第34話
文字数 4,843文字
「僕は昨日、リミーと佐伯さんとの三人部屋だったんだ。部屋に入った後、僕は眠くなってすぐ寝てしまったんだけれどね。物音が聞こえて目が覚めれば、外にリミーと佐伯さんが出ていくのが見えた。それからコーヒーを飲んで数十分くらい寝たフリをしていたら、佐伯さんだけ戻ってリミーが戻って来なかったんだ。佐伯さん、この行動には説明義務がある」
真を除いて、奏楽に視線が集中した。疑いの目を向けられていた彼は、どう説明するべきか考えている様子だ。
「本当ですか、佐伯さん。リミーさんと二人で外に出たというのは」
尋問していた紗良をその場に残して、英は扉に凭れ掛かっている奏楽に詰め寄った。今までと違って英は、何者の追随も許さないような気迫があるのだった。
大して奏楽は、追い詰められた狼のように狼狽していた。
「否定できませんね。僕は確かに、昨日はリミーさんと外に出ました」
「佐伯さん、じゃあ教えてください。どうして外に出たんですか。外に出てはならないという決まりがあったでしょうよ。それを破ったのには、何か理由があるんでしょう。正直僕は、この中の誰も疑いたくない。だから、外に出た理由をきちんとした形で教えてください」
奏楽が説明できなければ、犯人の負けでチェックメイト。様々な謎は残るが、恒の語った唯一の事実は彼を犯人する決定打となるだろう。だが、証拠も動機も不十分な中で彼を犯人に仕立てあげるのは英も考えていないはずだ。仮に自分が犯人だと語っても、誰かを庇っている可能性を否定しきれない。
拓真は、亜里沙が共犯の可能性と言っていた。それは間違いで、主犯格が亜里沙であったなら。
「遺言の謎を解きました、だからゲームマスターを探しに行ったのです」
部屋の中心を、妖精が通って訪れた沈黙。不可思議な時間が一瞬の刻を奪い去っていった。いち早く時間を取り戻したのは英だった。
「遺言の謎を解いた? それは本当ですか、佐伯さん!」
「解きました。答えは単純明快で、ある日のある日時を指していたんです。それがどういう意味なのかは僕には分かりかねます。だけどもしかしたら」
そう言葉を区切った奏楽は、全員を一瞥しながら口を開いた。
「この日時を聞いて、心当たりのある人がいるかもしれません」
「日時を教えていただけますか。犯人逮捕の切っ掛けになるやもしれません」
参加者は、他の参加者に答えを教えてはならないというルールはない。一人が正解に辿り着けば、全員に報酬が支払われるシステム。しかし、奏楽はどういうわけか答え合わせを渋っていた。明確にイライラし始めた英は、強い口調でこう言った。
「今はあんたが一番犯人の可能性が高いんです。いいですか、答えを明かすのは一番賢いですよ。この遺言は、我々を誘うための舞台装置。私は最初、答えなんかないと思っていました。だけど今、あなたは具体的な答えがあると言った。そうであるならば、言ってしまうべきだ。それともあなたが犯人だから語れないんですか」
尋問というより、詰問。奏楽は更に追い詰められていき、常に浮かべていた微笑は今や
「では、これから遺言の答えを説明しましょう。順を追って」
まるでこの流れに憤慨を感じているかのように、奏楽の声には怒気が含まれていた。一体なぜなのか考える前に、真は別の事柄について気になっていた。ゲームマスターを探しにと彼は言ったが、明らかに不自然な行動だった。とはいえ、遺言を解いて彼もリミーも有頂天だったはずだ。館のどこかにゲームマスターが現れたと思っても仕方がない。答えが分かったとマスターに説明する方法が他にないからだ。
真の違和感を拭い去ろうとする姿勢とは裏腹に、この催しで一番の謎であった遺言の謎が解かれ始めるのだった。
「僕は耳を塞がせてもらうよ。こういうのは自分で解くから楽しいんだからね」
