第21話
文字数 4,750文字
結論から分かったのは、犯人は既に消失していたことだった。
呆然と後ろに一歩ずつ下がる真は、何かに
服はボロボロに切り裂かれ、至るところに
「なんてことだ……。これ、何かの演出か何かに違いないっていうのに、なんでこんなに、血の匂いがするんだ」
拓真は口を押さえながら、その場に座り込んで這うように蒼佑の側により、彼の肩を揺さぶった。
「演技なんだろう馬宮さん、そう演技しろって指示されてるんですよね?」
拓真は蒼佑の顎を持って顔を持ち上げた。
目が合った時、拓真は全身の毛を逆立てて叫び、目を見開いて廊下の方へ飛び出していった。
蒼佑の目は恐怖で見開いて、口はガムテープで塞がれていた。人間が想像もできないほどの恐怖に襲われた表情をしていて、彼の顔は涙と汗の混ざった滅茶苦茶な様相だった。
異形の怪物を見た人間は、きっとこういう表情になるはずだ。
「浅葱さん、これは演技なんかじゃない。本当に殺人が起こってしまったんです。しかも、密室!」
奏楽は誰よりも早く現場の状況をいち早く察していた。真は目の前の衝撃を受け止めることに必死だったから気付かなかった。この部屋は確かに密室だったのだ。窓も内側から鍵がかかっていたし、扉は言わずもがな粘土さえ詰められていたほどだ。真は半ばパニックに陥っていた。
「これからどうしますか。探偵なんですよね、みんなをまとめる必要があります」
「――いや、俺よりもまとめ役には適任者がいる」
こういう不測の事態には一番適している人物が、今食堂にいる。
「御手洗さんは刑事だ。俺なんかよりずっとこういう状況を仕切ってくれるはずだ」
「刑事……?! そうでしたか、分かりました」
理解が追い付かない。四方から金属バットで滅多打ちにされるような感覚が真を苛んでいた。蒼佑の死は、あまりにも謎が多すぎる。それだけではない。ついさっきのウィンチェスターからの手紙もまた、不可解極まりないものだった。
誰がいつ、花瓶に入れたというのか。
時間を無駄にできない。蒼佑は死んでしまった。だがもう一人、安否を確認できない者がいる。真は意を決して立ち上がり、奏楽の横を通り過ぎてスマートフォンを操作する拓真に駆け寄りこう言った。
「俺はマスターキーを持って亜里沙さんのところへ行く。黒須さん、面倒ごとを頼むようで気が引けるが、食堂の皆に現状を伝えてきてくれ。佐伯さんも頼む」
「分かった。他に僕ができそうなことはないか」
「食堂にいる皆に、俺たちが出て行った後に食堂を出た者はいないかの確認と、俺と佐伯さんが戻ってくるまで誰も食堂から出さないようにしてくれ。トイレに行きたくなったら3人以上の同伴者を連れていくように」
真は拓真の肩を叩き見送ると、生き急ぐ足で豪快に音を鳴らしながら亜里沙のもとへと向かう。
彼女は今は叫ぶのをやめ、扉を蹴っていた。
「若杉さん、ここに鍵がある! そこを退いてくれ!」
真の声に気付いた亜里沙は、涙で溺れそうな表情を向けながら頷き、真に前を譲った。彼女は真の銃に驚きはしたが追及はしない。今は銃の存在を気にしている場合ではないからだ。真は鍵穴にマスターキーを差し込んだ。今度は粘土が詰まっていることはなく、すんなりと鍵が開いた。
中から物音は聞こえない。不気味なほどの静けさ。真は扉を勢いよく開けて銃で周囲を
「どういうことだ、なんで誰もいねえんだ」
蒼佑の部屋同様、様々な場所を探した。隅々まで視線を送ったというのに、誰もいなかった。
中にいるはずの文世すら存在しなかったのだ。
「新城さん、新城さんどこですか!」
