第8話
文字数 4,397文字
「いや、どうもこんにちは」
真には表情は見えないが、奥にいるのは若い男性だということが分かった。その後にもう一人、同じくらいの年齢の男が怜美に挨拶をした。
「ここ、浅葱さんの部屋ですよねえ。あなたは確か金井さんだ。お二人ご一緒に、仲良く遺言の謎解き中でした?」
食い気味にくる男だ。自分の成果発表を邪魔された怜美は負けじとこう言い返した。
「何か私達に用事かな」
「いえいえ、そんな大それた用事ってことはないんですよう。ただね、お二人が探偵だって聞いたもんだから、私共もちょーっと力を貸してほしくて。はっはっは、なに、ほんの五分程度でいいんですよ?」
怜美は訝しんでいるようだったが、腕を組みながらゆっくり扉を開いた。早速と目が合った男は、営業的な笑みを浮かべて真に手を差し出した。
「どうも、僕は
馬宮の苗字は
「どうも! 俺は先輩みたいに堅苦しいのは苦手なんで、たまに礼儀知らずって言われることもあるんですけど。怒るのだけは勘弁で!」
二人の対照的な性格もそうだが、真が興味を惹いたのは二人の衣装だった。二人は柄さえ異なれど、体に馴染んだ背広姿だったのだ。社交場ならまだしも、素人が考えた遊びにスーツ姿で来るというのは不自然に思えた。蒼佑は堅苦しいのは苦手だと言っているのだからなおさら、異端さが際立つ。蒼佑も英も髪を整えているから兄弟のように思えるが、彫りの濃い顔立ちの蒼佑の方が身長が高い。一目見ただけでは、蒼佑が英を先輩と呼ぶと想像はできないだろう。
そして、英は真の勘づいた違和感に気付いたようだった。
「やっぱり気になります? この服」
「場違いな気がしてな」
怜美は三人分のコップを用意して、どこで用意したのか氷まで入ったガラスのコップを机の上に並べた。ちょうど三角形になるような並び方だ。
「八条探偵事務所、僕は聞いたことがあるんですよねえ。だからあなた達が探偵だと信じて、正直にぶっちゃけちゃいます」
英は目の色を変えて、コップに口をつけてからこう言った。
「僕たちね、刑事なんです。東京の」
手慣れた動作で、二人は警察手帳を掲げた。それが偽りでないことを確認するために、彼らはわざと長い間怜美と真に見せているようだ。
練馬警察署。真が目を引いたのはその文字だった。東京の練馬区で起きた
「休暇を取る場所を間違えたんじゃないのか」
「いやあ、僕たちもこれが休暇ならどれだけ嬉しいことかって思っちゃうんですよねえ。こんなに綺麗な島でしょ、海も青い。僕ね、キャンプしたり船釣りにでたりするアウトドア派なんですよ、こう見えて」
「自分達が警察だって、他の連中には言ったのか」
英はゆっくり首を横に振ってからコップを机に置き、腕を組んだ。
「皆さんにはぜひ謎を楽しんでほしくてねえ、言ってません。警察がいたら何事かってなっちゃうでしょ」
「ならスーツで来るのは間違いだったな」
「ああ、これですか。いやあ、はっははは! 本庁も困りもので。公私はしっかりするべきだと言われちゃいまして――さてと、そろそろ本題に入りますか」
東京の刑事の介入。思えば、最初から不吉なゲームであったように思う。企画者は不在で、多額の賞金。意味深な遺言に、暴力的な絵画。
「浅葱さん、探偵のあなたなら耳にしたことはありますよねえ。十一月八日のあの事件」
「胎児強奪事件、だったな」
「さすが、話が早くて助かります」
ニュースや週刊誌は、その事件のことをこう語った――地上に降りた悪魔が、人の子を
東京都練馬区の一軒家で、若い女性と男性の遺体が見つかった。妊娠中だった女性は腹が切り裂かれていて、中にいた胎児は犯人の手によって奪われた。さらに男性は頭部が欠損した状態で見つかり、平和だった世の中に起きた惨劇を前に市民たちは様々な恐怖の感情を強いられた。
犯人は捕まっていない。胎児の行方も分かっていない。混乱した市民たちが警察を
「例の事件なんですがね。ああこれは、極秘のお話なので他言無用でお願いします」
「俺が探偵だから話すって言ってたが、俺はあんたと面識がない。書類も何もなく喋っちまっていいのか」
怜美は窓辺で立ったまま、英達の声に耳を傾けている。いつになく真剣な面持ちで、メモをとっているようだった。
「ここには監視カメラもなければ盗聴器もない。僕が一番最初に館についてひとしきり全部調べました。だから、ここで話したことは浅葱さんの、頭の中の引き出しにしまっておいてくれれば良いってわけです。なぁに、プライバシーを話すわけじゃない」
蒼佑の人当たりの良かった笑みは消え、部屋の中から仲良しごっこをする空気は完全に追い出されたようだった。
