第2話
文字数 3,439文字
船を降りる時に気付いたのだが、真と怜美以外に搭乗者はいないようだった。一人しかいない船頭が気を利かして怜美のキャリーバッグを手に持ち、手を引きながら下船したほどだ。実質貸し切りだったわけだが、他の参加者達はもう館についているのだろうか。
「ほら浅葱君、前を見てみるんだ。階段があるぞ。これが何を意味しているのか分かるか」
「知るかよ。ここに階段があって、お前はなんの推察ができるってんだ」
「船長はここに案内した。ここが島の出入り口というわけだが、例えば島の反対側にも出入口があるかもしれない。秘密の抜け穴だよ。私たち探偵と助手は島の全域に渡って入念に調べる必要があるというわけだ」
なだらかな階段、秘密の抜け穴、無意味な調査。どの部品をどの基盤の位置に接続すればいいのか、真には分かりかねた。階段があって、どうして島の反対側に秘密の通路があると推測できるのか。彼女の恒例となっている
少しだけ肌寒いと感じていたが、階段を上っていると体温が上昇して気にならなくなる。その頃にはもう二十段程は上っていたが、屋敷はまだ見えてこなかった。頭はよく動く怜美だが、体力は無い。船頭はもう帰ってしまったから彼女が自らバッグを持ち上げねばならないのもあって、息が荒かった。
「バッグの中に何をそんな詰め込んできたんだ」
怜美は答えるのも辛いと言わんばかりに、短くこう返した。
「男性には、分からないよ……」
ようやく階段を上りきった時に腕時計を見ると、四十五分にピッタリと長針が重なっていた。五分以上は階段を上ったのだろう。遅れて怜美も浅葱と足並みを揃えた時、その場でしゃがみこんで呼吸を整えていた。彼女が歩けるまで時間がかかりそうなのだから、真は目の前に
例えるなら、十七世紀イタリアの貴族の家。三階建てのようで、ルネサンス建築が隅々まで再現された大きな家だ。観音開きの窓が左右対称に六つずつあって、中の橙色の明かりが外からでもよく見える。屋敷の中央は時計台のように、三角帽子を被ったような立派な時計が取り付けられていて、正確な時間を刻んでいた。家の外壁は白い石か、もしくは煉瓦だろう。
屋敷と階段の間には庭園のようなものはないが、生い茂る針葉樹がこれも左右対照的に五つ並んでいて、木の枝には小鳥が止まっている。灰色の鳥だった。この屋敷が魔女の屋敷で、小鳥が魔女の
正面玄関は木製で、縁に沿って金色の
「もう歩けるか」
怜美は持ってきていた魔法瓶のような水筒の水を飲んで乾ききった喉を潤していた。
「もう大丈夫だ。明日は筋肉痛になりそうだけど、筋肉痛は悪いことじゃないからね。さあ、浅葱君。早速調査開始だ。まず大事なのは、どんな人間達が屋敷にやってきたのか。それを調べようじゃないか」
「挨拶回りってことか。かったるいから、お前が勝手にやって勝手にまとめて俺に報告してくれ。確か参加者達の部屋があるんだよな。そこで寝てるから」
「そういう訳にはいかんよ!」
怜美は何より「らしさ」を重視していた。典型的な、形から入る人間だ。
船で招かれた探偵が辿り着いた先は、森林の中に佇むルネサンス建築の屋敷。彼女の中にある方程式では、探偵がすべき行動は既に決まっているようだった。
真はげんなりしながらも、怜美に逆らおうとは思わない。気の強い女性に逆らったらどうなるか知っているからだ。
ドアノブに近付いた真は開け方に戸惑ったが、蛇の頭を掴んで手前に引くとすんなりと開いた。
「あら、こんにちは」
扉を開けて、遠くない場所に立っていた彼女は目線を真と怜美に向けて、笑顔でそう言った。
中は広く、聖堂を思わせる大理石の床。天窓から淡い光が降り注ぎ、ここが日本だということを忘れさせるに値する威厳が屋敷全体に宿っていた。中央にある
「こんにちは、今日は良い天気ですね!」
真が建物を斜め見していると、怜美がそう返した。
彼女は真の前と他人の前で、別の面を被る。真のような自分が優位に立てる男性の前だと強気に出るが、相手の素性を知らない場合だと下手に出るのだ。だからこそ真は、最初は怜美を常識人だと評価したことを思い出した。
「私は
彼女は妙に照れ臭そうにしながらそう言った。
御子は貫禄のある大人の女性だった。レースのカーテンのような優しい白い上着を羽織って、シャツは若草色で第二ボタンまでを開けている。灰色のガーゴパンツは汚れもなく、清潔感が醸し出されている。前髪は綺麗に別れていて、腰まで伸びる黒い髪は一目見ても柔らかそうだと真は思った。
「あ、もしかして! あの古谷さんですか!?」
仰天した怜美は、目が点になるほど彼女を上から下まで見つめた。
「怜美、知ってるのか」
「ミステリー好きなら知っておくべき人だぞ! 話題の新進気鋭のミステリー作家! まさか本名で活動してたとは……」
「まあ。本当に知ってくれてたなんて嬉しい。もう本は読んでくれたの?」
怜美の興奮度が高まってきているのを横で感じながら、真は御子が先ほどまで見ていたものに目を通した。
扉を開けた時、彼女は明らかに別の場所を見ていたのだ。その先には地面から生えた円筒状の机のようなものがあった。面積は大きくはないが、見てみると一枚の羊皮紙と羽ペンが置かれていた。
「それ、参加者が書かれた紙よ」
御子は真の様子に気付いてそう言った。
「出席チェックのようなものね。見てみれば分かるけれど、もうあなた達以外は来てるみたいよ。浅葱真さんに、金井怜美さん」
御子は名前を呼ぶとき、それぞれの目を見て言った。だから真は意地の悪そうな笑みを浮かべてこう返した。
「俺が金井怜美って名前かもしれないぜ」
「あら、それもそうね。じゃああなたの事は怜美ちゃんって呼んだ方がいいかしら」
「冗談だよ。真に受けてんな」
ぶっきらぼうに返事をした真の肩に、怜美は拳骨を作って殴った。
「古谷様の前だぞ。態度を改めろ! この世間知らずの分からず屋め」
「はいはい」と呆れた真に、当の御子は上品に口元を隠しながら笑っていた。出席チェックをしないといけないのだからと、真は古谷の隣に立って羽ペンを持った。名前の横に四角のマークがあり、真は二人分の出席にチェックを付けた。
見ると、ゲームには十六人の参加者がいるようだった。真を含む十六人はルピナスというゲームを楽しむ他に、このゲームに隠された謎を解明するために訪れている。三人寄れば文殊の知恵ならば、十六人集まったらどんな仏様が力を貸してくれるというのか。
「各部屋に自分の役職が書かれた紙が置かれているそうだから、確認しにいくといいわよ。それと知っておいた方がいい情報もあるから、荷物を置きにいくってことも含めて自分の部屋にいくといいわね。客室は二階よ」
自室の部屋がどこなのかは昨日に届いた案内状に記されていた。部屋の鍵は最初は空いていて、中に鍵が入っているという仕組みだというのだから、使用人の手間が省ける設計になっている。
「古谷先生のお言葉だ。ありがたくちょうだいし、早速部屋にいくぞ浅葱君!」
古谷様と呼んだり、古谷先生と呼んだり。彼女の一貫性の無さに閉口しつつも、いい加減煩わしくなってきた鞄を置くためにも真達は部屋に向かうことにした。