亜里沙は部屋の中を歩き回りながら新城の名前を呼び続ける。呼応に返される声はない。
不気味だった。真が今まで出会ってきた事件の中で一番不愉快で不気味で、人間の行いとは思えない霊的な概念が世界をコントロールしているかのような。
「若杉さん、一旦食堂に戻るぞ。現状を整理するんだ。新城さんがこの部屋にいないっていうことは、まだ生きてる可能性がある。まずは一緒に安全な場所にいるんだ」
亜里沙が取り乱しても無理はないと真は思っていた。最悪、彼女は一人で新城を探し始めるだろうことまで想像していた。
しかし、予想よりも遥かに若杉は冷静だった。彼女は顔をハンカチで拭うと、真を振り向いて頷く。
「分かりました。でも食堂に戻る前に、少しだけ……いいですか?」
どうした、と真が言うと彼女は忍び足で真に近付いた。
すると彼女は、華奢な両手を真の背中に回した。
真は初めて知ったことがある。今まで誰も教えてくれなかったことだ。唐突に教えられたから戸惑いもするが、それ以上に今は、安心していた。
彼自身も驚いていた。人と人が重なることで、混乱していた頭の中が落ち着いていくのを。あれだけ高鳴っていた心臓が、今は静かになり始めている。乱れていたギターのチューニングが、少しずつ整えられていく。
亜里沙の髪からシャンプーの香りがする。綺麗で上品な香りだった。
「すみません、突然抱き着いてしまって。でもこうでもしないと私、落ち着かなくて」
真もまた、彼女の背中に両手を回した。彼女の弱さをひた隠すように。誰にも傷付けさせないように。
少しすると彼女から離れて、もう一度「すみませんでした」と頭を下げた。真は不貞を働いたような後ろめたい気持ちに押されながらも、食堂に戻ろうと提案し、亜里沙もその提案を飲み込んだ。
二人肩を並べて食堂に戻ると、ホールの方まで聞こえてくる喧騒に真と亜里沙は顔を見合わせた。食堂の扉を開けるや否や飛び込んできたのは、ヒステリックになって英に詰め寄る紗良の姿だった。
「事情を話さないなんて、どういうつもり? あんたは警察なんでしょ。私達市民は、どうしてこのゲームに警察が参加したのか知る権利があるわ!」
紗良は立ち上がり、眉間に皺をよせながら黙して席に座る英を見下ろして言う。英はいたって冷静にこう返した。
「お言葉ですが紗良さん。警察からすればこのゲームに参加してるあなたも被疑者の一人です。むやみに動くわけにはいきません。当初の予定とはちょいと逸れましたが、犯人を見つけ現行犯逮捕する。それが我々の仕事だ」
「人がね、一人死んでんのよ。あんたの相棒が! それでも事務的に進めるの? 私達全員で協力して推理したほうがいいじゃない!」
紗良は怯えて、いつもより強い口調になっていた。
「腐ったみかんは周りの果実を腐らせる。推理もね、それと同じなんですよ。いかにも正しいような推理が間違っていて、全員でそっちの方に進んだら後戻りが大変です。それに何より、この中に犯人がいるのは間違いない。犯人は我々の進路を誘導しますよ。数多の
「い、言っとくけど私は犯人なんかじゃないわよ。こんな事になるって知ってたら、ゲームに参加なんてしなかった!」
「分かってないようですねえ。だから私はさっきから言ってるんです、状況を整理しようと。少なくとも七時少し前までは蒼佑は生きてるんですよ。犯行時刻はだいぶ絞られる。その時間、誰がどこで何をしていたのか答えられれば、はっきりと悪魔と天使を分けられるんです」
蒼佑は食堂の券を無くし、自室へ戻っていった。その瞬間を真も確認していて、不明なのはその後だ。その時点で食堂にいた人間は間違いなく犯人ではないといえよう。
