第2話

文字数 3,439文字

 時間は九時三十二分を回っていた。陸地にでると、フェリーの後を追っていた海鳥達はどこかへ羽ばたいていった。潮の音と海鳥達の声で、目を瞑っていても浜辺なのだと実感する。
 船を降りる時に気付いたのだが、真と怜美以外に搭乗者はいないようだった。一人しかいない船頭が気を利かして怜美のキャリーバッグを手に持ち、手を引きながら下船したほどだ。実質貸し切りだったわけだが、他の参加者達はもう館についているのだろうか。
「ほら浅葱君、前を見てみるんだ。階段があるぞ。これが何を意味しているのか分かるか」
「知るかよ。ここに階段があって、お前はなんの推察ができるってんだ」
「船長はここに案内した。ここが島の出入り口というわけだが、例えば島の反対側にも出入口があるかもしれない。秘密の抜け穴だよ。私たち探偵と助手は島の全域に渡って入念に調べる必要があるというわけだ」
 なだらかな階段、秘密の抜け穴、無意味な調査。どの部品をどの基盤の位置に接続すればいいのか、真には分かりかねた。階段があって、どうして島の反対側に秘密の通路があると推測できるのか。彼女の恒例となっている飛躍的(ひやくてき)な推理に真は、旅の幸先の良さを祈る他なかった。
 少しだけ肌寒いと感じていたが、階段を上っていると体温が上昇して気にならなくなる。その頃にはもう二十段程は上っていたが、屋敷はまだ見えてこなかった。頭はよく動く怜美だが、体力は無い。船頭はもう帰ってしまったから彼女が自らバッグを持ち上げねばならないのもあって、息が荒かった。
「バッグの中に何をそんな詰め込んできたんだ」
 怜美は答えるのも辛いと言わんばかりに、短くこう返した。
「男性には、分からないよ……」
 饒舌(じょうぜつ)な彼女が呼吸で忙しいのだから、それ以上の追及は不要だろう。真は最低限の服装と電気シェーバー、身支度用の道具だけ入った軽々しい鞄を肩にぶら下げて階段を上がっていくのだった。怜美は小声で何事かを呟いていたが、その声は真の背中に届く前に地面に落ちた。
 ようやく階段を上りきった時に腕時計を見ると、四十五分にピッタリと長針が重なっていた。五分以上は階段を上ったのだろう。遅れて怜美も浅葱と足並みを揃えた時、その場でしゃがみこんで呼吸を整えていた。彼女が歩けるまで時間がかかりそうなのだから、真は目の前に(そび)え立つ屋敷に目を凝らした。
 例えるなら、十七世紀イタリアの貴族の家。三階建てのようで、ルネサンス建築が隅々まで再現された大きな家だ。観音開きの窓が左右対称に六つずつあって、中の橙色の明かりが外からでもよく見える。屋敷の中央は時計台のように、三角帽子を被ったような立派な時計が取り付けられていて、正確な時間を刻んでいた。家の外壁は白い石か、もしくは煉瓦だろう。
 屋敷と階段の間には庭園のようなものはないが、生い茂る針葉樹がこれも左右対照的に五つ並んでいて、木の枝には小鳥が止まっている。灰色の鳥だった。この屋敷が魔女の屋敷で、小鳥が魔女の(しもべ)だと言われれば簡単に信じてしまいそうな風が立ち込める。
 正面玄関は木製で、縁に沿って金色の刺繍(ししゅう)が蛇のように描かれている。ドアノブも一般的とは言い難く、蛇が頭を上げている瞬間を刈り取って金箔で染めてドアに取り付けたかのような、家人の趣味が全面に押し出された代物だ。だからドアノブは円形ではなくローマ字のエル字型で、横ではなく上に伸びていた。
「もう歩けるか」
 怜美は持ってきていた魔法瓶のような水筒の水を飲んで乾ききった喉を潤していた。
「もう大丈夫だ。明日は筋肉痛になりそうだけど、筋肉痛は悪いことじゃないからね。さあ、浅葱君。早速調査開始だ。まず大事なのは、どんな人間達が屋敷にやってきたのか。それを調べようじゃないか」
「挨拶回りってことか。かったるいから、お前が勝手にやって勝手にまとめて俺に報告してくれ。確か参加者達の部屋があるんだよな。そこで寝てるから」
「そういう訳にはいかんよ!」
 怜美は何より「らしさ」を重視していた。典型的な、形から入る人間だ。
 船で招かれた探偵が辿り着いた先は、森林の中に佇むルネサンス建築の屋敷。彼女の中にある方程式では、探偵がすべき行動は既に決まっているようだった。
 真はげんなりしながらも、怜美に逆らおうとは思わない。気の強い女性に逆らったらどうなるか知っているからだ。
