第28話
文字数 3,288文字
そもそも最初から全部施錠されてなくてはならなかったのだから、本来ならば気にする必要はなかった。その他の部屋が空いていることがおかしな話なのだ。
犯人が鍵を開けたのは事実。化粧室を除く全ての部屋の鍵を開けたのだ。
化粧室の鍵を開けなかったのは鍵を持っていなかったからだろうか。それとも使う必要がなかったからだろうか。しかし浅葱は、手から伝わってくる硬い金属製の、冷ややかな感触からそれ以上の感覚を感じ取っていた。
「怜美、鍵をもらってきてくれ」
有無を言わさない真の言葉に、怜美は頷くと走って階段を駆け上がっていった。駆け上がるその音が、真の鼓動を速めていた。
中は無音。耳を澄ませても聞こえる音はない。木々のざわめきがなんの混じりけもなく歌うだけ。
心の中の動揺を隠しきれずにいると、鍵の音を鳴らした怜美が一段飛ばして階段を下りてきて、真に鍵を手渡した。真は震える手を抑え、鍵穴に差し込む。
「御手洗さんは何をしてた」
「聞き込み調査をやってたよ。そして伝言ももらった」
伝言という言葉を聞いて、状況が状況なだけに真は嫌な予感が戦慄として体の中に入り込んできた。
「何人か、いなくなっている人がいるって」
「それは誰だ」
「まだ全員調べたわけじゃない。でも少なくとも三人はいなくなってるって」
少なくない人数だった。三人一組で行動しているのだから、その内の一組が消えてしまったと考えるのが穏当だろうし、その中に犯人が混ざっていてもおかしくはない。
「誰がいなくなったんだ」
「分からないよ、早く戻ってきたほうがいいって思って鍵だけもらってきたんだから。紫苑さんから」
差し込んだままの鍵を横に捻ると、無機質な音が鳴った。
真は丁寧な手つきでドアノブを回し、そっと扉を押した。
だがしかし、扉は開かなかった。真はもう一度鍵を差し込んで回し、同じように今度は強く押してみたが、開く気配がない。
「鍵がかかっているんじゃない。何かが邪魔になって開かないようになっているんだ」
明らかになった。この部屋には細工がされていて、中にあるものを見られないようにするための時間稼ぎが行われている。
「怜美、下がってろ」
真は扉から離れた。十分な助走の距離を得られた彼は、肩を前に突き出して猪のように突進し、壁に体当たりをした。
僅かに開いた感触があったが、まだ完全に開ききるには衝撃が足りない。真はもう一度後ろに下がって、突進。その後、今度は足の表面を使って何度も扉を蹴った。足と扉が当たる度、開いていた隙間が少しずつ大きくなった。
そうしてもう一度大きく下がって、最後の力を振り絞るように体を重力に委ね、全身でぶつかった。
扉は勢いよく開かれ、衝動のあまりに真は化粧室に転がりこんだ。
「浅葱君、大丈夫!?」
「俺のことは大丈夫だ。それより早く中を確認するぞ!」
立ち上がる隙に見えたのは、ドアストッパーだった。ドアストッパーが反対側についていて、上手い具合に差し込まれていたのだ。
怜美と肩を並べて周囲を見回したが、不審なところはない。血の痕跡も、不審物も落ちていない。ただほんの少し、ベリー系の甘い香りがした。トイレの芳香剤かと思ったが、食品に塗布する目的で使われる濃い匂いに思えた。
真がその香りを辿っている間、怜美は個室の扉を開けた。
「え……?」
怜美は一瞬と唖然の表情を浮かべた後、地面に這っていた真の手を掴んで起き上がらせた。
「なんだよ、痛いぞ」
「これ、これみて!」
怜美が指を差したのは個室の中だ。
化粧室は日本のホテルにあるようなものと大した違いはなく、床は灰色のサーモタイルで、光沢感のある明かりに照らされて高級感を含んだ設計になっている。ところでここは女性用化粧室であるから、男性用のそれと違って個室しかなく、その数は五つもある。
個室はそれぞれ扉がついていて、上下に隙間がないほどの設計となっている。洋風な木製扉には横向きのドアノブがあり、内側からしか鍵を掛けられないようになっている。
