第20話
文字数 5,484文字
食堂は丸いダイニングテーブルが六つ均等に並べられていて、それぞれに四つずつ椅子が置かれている。テーブルは穏やかな赤褐色のラバーウッドで、光沢を放っている。机の中央には小さな紫色のトウモロコシのような花が全席に添えられていて、食堂の優雅さに色をつけている。
既にテーブルの上には幾つもの皿が並んでいて、スモークチキンやレモンドレッシングの彩り野菜など、まとまりのある丁寧な盛り付けがなされていた。
「浅葱君、こっちだぞ!」
手を振ってきたのは怜美だった。怜美は中央右の席に座っていて、他に亜里沙が同席していた。真は二人の組み合わせに多少驚きながらも、怜美の隣の席に腰を下ろすことにした。
背もたれのある座り心地の良い椅子で、まるで布団に座っているかのような柔らかさに包まれる。
「新城さんはいないのか」
真は料理を一瞥した後、空席の一つを見て亜里沙にそう尋ねた。
「あの人は体調が悪いと言って、部屋でお休みになってます。元々胃腸が悪い人で、会食とかも苦手なほうで」
「そうか。一度会って話してみたかったんだが」
「人に自分が食べるところを見られるのが嫌なんだそうです。私は大丈夫なんですけど。だから外食とかは全然しないんです」
会食恐怖症とは違う個性的な癖だと真は感じた。人間には様々な種類と色があるが、いくつ歳を重ねてもそう実感する機会が絶えることはない。
周りを見渡すと、何人かはまだ食堂にいないようだ。黒須家は杏がリミーの隣に座っているだけで紗良も拓真もまだ来ていない。他には茉莉がまだいないようだ――と真が判断した矢先に食堂の扉が開き、茉莉が姿を現した。
「浅葱君、食べないのか」
怜美は食べ物に手を付けていない。亜里沙もその様子で、どうやら真は待たしていたようだ。
「なんだよ、勝手に食べててもよかったんだぞ」
「こういう時は揃って食べるのがマナーだぞ浅葱君。日本の由緒正しい、上品なマナーだ」
怜美はともかく、亜里沙まで待っている必要はないだろうと真は言いたかったが、空腹は些細な事にメスを切りこむ気力を削がせた。
「あら? この花瓶だけ水が入っていないですね」
亜里沙の関心は料理よりも花瓶に向けられていたようだ。団子より花というタイプの物珍しさに言葉を奪われているうちに、亜里沙は席を立ち、花瓶を持って紫苑のところまで届けにいった。
「浅葱君、変な話だと思わないか。他の五つのテーブルの花瓶には水が入っているのに、私達の机だけ違っている。これは、どういう意味なのだろう」
「お前はミステリー小説の読みすぎだ。たまたま紫苑さんが入れ忘れただけだろ」
紫苑は花瓶の中を確認すると、食堂のキッチンに通ずる側面の扉を開けて中へ入った。
その時だった、食堂に響き渡るような声で誰かがこう叫んだ。
「席を退いて! リミーの隣がいい!」
思わず真は、その方向に目を向けた。真だけでなく、シンと静まり返った人々の誰もが彼女を見た。
茉莉だ。茉莉が杏の座っている席を指して、怒りで染まった表情でそう言っていた。
昼間や、さっきまで話していた茉莉とは別人だった。悪魔が取り付いてしまったかのように、幼い子が浮かべるとは思えぬ表情で杏を睨んでいる。
「リミーの隣で食べるって決めた! 先に私が決めたんだ!」
杏は困惑気味にこう言い返した。
「知らないよ、そんなの。私がどこでどう食べようが勝手でしょ」
リミーの隣は杏と根本兄弟で埋まっていた。ちょうどリミーの隣だった純也が席を立って茉莉に譲ろうとすると、茉莉は再びこう叫んだ。
「こいつが退けばいい! 純也も恒も座ってて!」
まあまあ、とリミーが宥めようとしても茉莉の
真は紫苑が机の上に花瓶を置いたことを意に介さず、茉莉の癇癪を呆然と眺めていた。怜美を見れば、彼女は心配そうな表情で見守っている。
「私はお昼に約束してたの! だから茉莉はここに座るの!」
「先に私が取ったんだからいいじゃん。なんであんたの下らないわがままに付き合わないといけないわけ」
茉莉は拳骨を作ってテーブルを叩き、さらに表情を歪めて怒声を放つ。
「私は! リミーの隣がいいんだよ! リミーだって思ってるよ。あんたみたいな薄汚い子供なんかより、私が隣のほうがいいって!」
杏は溜息をついてフォークを持ち、目の前の皿にのってるハンバーグを一切れ口に運んだ。細切れの肉を