「事件が発覚した八日の前日にね、練馬区内にあった精神病院から一人、患者が脱走してるんですよ。自閉症スペクトラム障害と、ボーダー、更には対人恐怖症、自殺未遂まで起こした重度の患者です。ほぼ閉鎖病棟みたいなものでねえ。どうして脱獄したのかまだ分かってないんですが、どうやって脱獄したのかは分かっているんですね」
そこでもう一口、彼は麦茶を口にしてこう言った。
「協力者がいたんです。まあ言っちゃいますと、面会の最中に逃げ出したんですね。それでその後音信不通、目撃証言もなし。いやはや、困りましてねえ」
「俺に、その患者や協力者のことを聞きに来たのか」
「そう思うでしょ。ただ事態はそんなに単純じゃないんですよ。これに気付いたのは馬宮ちゃんなんですけどね。おかしいんですよねえ……。検死の結果、妊婦さん……ああもう名前で言っちゃってもいいのか。
「じゃあ偶然なんじゃないのか。違う事件がたまたま同日に起こったというだけで」
「それなら話は早いんですがね、解決に結構遅くなっちゃってるには理由があるんです。どうやらカメラを見る限り、聡美さんの旦那さんが脱走の協力者みたいでねえ」
ペンを走らせていた怜美が、すっかり不機嫌が直った様子で英にこう尋ねた。
「聡美さんが殺害された後、しばらくは旦那さんは生きていたということ?」
「そうなっちゃうんですよねえ。そしてなぜか精神病院にいって、患者を脱走させる。最初は誘拐かと思いましたけどね、カメラ見る感じだとそう見えなかったんでそう言います。で、旦那さんはその後に死亡。これが一体どういうことかさっぱり分からなんですわ」
様々な事件を出くわしてきた真だったが、ここまで怪奇的な事件は初めてだった。状況的に考えるならば、犯人は二人いて聡美を殺害させたあと、その夫に精神病の患者の脱走扶助をさせて、用済みとなった男を殺害。この筋なら通るのだが、警察も既にその線で動いてはいただろう。動いていたが、事件はまだ解決していないのだ。
犯人が二人いるというのが間違いなのか、脱走扶助をさせたというのが間違いなのか。
「それで、どうしてあんたら刑事がこのゲームに参加しているんだ。とうとう事件の謎が分からなくなって投げ出したってわけじゃないんだろ」
真がそういうと、英は笑ってこう言い返した。
「僕もそうしたいところなんですけどねえ。世間の目が許さないんですわ。じゃあ一つ、面白い話をしましょうか、浅葱さん。竹井聡美さんのご両親、どうやら相当なお金持ちらしくてね。戸塚コンサルティング会社って有名でしょ。あそこの会長さんの娘らしいんですわ」
「この島の所有者がその会長だか、娘だかって話か?」
「お察しが早い。この島ね、分譲地なんですよ。島の東側、あぁつまりこの館があるところが聡美さんの土地で、もう半分はまったく関係ない人達が所有してるところなんですね。まあとは言っても、手付かずのところなんで実質聡美さんが所有しているということになってますけれど」
「どうりで賞金がでかい訳だ。やっぱり金持ちの承認欲求を満たすための道楽だったか、このゲームは」
「浅葱さん、一つ見落としてませんか。所有者が死亡し、それを受け継ぐはずだった旦那さんも死亡した。だから一応、所有権がどこにあるのかは今審議中なんですよ。仮で聡美さんのお父さんということになってますけれど。でね、私はゲームが始まる前にちょっとだけ調べさせてもらったんです。したらね、会長さん。このゲームのことを知らないって言うんです。普通こういうゲームの企画者って所有者であることが多いでしょう? いやはや」
このゲームに、企画者が存在しない。
「このゲームは、俺たち参加者がネットに応募して参加できるものだ。だから企画者が存在しないなど、ありえるのか」
「現に所有者は死亡しているんです。つまり、この島のことを知っていて且つ二人が持っていた大金を利用できる人間にしかゲームは行えないんですね。その人間、思い当たりません? 浅葱さん」
試されるような口ぶりだったが、かまわず真は考えた。
死亡した夫婦の財政状態や、島を所有していることを知っていた人間。英の話してきた中で出てきた登場人物の中で、もっとも適当らしい人物といえば。
「患者か」
どういう理由かは分からないが、殺害された夫は患者を脱走させた。二人の間に何らかの関係があったのは明白で、大金のことも島のことも知る機会ならあったはずだ。
「でね、その患者さんなんですが――」
喋り疲れて喉が渇いたのか、含みを持たしたのか。どちらにせよ英は麦茶を口に含んでグラスを置いた後、体を前のめりにして小さな声でこう言った。
それは小さな声だったが、二人の心臓を掴むには十分過ぎる形を持っていた。
「いるんですよ。この島に」
英がそういった途端、怜美の手が止まった。真も息を止めた。