第38話

文字数 4,663文字

 混沌という元素が、冷静という元素と混ざりあっている。一見、談話室は誰もが沈黙を守って音を立てずに過ごしているように見えた。だが彼ら生存者の浮かべている表情は、平和とは呼べない鬱蒼とした面持ちであるのが確かだった。そんな中で亜里沙だけは、全てから解放されたと言わんばかりに柔らかく緩んだ口元で紅茶を嗜んでいるのだった。
 暖炉から発生する熱気が少しずつ暑く感じ始めた時、真はもう昼が近いのだと実感した。紫苑が用意してくれた非常食を平らげていた時は、まだ十時だった。
 まだ痛む右手の拳を左手で支えていた真は、ただ静かに時間が過ぎるのを待っていた。
 ウィンチェスターからの条件をもう達成された。犯人を特定し、隔離した。これ以上の事件はもう起きようがない。だから後は自由気ままに過ごせばいいのだ。
 だが、違和感。まるで演劇のシナリオが、その通りに進んでいるような予感をひしひしと感じている。ウィンチェスターは、まだどこかで笑っているような気さえするのだ。
 昨日リミーと二人で外に出た不審な動きは、奏楽を殺人者と仕立てあげるための状況証拠としては十分過ぎるほどだった。だが、ここで重要となってくるのは真自身は見てないという事実。恒が奏楽を犯人にでっちあげるためについた偽証だと論じても不自然ではないのだ。無論、奏楽は二人で外に出たと証言済みだから偽証ではないのだろう。ならば奏楽は、なぜ自分が犯人になるリスクが高すぎる選択をしたのか。恒が寝ぼけて夢でも見たと一言言えば、それだけで疑いの目を向けられずに済んだのだ。
 少なくとも第一の事件――蒼佑の事件においては奏楽は犯人ではないはずだった。その場で一緒にいたのは奏楽と拓真。中で発生していた物音はカセットテープやスピーカーから流されていたものではないとは既に確定している。
 第一の事件と第二の事件は別にいて、奏楽はその共犯者である可能性とするならば話は変わってくる。
「本当にこれで終わったのかしら」
 静寂の皮を剥がしたのは紗良の一声だった。真が数十分前からずっと考えている思考に対して、最も短絡的に表した言葉であった。誰も否定的な意見を出せないのと同時に、英は同意の声を口にする。
「女性というのはなかなかどうして、鋭いものですなあ。まだ終わってないように思いますか」
 紗良は胎児強奪事件の犯罪者というのもあって、英はずっと彼女を見張っているようだった。手錠こそかけていないが、彼女を凶器になりそうな物から遠ざかる位置に立たせていたのだ。
「若杉さんが嘘をついているとは思えない。だから、きっと佐伯さんは犯人の一味だと思う。だけど、こんな大がかりな催しを開いておいて私を自白させるだけで終わりだなんて、到底考えられないのよ」
「ええ、僕もさっきからずっとそれについて考えていましてね。今回の事件は単独犯ではまず不可能。実行犯は二人は必要だと推測してます。ここから先は、ちょいと僕の勇み足。それでもよければ話しましょう」
 英の言葉を遮る者はいなかった。真は現役刑事の推理を耳にして新たな発掘ができる可能性を感じ、怜美と二人で彼の声に耳を傾けるのだった。
「ルピナスというゲームは、かの有名な人狼ゲームに似ている。僕も結構ハマってましてね。その中で身内切りという戦術があるんですわ。人狼、言わば犯人が二人だと設定されていた場合、犯人の線が濃厚になった人間は、片割れからあえて突き放される、こうすれば、突き放した犯人は疑いの線が鈍くなる。理由は単純です。普通仲間同士なら守り合うでしょうが、あえて見放す戦い方によって自分を被疑者の線から逸らせるんですよ。その後は、淡々とバレないように殺人を執行していくだけで良い。なぜか分からないんですけどねぇ、今の状況、その身内切りと似ているような気がするんですよねぇ」
