第31話
文字数 4,268文字
中は騒然としていた。誰もが暗がりに目が慣れていないからその場でうろたえることしかできなかった。だがしばらくして、英はどこかから取り出した懐中電灯をつけ、一筋の光で周囲を照らした。
「懐中電灯なんてどこにあったっけ」
怜美の声がそう言った。扉からはそこまで遠くな位置にいる。
「念のため持ってきておいたんですよ、懐中電灯。停電は予想はしてませんでしたが、持ってきて正解でした。皆さんどうか落ち着いて、確か談話室には充電式のランプがあったはずです。ですよね、紫苑さん」
「はい。部屋の西中央の壁に少々大きめのランタンがあります。一晩過ごすには十分な明るさが確保できるかと」
つい先ほどまで言い争いをしていた紗良と恒は勢いを無くしているようだった。少しずつ暗闇に目が慣れてくると、二人はソファにどっさりと座り込んでいるようだ。拓真は紗良の隣に座り、腰に手を添えている。
「一晩過ごせるなら問題ない。浅葱さん、今すぐブレーカーを元に戻したいところですが、それは朝日が見えて明るくなってきたからでどうでしょうかね」
真は同意の返事をした後、紫苑の言っていたランプまで歩きだした。暗がりの中、獰猛な狼がいるかもしれない。警戒は怠らなかったが、問題なくランプの前までたどり着いた。
だが、既に先客がいたようだ。奏楽がランプの前で、明かりをつけようと試行錯誤していた。ランプは机の上に置かれていて、それ以外には花瓶が乗っていた。
「点け方、分かるか」
真がそう尋ねると、彼は振り返って苦笑いを浮かべた。
「それが、こう暗いとスイッチの場所が分からなくて。すみません、何かお役に立ちたかったのですが」
「俺も探す。二人で協力して、やってみよう」
大人が二人掛かりで電気のスイッチを探すのにひと手間かけるのは、はたからみれば
どこからか安堵の溜息が聞こえる中、英は周囲を見渡した後にこう言った。
「皆さん安心してください。今の暗闇の中で殺人が行われた形跡はなさそうです」
誰も想像していなかったことを英がいった。真でさえ、思いつかなかったことだ。だから誰もが英の声に言葉を失った。
暗闇の時間はおそらく、五分から七分ほどだ。その間に談話室に犯人がいたならば、誰か一人を殺害するなど容易いことだった。特にこの中では最も弱い杏なら抵抗する暇なく殺められただろう。だから英は即座に懐中電灯をつけ、周りに光を当てていたのだ。
真でさえおぞましく感じた。暗闇とは犯人にとって大きな武器となる。顔は見られないし、被害者は反撃しにくい。というより不意打ちなのだから反撃の余地さえないだろう。
今の短い時間で、全員が死と隣り合わせだったのだ。
「この停電が意図したものか自然的なものかは分からない。だがもし意図的なものであれば、一つの事実が浮かんでくる」
真は冷静になりながら、壁にもたれかかって腕を組み、こう続けた。
「犯人はブレーカーがどこにあるか知っている人間だということだ」
真に続いて、英がこう言った。
「これだけ大きな屋敷です。談話室とホール以外の電気は全て消えているのだから、自然に停電したとは考えにくい。何者かが下ろしたというのが妥当な考えです」
「ということはつまり、今ここいる僕たちは犯人ではないということですね?」
穏やかな口調で拓真が言った。彼は英の目を真っすぐ見ていた。
「そうなるでしょうなあ。となれば浅葱さん、この停電というのは、犯人にとってどういう意味があるんでしょうかねえ」
犯人の行動の意味を考える時に一番大事なのは、犯人の身になって考える事だ。犯人の目となり、想像する。なぜ停電を起こしたのか。殺人が行われなかったということは、それ以外の目的があったということではないか。
奏楽はランプから離れ、談話室の扉に近寄っている。外の気配を窺っているのだろう。
「俺たちを
「ほう。というと?」
「今、停電が起きた時俺たちは全員屋敷の中にいた。談話室にもホールにもブレーカーはない。そういえば、ブレーカーはどこにあるんだ。紫苑さんは知らないか」
不意に尋ねられた紫苑は少し考える素振りをみせた。彼女は今回のゲームのために雇われた使用人だ。ブレーカーの位置は把握しているはずだ。
「屋敷の外、北西側です。男性化粧室にある換気扇の近くの壁に取り付けられています」
「詳しい解説、感謝する。真っ暗になった時、俺たちは全員屋敷の中にいたはずだ。俺と佐伯さんが保証する。俺たちはアルカナカードについてホールで話していたが、誰も外に出て行った者はいなかった」
ふとした時にこそ、気付くものがある。それは人の視線だ。電車の中や道を歩いている時に、気付いたら誰かが自分を見ていたという現象が起きる。大概の場合目を合わせてしまったら目を逸らされてしまうから、今度も同じだと思った。
しかし杏は、じっと真を見つめていた。
彼女は拓真の横に座って、父の手を握っていた。何かを訴えかけるような目で真を見ていた。