しかし気がかりな点は絶え間ない。真は、自分の頭に湧いて出てきた考えが安直過ぎないかと足を一歩戻した。なぜなら、真が部屋に辿り着いた時点で蒼佑はまだ生きていて、部屋の中から物音が聞こえたからだ。
その瞬間、真は食堂にいない。誰が欠けているのかは分からない。その視点で考えると拓真と奏楽は同行していたから犯人ではないと言えないだろうか。
――しかし。真はまた一歩、足を進んでは戻した。
部屋に入った途端、犯人は
まるで、魔術を使って瞬間移動をしたかのようだ。
思案する真の脇を、怜美の指がつついた。怜美は怯える眼差しをしながらも、小声でこう言った。
「刑事さん達、犯人の顔を知らないみたいだね」
刑事は犯人の顔を知っていて、化けの皮が剝がれる時に逮捕しようとしていると怜美と考えたのは数時間前だ。仮説が本当ならば、英はこの時点で犯人を抑留しているはずだ。それをしない。
「知ってくれていたら話は早かったんだがな」
「浅葱君、どうやら私達はとんでもないゲームに参加しちゃったみたいだよ」
その場の全員に訪れる死への恐怖。誰もがその恐怖を抑え込もうと必死になっている。きっと英が一時は抑えていたのだろうが、紗良に続いて恐怖に耐え切れなくなったリミーが立ち上がり、声を震わせて言った。
「ね、ねえこれから私達、どうすればいいの? やだよ。私、死にたくないよ? 私まだ高校生だよ?!」
大丈夫だよ、と誰も言わなかった。言えなかったのだ、リミーは全員の代弁者だったから、止めてしまえば次は自分が恐怖に支配されると分かっていた。
「おかしいよこんなの、絶対おかしい。なんで私達が死ななきゃならないの? 茉莉ちゃんや杏ちゃんだっているんだよ。みんな子供なんだよ。私だって子供だよ死にたくないし大人になりたいしお酒だって飲みたいよ! なのに、なんで!」
「落ち着いてください、秋本さん」
純也はリミーの暴走を止めようとしたが、火に油を注いだかのようにリミーは捲し立てた。
「この状況で落ち着いてられる方が変だよ。何、あなたが犯人なの? っていうかおかしいじゃん。本当にこの中に犯人っているの? だってみんないたじゃん。馬宮さん以外全員いたじゃんここに!」
真は大事な事実を見逃していた。そしてその事実に、紗良は真っ先に気付いたようだった。
「あんた達が犯人なんじゃないの?」
紗良は真と奏楽を見ながらそう言った。
「そうよ。この場には全員いたわ。おかしな手紙が出てきて様子を見に行ったのは主人とあんた達だけ。主人は犯人なんかじゃない。それは私がよく分かってるわ。なら、二人のうちのどっちかが犯人っていうことになるわよね。違う?」
真の額から冷や汗が流れ落ちる。それは奏楽も同様で、彼は細い目で周りを見渡していた。
誰もが真と奏楽に注視する。怜美は不安そうに真を見つめていた。
「違うなら否定しなさいよ。ねえ。そもそも手紙が出てきたのって浅葱さん、あんたの花瓶からよね。それにその銃。何よ、犯人ってもう決まってるじゃない。浅葱真、あんたが馬宮さんを殺したのよ!」
紗良の推理は
理論的な道を通っているから、誰も否定しない。真は虚実を前に無力だった。奏楽も分かっている。いくら言い訳をしても、それ以上の解がないのだ。むしろ奏楽が真を庇うことで共犯者になり得て奏楽にメリットはない。だから彼も黙っていた。
八方ふさがり。真は一歩を踏み出すどころか、目の前に立つ紗良に圧力をかけられて押しつぶされそうだった。
「多分ですが、浅葱さんは犯人ではないと思います」
天使のような声でそう言ったのは、茉莉だった。