第24話
文字数 5,205文字
「私、知らなかったよ。まさか浅葱君が銃を撃てるなんて」
時間は午後九時をとうに過ぎていて、部屋割りで決まった面々が様々な思いで過ごしている時間が流れる。窓の外からは月が見えず、空は曇っている。真は曇り空のほうが今は好きだった。月明りに照らされる洋館はロマンに溢れているが、母の温もりを与えられるにしては舞台が粗悪だった。
月はかつて、女性の象徴だった。全知全能の神、ゼウスを生み出したのも月だという説がある。
であるならば月は神をも超越した存在。月は、今宵起きたこと全て、そして明日起きることの真実を知り得ているだろう。
真は机の上に置いた銃をもう一度手にして、怜美にこう答えた。
「ミリタリーオタクじゃないから、これが何の銃かまでは知らない。怜美はカーシステムって知ってるか」
アルファベットでシー、エー、アールの順に並ぶシステムだ。怜美は興味もなさそうに首を横に振った。
「銃の近接戦闘向けの構えだ。普通の構えと違って銃を前に出さずに胸の前で構えることから、相手に銃を奪われる心配もなく射撃ができる。銃を少し傾けるのも特徴的だな」
「私が知りたいのは、どこで銃を初めて撃ったのかということだ。よく分からないシステムには興味がないぞ」
勘が鈍いと自負する真でも、怜美が強がっているのが分かった。ごっこ遊びが好きな怜美の前に、遊びではない本物の事件が舞い降りてきたのだ。話していないと気が済まないのだろう。その証拠に彼女は腰を落ち着けるということをせず、部屋の中をしきりに歩き回っている。
「俺が初めて銃を撃ったのはロシアのウラジオストクだ。八条さんと一緒に行って、護身用で学んだ。その時にクラヴ・マガの教室にも行ったな」
クラヴ・マガとはイスラエルの格闘術の一種である。名前こそ知られていないが、今では世界中で通用する格闘術であり、護身用として市民も学ぶことができるのだ。真が学んだのは市民用のものだった。真はざっくりとそう説明すると、怜美は納得したように頷いた。
「浅葱君って、意外と武闘派なんだな」
「シャーロック・ホームズも戦う探偵になってるぜ。今じゃ頭だけを使う探偵は時代遅れだ。犯人と直接対峙して、警察と同様に無力化するくらいの力は必要なわけだよ。ノックスの十戒にも、探偵が武闘派であることを禁止するって文面はなかっただろ」
「しかし、相手が巨漢だったらさすがに太刀打ちできないだろう」
「そんなことはない。人間の中心は弱点だらけだ。腹を通じて肝臓にダメージを与えれば立ってられなくなるし、眉間や鼻は言わずもがな。外は鍛えられても中は鍛えられない、それが人間だ」
「ふむ、道理だ。じゃあどんな相手が来ても浅葱君はワトソンの私を守れるというわけだな」
怜美の言う通りになれば、探偵とワトソンというより女王と側近である。
真はそのあたりを適当にあしらいながら銃を机に置き、怜美の用意したマジョラムのハーブティーを口に含んだ。拓真がわざわざ用意した逸品のハーブティーだ。怜美がパニックに陥っていないのは、鎮静作用が働いているからかもしれない。
消えた花婿が生きているか死んでいるかによって、蒼佑の死の道程が変わってくる。真は昼の出来事を脳裏に蘇らせることにした。
亜里沙と一緒に部屋に入った時、ベッドには人間の大きさの膨らみがあった。眠っているようだったからと、忍び足で遺言の内容を確認したのだ。その時に、何か見落としていないだろうか。
奏楽は直前に文世と会っていたという。それ以外の参加者は全員会っていないと証言したから、最後に会ったのは奏楽だと断定していいだろう。食堂を出る前に奏楽にその時の状況を聞いてみると、彼はこう答えた。
慌てた様子で、食堂とは別の談話室へと入って行った、だそうだ。
「浅葱君はこの第一の事件、どこまで推理できているんだ」
お喋りの止まらない怜美は、やや早口になりながらそう言った。
「確証に至るものはなにもない。死因に直接関係しそうな幻覚剤というのが気になる。あんなのが廊下に落ちていたら俺でも気付いたはずだ。なのに御手洗さんは廊下で拾った。犯人が落としたとしか思えない」