「もう私食べてるから、あっちいって」
怒りの頂点に達したのだろう。茉莉は憤慨して杏の座っている椅子を横に倒そうと力を込めた。
すると簡単に椅子が倒れ、杏は地面に叩きつけられる。
誰よりも率先して動いた英は追撃しようと足を動かした茉莉を背後から抱き留め、杏と距離を離す。
「なんなんだよこのガキは!」
今度は杏が声を荒げてそう言った。
「さっきから私も我慢してたけどさ、いい加減にしてよ。あんたの約束なんて知らなかったし、私食べ終わったら部屋に戻ろうと思ってたんだからそれまで待てばいいじゃん。頭悪いんだね。あんたみたいなプレイヤーがゲームを衰退させていくんだよ」
「おまえ、ふざけんなよ! 茉莉が頭悪い? そんなことない私は探偵で何度も勝ってる!」
茉莉は英の制止を振り切ろうともがくが敏腕刑事の拘束は簡単に振りほどけない様子だった。だから、呪詛のような言葉を矢継ぎ早に生み出して杏に叩きつけた。
「おまえのほうがよっぽどクズで無能だよ。部屋に閉じこもりっきりで遺言の謎を誰とも共有しない。ゲームに参加する意思が見られない。ウィンチェスターも悲しんでるよ! おまえみたいなプレイヤーに参加されて迷惑してるよ。とっとと部屋に籠って出てくんな、鳥の糞でも食ってろ!」
「じゃあ聞くけどあんたは遺言の謎が解けたわけ? 解けてないだろうね無知だから。私は一人で挑んでるの。それに比べてあんたは自分一人の力で挑もうとすらしない。最初から談話室で大人頼り。へなちょこなのはあんたの方じゃないの?」
「さっき食べたハンバーグでも吐き出させてやるよクズが!」
止まらない言い争い、ようやく食堂にやってくる黒須夫妻。食堂は混沌に満ちていた。
だがその混沌がピタリと止んだ。つまり、茉莉の怒り狂った表情が解かれて綻び、飛び交っていた怒号が静まり返ったのだ。
奏楽は手に、一つの花を持っていた。花瓶からとった花だ。その花を茉莉の前に掲げてこう言った。
「茉莉ちゃん、お花がこう言ってるよ。もう喧嘩はやめて仲直りしてほしいって。茉莉ちゃんはとっても良い子なことをお花は知ってるんだ。そんな茉莉ちゃんが怒ってたら、お花も悲しむよ」
諭すような言い方に、思わず真の心も同調して和んでいくのだった。
茉莉は落ち着いて、次第にその目に涙が浮かび始める。奏楽は朗らかな笑みで花を彼女に渡した。
「ごめんなさい。黒須さん、酷いことを言ってしまって」
杏は不貞腐れたような表情で舌打ちをした後、食べかけのハンバーグの皿を持って別の席へ移動した。誰もいない空席で、夫妻と一緒に席についた。
英はようやく茉莉を解放し、後に残るのは重苦しい風。皿の上に乗ったハンバーグを見ても、不味い調味料がいっぱいにかかってしまっているようで胃が縮んだと感じるほど食欲は消え失せていった。
それは怜美と亜里沙も同じで、二人は互いに苦笑して場を取り繕っていた。
「――これ、なんだ?」
最初に違和感に気付いたのは真だった。テーブルを見て、少し気を付けないと分からない違和感に気付いたのだ。遅れて怜美と亜里沙がそれに気づき、目を瞠った。
花瓶の花に寄り添うように立てかけられていた。いや、浮いていた。真は花瓶に手を伸ばし、水に濡れたそれを手にした。
丸まった紙。大きさは人間の小指くらいで、羊皮紙のようだった。真は不吉な予感を感じながら、丸まった紙を開いていく。
「浅葱さん、それは……」
純也は真の手に持っている紙に気付いた。その声を切っ掛けとして、食堂にいる全員の注目が紙に集まっていた。紫苑でさえ、これから起こる展開に疑問を抱いている様子だった。
真はここ一番の緊張感を抑えながら紙を広げた。
その内容に、真は慄いた。上から下まで、全ての文字を飲み込もうとするように何度も何度も見返した。
「浅葱君……なんて、書いてあるんだ」
真は尋ねてきた怜美に紙を渡した。すると怜美は、全員に知らせるように音読した。
その音読の中で真は、自分の読んだ言葉が偽りであると願った。
「ルピナス、芦哭島の怪にお越しの皆様。遺言の謎はいかがでしょうか。このゲームの企画者であります、ウィンチェスターです」
全員は固唾を飲んで怜美の声を聞いていた。怜美は少しずつ声を震わしながら続ける。
「この度、ルピナスというゲームで蓄えてきた魔力を用いて私は実験をすることにしました。魔術師として蘇り、皆さんには被験者として楽しんでもらいます」