 ウィンチェスターの殺人において、実行犯が二人いる可能性がある。共犯者は亜里沙。奏楽は実行犯の一人だったが、昨晩に恒に行動を見られたのが原因で相方から見放された。人狼というゲームにおいてはもう片方の人狼が炙り出されないようにするやり方だが、現実世界においてその戦術を取る理由としては、幾つか考えられる。
 一つ目は単純で、事件がもう終わったのだと錯覚させる。人狼は犯人の数が明記されているが、現実はゲームではない。最初から犯人が何人いるのかは分からないのだ。
 二つ目も単純だ。チームプレーの求められる事件において、片割れが過失的なミスをそれ以上犯さないための保険。
 だがウィンチェスターの事件において、もっとも可能性が深いのは三つ目の理由だ。それは、油断。犯人が一人確定すれば、緊張感は薄れるものだ。呆気なく奏楽が隔離されたが、あまりにも唐突な展開で大体の生存者は疑心暗鬼に陥るだろう、そこまで犯人は計画している。疑心暗鬼になっている人間は、安らぎを求める。自分が安全だと知る場所を求めるのだ。自身の安全を確保する理由付けが必要なのだ。その理由を犯人は与えた。
 ――だけど、少なくとも一人は逮捕されているんだから、私達は今は安全なのかもしれない。
 奏楽は今、独房代わりに彼の部屋に隔離されている。手首とベッドを手錠で繋がれて拘束されているから、無用な手出しはできない。もう一人の実行犯はその安心感を与え、油断を誘おうとしている。
「僕が相手してきた犯人の中で、明らかに狂ってるやつが一人いたんです。そいつは男で、絵を売って稼いでる奴だった。犯行手口も無残なもので、生きた人間の足を切断して手を鎖で縛り、蝋人形にしていったんです。日本だとは思えないほどのシリアルキラーっぷりでした。だけど巧妙なトリックで僕らを(あざむ)き、逮捕までは一年かかった。ようやく僕が奴の家に押し入った時、やつは絵を描いてました。そして立ち上がって僕にこう言った。やっと、見つけてくれたんですねって」
 常軌を逸した人間だった。あまりにも残虐なのか、その事件は世間には知られていない。新聞をたまに読んでいる真でさえ初めて知った事件だった。
 今の話は事件の一部を刈り取った、英から語り紡がれた狂気だ。だが、その狂気には続きがあった。その続きを聞いた時、その場にいる誰もが絶句した。
「取り調べ中、奴はあっさりと自分が犯人だと認めました。そしたら僕にこう言った」

「僕にとってトリックは、かくれんぼと同じなんです。僕が逃げる側で、すごく良い隠れ場所を見つけて隠れるんです。自分だけが見つけた高揚感、そして見つからないだろうという自信。だけど、本当は見つけて欲しいと思っています。だって見つけてくれないまま友達が帰ってしまったら、僕がその最高の隠れ場所に隠れていたと気付かれない。僕だけが知っている。それはつまらないし、退屈だ。僕が出ていけばいいというのも違う。それじゃゲームにならない。大事なのは僕が良い隠れ場所を見つけて、鬼に見つけてもらう。この流れなんです。謎というのは、明かされないとつまらない。だけど自分から明かすのは、まったく異なる」

「僕がどうして実行犯が二人いるのかという可能性を追求する理由には、もう一つ単純なのがありましてね。僕は今回の犯人は精神病患者だとしか思えんのですよ。事実、病院から脱走して以降居所が掴めていないんですからねえ。で、僕はその精神病患者の顔写真や性格まで知っている。それと照らし合わせると、佐伯さんはどうもその患者とは違うんですよ」
 時間が進むほどに深まっていく迷路は、出口があるのかさえ分からなかった。出口がある保証がない。実行犯が二人いる可能性が提示された今、殺害される可能性も出ている。英は実行犯の罠にかからないよう、あえて恐怖を与える話をしてみせた。ビッグブラザーの目は、どこにでも潜んでいるのだと教えた。
