大きな火になるであろうことは間違いない。
「俺は元から、チルドレンデザイナーって呼び方自体が気に入らない。最初から言われてたと思うが、人を人だと思ってなさそうな言葉だしな」
「浅葱君もそう思うのか。私もだ!」
怜美はソファから立ち上がり、にじり寄って隣に座った。髪が揺れた時、ラベンダーの香りがした。
「親の都合で子供が育てられ、今度は社会の都合で人間そのものが変わっていく。これはこの問題に限らないと私は思ってる」
怜美は、自分の中にあるワトソンという仮面を取り外して、慈悲に満ちた一人の女性としてそう言った。
「なんかさ、社会って段々つまらなくなっているように思えるんだよね。昔と比べてさ」
「まだ二十二歳だろ、お前」
「そうだけどさ。なんか、私日ごろから思ってたんだよ。日に日に日常生活が便利になってってる。しなくてもいい仕事は機械に任せて、だんだんと暮らしに余裕が出てる。だから、皆くだらない事でがみがみ言ったり、文句付けたりしてる」
「昔からそういう声はあっただろ。単に目にする機会が増えただけじゃないのか」
「ううん、自分のことだから分かるんだよ。家事を全部やってくれるロボットがいたら、その分考える時間が増える。その考える時間で、社会の粗探しとかしちゃう。みんなも、そんな時あるでしょ?」
怜美の言いたいことを、真は整理した。
彼女はチルドレンデザイナー問題を
時折、彼女は周囲の話の流れを考えずに自分が喋りたいことを話す癖がある。思い付きで喋っているからだ。今も、社会問題という言葉が彼女の頭を独り歩きして脈絡のない話をしてしまったに過ぎない。
問いを投げた奏楽は、怜美の問いには答えなかった。彼がやや機嫌を損ねたろうことは明白で、真もその心情を汲み取ってこう口にした。
「佐伯さん、あんたは例の教育を施された子供だって言ってたよな。何になったんだ」
「幼児専門の医者です。小さな子供達の命を、一人でも救いたい。そう思ってます」
「教育を受けさせたのは親だろ。お前はどう思ってるんだ」
問題で火種になっているのは、子供の自由意志という点だった。親の理想と子供の理想は違う。チルドレンデザイナーとは、親の押し付けではないのかという意見は至るところに
「本当にそう思ってます。教育を受けた最初は、別にそこまで大それた事は思っていません。ですが、色々学んでいく内に小さな子供を救うのは本当に尊いことなのだと気付きました」
デザイナーはプロの集団だ。親の理想と子供の理想を合致させるのも仕事の内なのかもしれない。
「悪いが、俺はあんたが期待できそうな言葉は言えない。だが思ったことは言える。世界って、だんだんおかしな方向に向かっていっちまってるよ。俺はそう思う」
うんうん、と怜美は頷いた。
「別に何かを期待してはいませんでした。でも、浅葱さんと意見が一致しましたよ」
快い笑みを浮かべた奏楽は、ソファを立ち上がって空になったカップを洗いにシンクへ向かった。仕草一つとっても彼は丁寧な動作だ。思わず真は、彼のカップの洗い方を覗いてしまっていた。
話題が一区切りついてむくりと起き上がったリミーは、机の上にあったカップに口を付けて真にこう言った。
「さっきはごめんね」
すっかり冷めてしまった紅茶を飲んで、畏まった様子だ。
「怒ってない。突然態度が変わったもんだから、驚きはしたが」
「金井さんが、真君が私に一目惚れしてるって言ってたからその気になっちゃってさー」
隣にいた怜美が、逃げるようにソファを立ち上がって別のソファへ移った。
「嘘をついたことはどうでもいい。別にこのゲームは一期一会なんだ。気にすることじゃない」
「はっはっは! 浅葱君ならそう言ってくれると思っていたぞー。いやぁ、安心した」
そう言いながらも、怜美は一ミリずつ真から距離を離している。
「俺のことはいい。だが、リミーは心底傷ついたはずだ。誠意を持った大人の対応で、後はやれよ」
「はあい……」と威勢のない返事をした怜美を後目に立ち上がると、真は自室へ戻ることにした。談話室は和やかな空気に戻りつつあったが、真はやはり多数の人間を相手にするのは不得意だった。今が絶好の逃げる時間でもあろうし、真は部屋を後にした。
階段に近付いた時、二階から声が聞こえた、男女の声だ。女性は少し苛立ちが感情に含まれるような声で、男性はそんな彼女を宥めるような柔和な声音だ。
ゲーム開始早々、どんなことで揉めているのか。仲裁に入るつもりはないが、真は壁を背にして彼らの声に耳を傾けることにした。