プロローグ

文字数 1,235文字

 しとしと、雨が降っている。母が子供に愛の言葉を(ささや)く時のような優しい雨だ。だからきっと、町の誰もが優しい気持ちになっているだろう。私はガラス瓶の中に包み紙を入れながら和やかな家族たちの談笑を夢想(むそう)した。彼らは、幸せになるために産まれてきた人間。
 私は常々こう思う。世界には産まれてくる必要のあった人間と、産まれるべきでなかった人間に分類されるのだと。神的な超自然能力を用いて本来ならば流産されるべき運命だった赤子が、何らかの手違いで産まれてきてしまった場合、後者になるのだ。
 望まない奇跡に微笑まれた人間達は、望まない運命を約束される。
 人間誰しも、一度は思うことがある。産まれてこなければよかった、と。自分の力でどうしようもない困難に見舞われ、本当はこの世界こそが地獄なのだと悟った時に生まれてくる感情だ。しかし、世界に必要とされる祝福された人間は大抵、底から這い上がれる。
 では祝福されなかった人間はどうだろう。
 私たち祝福されなかった人間は、そのまま生ける(しかばね)となる。死しても喜びや悲しみといった感情が残っていることを恨みながら、死んだ日々を送り続ける。
 屍となった人間には二つの選択肢が与えられる。一つは、そのまま誰にも祝福されないまま生を終えることだ。友人はできるだろう、ただしその友人は死んでいるか、生きていたとしてもいずれは去る。恋人もできるかもしれない。ただしその恋人は、本当の愛情を注いでいたとしても報われない。愛情という入れ物を入れる器がない人間には、受け取れない。
 大抵の祝福されない人間は、このように退屈な人生で生を終える。
 私は、もう一つの選択肢を選んだ。
 ある時、夢に悪魔が出てきた。黒い羽根が生えて、牙が二本生えている。怒った猿のような顔をして、その躯体は私よりも大きい。目を白黒させている私に、悪魔が言った。
「魂を俺に売れば、お前に力を与えよう」
 もう一つの選択とは、悪魔と契約することだ。
 これは私の、挑戦状。この瓶の中には、全国の探偵達への挑戦状が詰まっている。謎を解けるものなら、解いてみろというもの。
 ミステリーの作法に則るならば、この後は海に投じなければならない。すると瓶が岸に流れ着いて、誰かが開けるのだ。だが私は、そんな不完全な方法で真実を奪いたくなかった。だから、この洋館屋敷の玄関に立てかけておくとする。
 扉の下に置いてから、私は自室に戻ろうと振り返った。
 私は、あまりの光景に目を疑った。いや、目だけではない。自分が立っているのは本当に地面の上なのか疑ってしまいたくなるほど、私は驚愕した。
 次の瞬間、私は銃声を聞いた。

 もうじき、私は死ぬだろう。彼女が生きていた事は予想外だったが、それを除けば予定調和だ。
 未練がないと言えば、それは嘘になる。だがたった一つの、ささやかな物だった。
 神様、それくらいなら叶えてくれるでしょうか。私は薄れゆく意識の中で、彼女の顔を見ながらこう言った。

 ――誰か、私の謎を理解してください。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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