 油断しているよりは、空気が重くなるとしても緊張感を武器にしたほうが何倍も生存率は上がる。真はこれから起こりうる惨事を想像し、あえて恐怖心を高めて闘争本能に火をつけた。
 すると、一人で佇んでいた紗良がはきはきとした声でこう言った。
「刑事さん、ここは戦うべきだわ。犯人と」
 犯人から一番敵意を向けられているのは紗良だ。家族からも遠ざけられている彼女の精神は、圧し潰されそうになるほど脆くなっているだろう。だが紗良は、犯人の圧力に屈しなかった。むしろ抗っていた。
「馬鹿な考え、と言えるでしょうね。紗良さん、実行犯は二人の可能性が高いと言ったが、三人か四人かも分からない。僕らの人数を超えてきているかもしれないし、全員銃を持っているかもしれない。相手の情報もない中、限られた武器を使って戦うのは愚の骨頂ですよ」
「ええ、あなたの言う通り相手の人数も武器も分からないわ。だから、この館が燃やされる可能性も否定できないんじゃない?」
「燃やす気なら既にやってるでしょう。僕らが寝ている間にも、今にでも。でもしないのは何故か、まだ犯人には狙っている物があるからかもしれないし、館を燃やすわけにはいかない」
「もしくは、燃やせるほどの攻撃力はないかよ」
 このまま黙って過ごす時間が、紗良にとってはよほど苦痛なのだろう。いつ誰が死んでもおかしくない中、犯人の手のひらで操られていてはじきに糸を切られるのだ。
「紗良、刑事さんの言う通りだ。相手について分かってない以上、無用な手出しは自殺行為と同じだぞ」
 英と同時に、拓真も説得に入り込んだ。だが簡単な説得で折れるほど、紗良の中にある闘争心は柔らかくない。
「このままぼうっとした時間を過ごしていると、犯人の思う壺のような気がするのよ。談話室はみんながいるから安全でしょうね。だけど、明日の朝に船が来て出た途端に全員が殺されたら? 罠がそこら中に仕掛けられているかもしれない。この静かな時間は、犯人の下準備かもしれないのよ」
「言いたいことは分かりますよ。ですが、下手な真似をして殺されるよりも今は安全な場所にいるのが最適解なんです。いいですか、犯人は僕らの行動を制御できない。たとえ罠が設置されていたとしても、慎重に出ていけば簡単に回避できるんです」
 英が腕時計を見るのと同時に、真も反射的に自分の腕時計を見た。時間は十三時を回ろうとしていた。
「さて、と言ってる間にも巡回の時間だ。真さん、ちょいと付き合ってもらえませんかね」
 奏楽が隔離されてから、一時間に一度だけ二人で巡回する時間が訪れる。犯行予防と、奏楽の自殺防止も兼ねた英のルールだった。今までは英と共に真が行動する機会は少なかったが、今日の巡回は危険が常に伴う。万が一の可能性を考慮して真を付き添いに、怜美を談話室の見張りとしているのだ。
「紗良さん、分かっていると思いますが」
 英は談話室の扉に近付きながら、紗良に背中を向けて釘を刺した。紗良は不貞腐れたような表情をしながらも分かったと答えるのだった。
 この場を怜美に任せていいのか逡巡していた真に、怜美は既に気付いていた。怜美は笑ってピースサインを向ける。大丈夫だ、という彼女なりの証明のつもりなのだろう。
 しかし思ってみれば、怜美なら上手く場を諫められるかもしれない。万が一紗良が行動を起こしそうになっても、怜美の持っているコミュニケーション能力で止められるかもしれない。言ってしまえば、彼女の言葉は犯罪の抑止に効果的なのだ。
 かつて自殺を考えていた友人を言葉だけで救った実績がある。真には到底真似できない実績だ。だから今回は、彼女に一任することとした。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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