「杏ちゃん、どうしたの?」
その目に気付いたのは怜美も同じだったみたいだ。怜美はなだめるような声でそう言った。全ての視線が杏に注目して、彼女は少し震えながらも、唾を飲み込んで口を開いた。
「馬宮さんが殺された時も、五人が殺された時も、停電が起きた時もさ……。浅葱さん、私達の知らないところにいたよね。浅葱さんだけじゃなくて、佐伯さんもだけど」
杏に指摘された時、真は目の前が真っ白になったような気がした。
「いえ、今回の事件と浅葱さんは無関係です。杏さん、突飛した考えが過ぎますよ」
咄嗟に真を庇ったのは英だった。しかし、真しか知らない事実がある。停電の件を除いては、一番最初に遺体を発見しているのは全て真自身なのだ。
俺は殺していないと、声を大にして叫びたくなる気持ちを抑えた。誰もがそうだろう、犯人ならば誰もがそう言うだろう。
「だっておかしいじゃん。食堂にいた時、銃を持って帰ってきたのは浅葱さんなんだよ。五人が死んじゃった事件も、浅葱さんはこの部屋で気を失ってたって話だけど、それって嘘じゃないの? 御手洗さんを騙すための芝居だったんじゃないの?」
「杏、やめなさい。停電した時に浅葱さんは屋敷の中にいたんだよ」
「お父さん違う! 停電する前、浅葱さんと佐伯さんは部屋の中にいなかったよ!」
真は今、はっきりと理解した。いや、理解させられたのだ。この事件の犯人は、探偵である真を犯人に仕立てあげようとしている。杏の主張は正しかった。どの視点から見ても言い逃れができないのだ。
言い逃れをしようと思えばできる。だが逃げれば逃げるほど、無様な
味方にできそうなのは怜美と奏楽だけだ。蒼佑の事件に限り拓真も無罪を証明できるが、それ以降は不可能。
「杏さん、今あなたが言っているのは状況証拠って言いましてね、犯人を断定するには弱すぎる証拠なんです。たまたま三回浅葱さんがいなかったからって犯人だと決めつけるのは早計です。犯人の罠かもしれない」
熟練の刑事なだけあって、英も真が犯人だとは思っていないようだった。刑事になだめられて杏は言葉を引っ込めたが、視線は真をきっと睨んでいる。
自分を助けてくれた人が犯人かもしれない。杏からすればそれ以上の裏切りはないようだった――と考えていた矢先、杏は思わぬことを口にした。
「だって浅葱さんか佐伯さんが犯人じゃないと、ウィンチェスターが実在して、私達を狙ってることになるんだよ」
それがどうしたんだと拓真が訊くと、杏はこう言った。
「知らない人が多いみたいだから教えるよ。ウィンチェスターって優しい時はすごく優しいけど、怖い時はすごく怖いんだよ。私、聞いたことあるんだ。ウィンチェスターは霊魂になって彷徨っているけれど、いつか復活しようとしてるって。そのために生贄を捧げようとしてるって! その生贄に必要なのは十六人なんだよ。もしウィンチェスターが本当にいたら、私達は全員殺されちゃうんだよ!」
杏は過呼吸にながら、青ざめた表情をしている。拓真が必死に肩を抱いて落ち着かせようとしているが、杏はパニックが収まる様子がなかった。見かねた紗良が杏に水を飲ませると、彼女はようやく手の震えも収まってきたようだ。
「なるほど。だから杏さんからすれば、浅葱さんを犯人だと思ったほうが安心できるということですね」
英が総まとめをして、ようやく一区切りがついた頃には真も思考するための気力は戻っていた。
停電させた理由は、やはり真に疑いを向けるためだったのだろう。それ以上に意味はない。真はいい加減、頭を使うのに疲れてきた。自分が疑われてもいいから、今は簡単な推理で終わらせたほうが楽だった。これ以上考える必要があるだろうか。
ところで、なぜ犯人は真を殺人者に仕立て上げたいのか、その動機が分からない。更に言えば、もう一人怪しまれていた人物がついさっきまでいたではないか。
それは紗良だ。恒が掲げた手紙は間違いなく食堂で目にしたものと同じ材質だったから、恒が予め同じ材質を持って自作自演をしていなければ、紗良も疑われて当然なのだ。ところが紗良は全ての事件に関係がない。
犯人の動機が分からない。思考の迷路は進んでは行き止まり、戻っては道に迷いを繰り返して、今やスタート地点の場所さえ分からなくなっている。鏡の迷宮のようだった。
考えれば考えるほど頭が痛くなる。真はキリっとした痛みが額を襲い、思わずその場所を指で押さえた。その時だった。
「ね、ねえ真君。それ……何……?」
声を出したのは怜美だ。「それ」と言われたのだから、どこかに「それ」があるはずなのだ。怜美の指先を見てみた。彼女はランタンを指している。最初、真は何がどこにあるのか分からなかった。ランプに虫でもついているのかと思えた。だから「それってなんだよ」と聞き返そうとして、真は言葉を殺した。
怜美が青ざめた表情をして指した先は、ランプの机の上。そのランプの明かりに照らされて、丁寧に折りたたまれた羊皮紙が我が物顔で乗っていたのだ。