 ドアノブに近付いた真は開け方に戸惑ったが、蛇の頭を掴んで手前に引くとすんなりと開いた。
「あら、こんにちは」
 扉を開けて、遠くない場所に立っていた彼女は目線を真と怜美に向けて、笑顔でそう言った。
 中は広く、聖堂を思わせる大理石の床。天窓から淡い光が降り注ぎ、ここが日本だということを忘れさせるに値する威厳が屋敷全体に宿っていた。中央にある半螺旋状(はんらせんじょう)の階段、すなわちダブルサーキュラーの階段は二階に続いていた。三階へ至る階段は二階正面の階段を上った先にあるが、一階からは奥が見えない。
「こんにちは、今日は良い天気ですね!」
 真が建物を斜め見していると、怜美がそう返した。
 彼女は真の前と他人の前で、別の面を被る。真のような自分が優位に立てる男性の前だと強気に出るが、相手の素性を知らない場合だと下手に出るのだ。だからこそ真は、最初は怜美を常識人だと評価したことを思い出した。
「私は古谷(ふるや)御子(みこ)。もしかして、ちょっとだけ名前聞いたことあったり……しない?」
 彼女は妙に照れ臭そうにしながらそう言った。
 御子は貫禄のある大人の女性だった。レースのカーテンのような優しい白い上着を羽織って、シャツは若草色で第二ボタンまでを開けている。灰色のガーゴパンツは汚れもなく、清潔感が醸し出されている。前髪は綺麗に別れていて、腰まで伸びる黒い髪は一目見ても柔らかそうだと真は思った。
「あ、もしかして! あの古谷さんですか!?」
 仰天した怜美は、目が点になるほど彼女を上から下まで見つめた。
「怜美、知ってるのか」
「ミステリー好きなら知っておくべき人だぞ! 話題の新進気鋭のミステリー作家! まさか本名で活動してたとは……」
「まあ。本当に知ってくれてたなんて嬉しい。もう本は読んでくれたの?」
 怜美の興奮度が高まってきているのを横で感じながら、真は御子が先ほどまで見ていたものに目を通した。
 扉を開けた時、彼女は明らかに別の場所を見ていたのだ。その先には地面から生えた円筒状の机のようなものがあった。面積は大きくはないが、見てみると一枚の羊皮紙と羽ペンが置かれていた。
「それ、参加者が書かれた紙よ」
 御子は真の様子に気付いてそう言った。
「出席チェックのようなものね。見てみれば分かるけれど、もうあなた達以外は来てるみたいよ。浅葱真さんに、金井怜美さん」
 御子は名前を呼ぶとき、それぞれの目を見て言った。だから真は意地の悪そうな笑みを浮かべてこう返した。
「俺が金井怜美って名前かもしれないぜ」
「あら、それもそうね。じゃああなたの事は怜美ちゃんって呼んだ方がいいかしら」
「冗談だよ。真に受けてんな」
 ぶっきらぼうに返事をした真の肩に、怜美は拳骨を作って殴った。
「古谷様の前だぞ。態度を改めろ! この世間知らずの分からず屋め」
「はいはい」と呆れた真に、当の御子は上品に口元を隠しながら笑っていた。出席チェックをしないといけないのだからと、真は古谷の隣に立って羽ペンを持った。名前の横に四角のマークがあり、真は二人分の出席にチェックを付けた。
 見ると、ゲームには十六人の参加者がいるようだった。真を含む十六人はルピナスというゲームを楽しむ他に、このゲームに隠された謎を解明するために訪れている。三人寄れば文殊の知恵ならば、十六人集まったらどんな仏様が力を貸してくれるというのか。
「各部屋に自分の役職が書かれた紙が置かれているそうだから、確認しにいくといいわよ。それと知っておいた方がいい情報もあるから、荷物を置きにいくってことも含めて自分の部屋にいくといいわね。客室は二階よ」
 自室の部屋がどこなのかは昨日に届いた案内状に記されていた。部屋の鍵は最初は空いていて、中に鍵が入っているという仕組みだというのだから、使用人の手間が省ける設計になっている。
「古谷先生のお言葉だ。ありがたくちょうだいし、早速部屋にいくぞ浅葱君!」
 古谷様と呼んだり、古谷先生と呼んだり。彼女の一貫性の無さに閉口しつつも、いい加減煩わしくなってきた鞄を置くためにも真達は部屋に向かうことにした。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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