どういうことだと、恒が口を挟んだ。純也はその恒の肩を掴んで静寂を促し、怜美の言葉を待った。
「私はあなた達の中の誰かに憑依してます。そして天使達の儀式通りにあなた達を殺害し、完全なる魔術師として世に旅立ちます。誰も生きて帰しません。生き残らせません。元より、あなた達は迷える犬。死はさほど恐れないはずですね。私は知ってます。あなた達の苦しみを」
茉莉の目は恐怖に怯えていた。亜里沙は青ざめた表情をして、顔を両手で覆っている。
「私はルピナスという形式通り、魔術を行使していきます。もし探偵が犯人を追及できれば、その時点で探偵の勝利です。私は実験をやめ、あなた達を生きて帰すことにします。ですが先ほども言いましたが、誰一人生き残らせるつもりはありません。それでは、ゲームを心から楽しんでください。決して、自分が犠牲者になってもいいだなんて甘ったるい考えは捨ててください。死にたくなければ。そうだ、そういえば――」
怜美は言葉が詰まって声を止めた。彼女の額は汗が滲みでて、紙を持つ手が震えている。
「そういえば、なんだよ。金井さん、なんて書いてあるんだよ」
恒が先を促す。怜美は絶望的な目を彼に向け、紙を落としながらこう言った。
「そういえば、食堂に来てない人が二人いますね」
亜里沙は椅子を倒して立ち上がり、口元に手を当てながら慌てて部屋を抜け出した。
新城文世は、食堂に同席していない。
英は彼女の後を追おうとしたが、真は英にこう言った。
「あんたが食堂を守っていてくれ、俺は彼女を追う」
「一人だと危険だ! 犯人はどこに潜んでいるか分からないんです。誰か、浅葱さんについていってくれる人は!」
英の視線外から声が聞こえた。手をあげて立ち上がったのは拓真だった。怯える杏を宥めていた彼は、英の提案に真っ向から乗り上げた。
「よし、じゃあ二人で亜里沙さんを追ってください。浅葱さん、こうなったら私も身分を明かさないわけにはいかん。食堂の皆さんは私に任せて、浅葱さんは亜里沙さんを頼みました。ついでに蒼佑の様子もお願いします!」
馬宮蒼佑は、食堂に同席していない。
真と拓真は駆け足で食堂を出た。怜美は「気を付けて!」と二人に声援を送ったが、彼女自身の声が震えているせいで、鼓舞をする効能はなかった。むしろ不安感をより引き立てているだけだ。
念のため食堂の扉は開けたままにしておき、二人は階段を駆け上がる。亜里沙が、文世の名前を呼びながら扉を叩く音が聞こえてきた。
「二人とも、ちょっと待って!」
後ろから声が聞こえて立ち止まる。階段の下に立っていたのは奏楽だった。彼は鍵のようなものを持っている。
「もし鍵が閉まっていたらと思って、紫苑さんからマスターキーを借りてきました。それと僕も同行します!」
奏楽が加わって三人は、真の案で最初に馬宮を呼ぶことにした。生きているか、既に犯人の手に掛けられているかは分からない。だが間違いなく、ついさっきまでは生きていたのだ。
蒼佑は警察だ。四人になれば心強い助っ人となる。
蒼佑の部屋の前についた時、真は愕然とした物を最初に発見した。あり得ないものが、日本であり得てはならないものが落ちていたのだ。
拳銃だ。黒い拳銃が、地面に落ちていた。
「なんなんだよ、さっきから!」
真はイラ付いた様子で馬宮の部屋の扉を叩き、彼の名前を呼んだ。
返事はない。まるで中に誰もいないような――そう思った矢先、中から物音が聞こえた。激しく人と人が争っているような、物と物がぶつかる音が聞こえてくる。
中に、二人いる。何者かが蒼佑を殺そうとしている。殺意を持って、中で争っている。そう直感した真は奏楽からもらったマスターキーを鍵穴に差し込んだ。
だが変な感触だ。奥まで入りきらない。
「なんだよくそったれ!」
「浅葱さん、ここの鍵穴に粘土が詰められてる! これじゃあ鍵じゃ開かない!」
「ならどうやって開けろってんだ!」
犯人は既に答えを示していた。気付くのに三人はさほど時間をかけなかった。奏楽も拓真も、犯人の意図に気付いていた。どうして、そこに、それがあったのか。
真は咄嗟に拳銃を手にして、ドアノブ目掛けて引き金を引いた。安全装置は既に解除されていたのだ。
館内に響き渡る爆裂音。真は拳銃を持ちながら扉を蹴り飛ばし、蒼佑の部屋の中へと入っていった。
「馬宮さん! 大丈夫か!」