プライドが高いのだろう、恒はポケットの中に入れていたイヤホンと端末を繋いで音楽を流し、ソファで寝そべるのだった。真も答えを聞くのはためらわれると思ったが、今はなぞなぞ遊びをするよりも犯人逮捕が最優先だ。救助は来ないのだから。
全員が、奏楽の声に耳を澄ませた。
「皆さんはテキサスホールデムというポーカーをご存知ですか。知らない方もいると思うので説明をしましょう。まずプレイヤーに二枚のカードが配られます。その段階で勝てると踏むならチップを賭けます。その後、場の中央に三枚のカードが置かれ、これをコミュニティカードと呼びます。プレイヤーは二枚の手札と、三枚のコミュニティカードを合わせて賭けるわけです。更にラウンドが進む毎にコミュニティカードは増えていきます。四枚、最大で五枚。四枚になる段階のラウンドの名称はターンと呼ばれ、五枚目のカードが置かれたターンをリバーと呼びます。ここまで説明して、ようやく遺言の謎が解けるようになるわけです。
二人の従者と、三人の人間を率いる八人の天使。この時点でテキサスホールデムの二ラウンド目の段階であると分かります。更にこの、十万分に十五の確率について、これは五枚のカードでロイヤルストレートフラッシュが出る確率となっています。ここまでがお膳立てです。ポーカーのプロならば、この時点で察しがついていたでしょう。
罪の日時を告白せよ。これは答えそのものです。先ほども言いましたが、この遺言の謎の答えは日時でした。
ここから先、皆さんは電卓を用意してください。
ジヘッドレスは一人を掛けた。これは掛け算を意味します。では一を何かにかければ良いのかというと、そうではありません。このゲームはポーカーになぞらえているのですから。一という数字が示すのはハイカードの意味。五枚のカードで、最も高い数値を出して勝利する確率です。これは五十パーセント。なので電卓には五十と入力します。
次にコープレスが掛けたのは五人。太陽と月が入り乱れ、というのは黒と赤のカードが入り乱れていたということでしょう。なのでこの五という数字が意味するのはストレート。更に小人というのは小数点を意味しているため、小数点第一までの数を掛ければ良いと示しているわけです。だから確率は十分の四であり、それを掛ける。同じように、皆さんはメモを取られているでしょうから掛けてみてください。すると――」
その時、紗良は小さな悲鳴と同時に電卓代わりに使っていた携帯端末を地面に落とした。その後に飛び跳ねるようにソファから立ち上がり、暖炉の横にあった薪を拾って構え、威嚇するようにその場にいた全員を睨んだ。
「紗良さん、どうしたんですか」
もう紗良のヒステリックは見慣れてしまったから、英は呆れたようにそう言った。しかし真は、彼女が起こしているのはヒステリックではないと見抜いた。今まで言い合いをしていた目と、今の彼女の挙動が違ったからだ。堂々としていた佇まいから一転して、彼女は弱腰になって足が震えている。
英が彼女に近付こうとすると、紗良は木を振るって誰も寄せ付けないような声でこう言った。
「今ようやく分かったわ。自分の身を守れるのは自分だけなんだってね。ねえ拓真さん、今回の大会で私を誘ったのはあなたよね。どうして私を誘ったのか教えてもらえない?」
なぜ自分の妻がここまで気が触れているのか、拓真でさえ分からなかった。だから返事に困っていると、紗良は追い打ちをかけるようにこう言った。
「どうして教えてくれないのよ、早く教えてよ!」
「落ち着け、紗良。俺がお前を誘ったのは、家族皆で仲良くしたかったからだ。それ以外になかった」
「嘘よ。そんなの嘘! 拓真さん、あなた知ってたの?」
「何を! 俺は何も知らない。こうなるなんて予想もできなかったさ。そして、どうして今紗良がそこまで敵意を剥き出しにしているのかも分からない」