個室の中に、人が入っていた。便座の上に座っていて、彼女は茉莉だった。茉莉は鼻にプラスチック製の管が通されていて、その装置はどこかに繋がれている。
「くそ、子供にまで手を出すのかよ!」
真は丁寧に管を抜く。怜美はその様子を、口を塞いで見つめていた。本来ならば彼女は目を塞ぎたかっただろうが、彼女の意志で目は開かれていた。
管が全て抜き終わった後、真は彼女の鼻に手を当てた。
「息をしてない……死んでる」
「なんで……なんで茉莉ちゃんが! この子が何をしたの!?」
「今はそんなことを考えている時じゃない。全部の扉を調べるんだ!」
次の扉には、当たり前のように人が座っていた。座っていたのは根本純也、兄の方だった。彼も同様に管が差し込まれていて、息がない。
次の扉は古谷御子、次の扉は秋本リミー、最後の扉には――。
見たことのない人間が犠牲となって座っていた。男性で、七三分けで誠実そうな男性だ。服はカジュアルな白いワイシャツを着ている。しかし動揺に、彼も息をしていなかった。
「こんな、あんまりだよ。たった数時間の内に五人も、死んじゃうなんて! あんまりだよ!」
怜美は真の前で見せたことのない涙を見せながら、壁に寄りかかっていた。
「怜美、落ち着け」
「落ち着けって? そんなの無理! まだ遺体の状態がマシだからとか、血が出てないからとか言わないでよ。人が、五人も死んでるんだよ! そんなんで落ち着ける訳ないでしょ、違う!?」
「だからってここで喚いてても生き返りはしない。俺たちするべきことは次の犠牲者を出さないこと、ただそれだけだ」
「もう無理! 怖い!」
怜美の中にあったダムが決壊した。恐怖という水が、押し寄せたのだ。彼女は目を泳がせて、半狂乱になりながらこう言った。
「早ければ明日には帰れるんだよね。でもさ、茉莉ちゃん達だってそう思って安心して部屋に入ったんだよ。そしたらこうなってて帰れなくて! もう怖いんだよ分かってよこれ以上この場に居たくないけど足も動かないし頭だって働かないしもう散々なんだよ!」
「怖い気持ちは俺だって同じだ。だが怜美、怖いって思うだけじゃ身を守れない」
真は彼女の震える手を握った。
「犯人は本当に魔術師かもしれないんだよ! だってそうじゃん。そもそも、人間かどうかなんて分かんない。だってこんな島なんだよ? 何が起きても不思議じゃない」
「落ち着け。魔女も魔術師も幽霊も悪魔もいない。悪魔を証明したやつは一人もいないんだからな」
「それって悪魔の存在否定にならない理論のことでしょ!」
「悪魔を連れてきた奴はいないんだよ」
「この島にはいるかもしれないじゃん!」
間違いではなかった。怜美は思考の罠に囚われていた。
今まで起きてきた事件の数々は、魔術師ウィンチェスターが魔術を使って行ったならば簡単に話がつくのだ。蒼佑の死も、この五人の死も。なぜなら、そのどちらも密室であるから。
ドアストッパーを内側に置いて密室を作ったということは、犯人は内側で身を潜めなければならない。しかし、どこにもいない。中にいるのは犠牲者だけ。
怜美は瞬時にそのことを理解し、決壊した。
「安心しろ、怜美。犯人は人間だ」
「安心なんかできないよ何言ってんの。こんなにたくさんの人が殺されているのに、安心なんかできるわけがない! 明日になったら、みんな死んでるかもしれないのに!」
大丈夫だ。真はそう言って、怜美の身体を自身に引き寄せた。彼女の顔が、胸の中に埋まった。
そしてただ一言、真はこう言った。
「俺が守ってやる。だから安心しろ」
あらゆる世界から隔離されたこの島で、唯一守らねばならないのが怜美だった。八条探偵事務所に連れて帰らなければならない。他の人間を守る義務もあるが、人間が守れるのは最大で一人と相場が決まっている。
真はその相場から、怜美を選んだ。
彼女は、真の背中に両手を回した。鼻を