「じゃあどうして落としたのか、ということになるわけだ」
「そうだ。わざわざ死因となりうる凶器を晒したのには意味がある。犯人が慌てて落とした、なんてのは通用しない」
拷問官は、拷問に使う道具を対象に見せつける時点で既に精神的な拷問を与えていると聞いたことがあった。犯人の目的は凶器を見せることによって恐怖を煽り、参加者の統率を削ぐことが目的だろうか。
――いや、これはあり得ない。
参加者に警察がいるのは犯人も知っている。招待状を送ったからだ。警察が一人でもいれば、探偵と協力して他の参加者のパニックを抑えることは容易に分かるだろう。現実に、パニックを起こして命を粗末にした行動をとる者はいない。すぐ喧嘩腰になる紗良でさえサイコロの結果に従っているくらいだ。杏と一緒にいるという条件付きだが。
「私、思うんだけど。これはミスリードの可能性がないか」
「幻覚剤を投与したと思わせることによって、死因を隠蔽する方法か。犯人としてはメリットが大きい。なるほど、考えたな」
「現状、はっきりとした死因が分からないから馬宮君の死因は失血死になっている。だが本来は失血死以外の方法で死んでしまったのかもしれない」
人間が思い込む自然な筋書きで話を構築すると、蒼佑の死はこうなる。
犯人は蒼佑の部屋の中に入り、幻覚剤を投与。その後、持っていた鍵を使って部屋を施錠し、粘土を詰めてその場を立ち去る。幻覚に苛まれた蒼佑は身体を切り刻み息絶える。
しかしこれが虚実ならば。幻覚剤が投与されていないならば、真が聞いた音はやはり争う音であり、犯人は部屋の中にまだいたことになる。
もしくは争うような音をわざと立てていたとも考えられる。
「酷い迷路だな、こりゃ」
考えれば考えるほど迷路の広さに絶望する。幻覚剤とは探偵を苦しめるために用意された舞台装置ではないかと考えられるほどの苦難な道具だった。
「こればっかりは俺が出る幕じゃないさ。明日になれば送迎用のフェリーが来て帰れるはずだ。そしたら死因を解明して犯人は特定される。この島も隅々まで調べられるだろうな」
「でも浅葱君、こういう場合って大体フェリーって来ないんじゃないかな」
忙しなく歩いたり、指を噛んだりしていた怜美が立ち止まって真に不安の色を帯びた眼差しを向けた。
「さっきから、もしかしてそんなことを考えてたのか。安心しろ。明日の天気は晴れだし、送迎用のフェリーが来なくても警察がやってくる。そうすりゃ、俺たちは助かる。良かったな、嵐の孤島物ミステリーじゃなくて」
「でもさ! 犯人って、精神病院から脱出してまでこんな大がかりな事をする人だよ。そんな簡単に逃がしてくれると思う?」
「大丈夫だ、心配ねえよ。馬宮さんや、多分新城さんが死んじまったのは残念なことだ。だが、犯人には必ず法の裁きが下される。明日になって本格的な捜査が始まり、警察はすぐに動く。俺たちはただ生き残ることに必死になればいい」
残った人数は十四人。警察が一人と拳銃が一丁。犯人が最悪三人だったとしても、明日一日同じ部屋で固まっていれば、確実に生き残られる。これはミステリーというよりも、サバイバルなのだ。
ルピナスというゲームは今や身を潜めている。遺言の謎というのも蚊帳の外だ。犯人は最初からゲームをするつもりで呼んでいない。皆殺しにするつもりで呼んだのだから。
「犯人、誰なんだろう」
怜美は根っからの探偵気質があるようだったが、真にはなかった。謎を解くことよりも最優先したいのは生存。とりわけ怜美のことは、命を賭けてでも守るべき存在だと考えていた。血は繋がっていなくとも怜美と二十は最早家族のような存在で、事務所の支えにもなっているからだ。
生存の方法を巡らしている時、外から足音が聞こえた。ゆっくりと忍ぶような足音だ。声は聞こえない。
「怜美、今日は九時以降は部屋の外に出ないってことでルールが決まってたよな」
「そうだけど、それがどうかしたのかな浅葱君」
生存者達にとって安息の場であるのが部屋。英は部屋割りをする時、その秘匿性に重きを置いていた。つまり、誰がどの部屋に入っているかというのは真も知らないのだ。犯人が内部にいた場合、殺害したい対象がどこにいるのか分からないようにできる工夫だった。