「嘘だよ、嘘だ嘘だよ知ってるに決まってるわ。知ってて隠してたの? 今までずっとどういう気持ちで私と接してたというの? 犯人ってもしかして拓真さんなの? 今まで散々私と喧嘩してきたから、その復讐!?」
「少し落ち着くんだ紗良! 俺は今でもお前が好きだし、俺が犯人でもない。お前に復讐をしようなんて、そんな。考えもしない!」
何が起きているのか、真にもまったく分からなかった。つい先ほどまで恒が奏楽を詰めているのだと思えば、今度は紗良が拓真を犯人だと詰めている。まるで二つのチェスが同時に行われているような感覚だった。事の発端になった恒でさえ、紗良の行動に目を丸くしている。いつ自分に矢が飛んでくるか怯えながら。
「家族仲良くなんて嘘よ。どうして私を誘ったのか、それだけ教えてくれればいいわ。別に私を誘わなくても杏と二人でいってもよかったんだから! いつも家族で出かけると問題が起こるって分かってるでしょ? それなのにどうして面倒な道を選んだのよ。普通あり得ないわ。いくらあなたが聖人でも、面倒事を起こす女を引き連れて出歩きたいなんて思わない!」
「だから言ってるだろ、俺はお前のことを」
最早、拓真は感情に身を任せるだけで精一杯だった。論理的な反論は意味がない。紗良は次々と反論を繰り出してくるからだ。段々と苛立つ拓真の気持ちが手に取るように分かる。人一倍、人の気持ちに純粋な人間なら尚更分かっただろう。
きっと拓真の袖を掴んだのは、それ以上父親が詰られるのが耐えられなかったからに違いない。杏は拓真の言葉を遮った。
「パパに大会のことを教えたのは私だよ。ママと一緒に行きたいって言ったのも私」
杏が口にすると、紗良は
「私、パパのお金を使って勝手にオンラインカウンセラーの人とやり取りしてた。生きるのが辛いって。一年くらい前からね。そしたらその人が、私がミステリー好きだからってこの大会を教えてくれたの。洋館で行われるルピナスと、謎の多い遺言と賞金。私は、この人の言うからって最初にパパを誘ったよ」
勝手にお金を使っていた話については既に決着がついているようで、拓真は追及しなかった。
「じゃあどうして私を誘ったの。あんたは私が嫌いなはず。普通ならパパと二人だけで行くものじゃないの」
どういう訳か、紗良は疑心の塊だった。怯えさえ薄れているが、自分の娘をまだ信じ切れていない様子だった。杏は顔に翳りを生みながら、こう答えた。
「私、オンラインカウンセラーの人にさ。どうしたら家族に受け入れてもらえるかって相談してた」
その事実だけで十分だった。どこからともなくすすり泣く音が聞こえてきたと思えば、怜美だった。彼女は杏の気持ちと共有してしまったらしい。涙もろい性格上、彼女が涙を流すのは自然だった。
紗良は持っていた木を落として、その場にへたり込んだ。拓真はゆっくりと彼女に歩み寄って、肩を抱くのだった。
「なるほど。真さん、答えが出ました」
騒ぎの中、英は遺言の謎解きを続けていたらしい。彼は携帯端末のモニターを真に見せた。涙を拭きとった怜美も近付いて、二人で目の前に表示されている数字を追った。
表示されているのは五つの数字。これを日時と解釈するなら、十一月八日、十六時となる。
「二人とも、この日時に見覚えがあるでしょう。これではっきりしました。この催しは、そしてこの洋館は。最初から殺人事件の舞台だったというわけです」
十一月八日。それは、胎児強奪事件が起きた日とまったく同日であった。
「つまり、これは復讐。犯人は例の事件の犠牲者の親友か親戚か、それはどちらでも構いません。そしてあの反応を見る限り、胎児強奪事件の犯人は」
紗良は憔悴していた。唇をわなわなと震わせて、威勢だけが取り除かれてしまったように、暖炉の前で震えているのだった。