今は誰が殺害対象になっているのか分かっておらず、無差別かもしれないと考える中で外に出るのは
英もまた、外に出ることはない。自分の部屋の状況を見守っておらねばならず、見回りをするとは口にしていなかったし、何より九時以降に外に出ないとルールを定めたのは英だった。
部屋には冷蔵庫、簡易的なシンクとキッチン、手洗い場が用意されている。一晩過ごすには外に出る必要のない部屋だ。
したがって、外に出歩いているのは以下の可能性となる人物である。
犯人。蒼佑の部屋には誰もいないから、蒼佑の遺体に何かを施しに出たか、あるいは何らかの策を練って殺人を決行しようとするか。
刑事。九時に外出するというルールを知らない参加者はいない。だが、万が一犯人の痕跡を見つけた英ならばルールを破ってでも犯人を見つけようとするかもしれない。
真が銃を手に耳を澄ましていると分かった怜美は、動き回る足音を止めて周囲に耳を凝らした。彼女も小さな、ゆっくりとした足音に気付いて扉の前から離れた。
二人は頷き合って、真は廊下側の壁に耳を当てた。
はっきりと、靴が床を振動させる音が聞こえる。靴の種類は分からないが、既に扉の前を通り過ぎているようだった。その先は階段で、足音は玄関ホールに向かっているようだ。
真は汗ばむ手でドアノブを握り、些細な音ですら立ててはならないと言わんばかりに丁寧にノブを捻り、わずか数ミリだけ扉の隙間を作って外を窺った。一瞬、後ろ姿が見えたが、その陰はすぐに死角に入って見えなくなった。
今なら犯人を特定し、安全を確保できる絶好のチャンスだと思えた。真は銃で扉を押し、腰を下げて外に出た。怜美には部屋に残っているように合図をして、真は亀の足でホールへと向かった。
扉の開く音が聞こえた。食堂か、談話室か。どちらかは分からない。
だが次、扉に鍵がかかる音が聞こえて談話室だと理解した。食堂は内側からは鍵を閉められないようになっている。紫苑からマスターキーか鍵を借りない限りは外側から食堂を閉められない。真は足音に気を配り、談話室の前まで訪れると扉に耳を当てた。
驚くほど、静かだった。誰の声も音も聞こえない。
扉のすぐ近くで、犯人も耳を当てている……? そう感じた真は戦慄し、扉から離れた。
まるで自分が幻覚を見ているかのように、些細な音鳴りが気になり始めた。隙間風の音、木が揺れる音。そのどれもが自分を殺すような気がして、真は恐怖心を覚える。だが真は、一つだけどうしても調べる必要がある事柄があった。彼は談話室のドアノブに手をかけて、静かに捻った。
扉はなんの抵抗もなく開いた。施錠した音が聞こえたはずなのに、開いたのだ。
談話室の中は暗闇。真は身の危険を感じながらも、談話室の扉を開いて中に入り込んだ。近くにあったサイドランプに光を灯すが、やはり中は無人だ。
誰かが争った形跡もない。犯人は談話室には来ていないか、そもそも足音の主は犯人ではないか。鍵の音がしたということは、紫苑である可能性だって出てきたのだ。鍵を持っているのは紫苑だけなのだから。しかし、もし同室した人物が紫苑から鍵を奪ったならば――。
思い思いのパズルのピースを集めながら俯瞰気味に室内を見渡していると、真は小さな違和感に気付いた。それは机の模様だ。昼に談話室に訪れた時にはなかった模様に気付いたのだ。
黒いインクが塗りたくられたような模様。真は嫌悪感を覚えながら机に近付き、その模様に手をつけた。
生暖かな感触を覚え、真は手を引く――すると、その手が誰かに掴まれた。
ほぼ同時に足の関節に蹴りが入れられ、真はその場に膝をつく。銃を持っていた手を捻られて地面に唯一の武器を落とし、真は腕に何かが刺さったような痛みに襲われた後、猛烈な眠気に苛まれて地面に横たわった。
最後の気力を振り絞ってうつ伏せの状態から仰向けになり、犯人の顔を拝もうとした。
犯人はフードを被っていて、その奥は漆黒だった。まるで顔のない人間のように、ただ漆黒だけが広がっていた。真は犯人に手を伸ばしながら、徐々に意識を失っていくのだった。