第19話
文字数 4,094文字
二つの自然が行う会話に挟まれながら、真達三人もまた肩を寄せ合って熱弁を繰り広げていた。特に茉莉は穏やかな目の色を変えて、ルピナスのルールについて真に語っていた。
「ルピナスというゲームはですね、劇場型推理ゲームと呼ばれる本格的な、言ってしまえば演劇のようなものなのです」
真は既に、彼が知っているルピナスの形を話していた。
「そこまでは分かってる。だが、こういうゲームって他にもあるだろ。人狼ってゲームだ。それとの違いはなんなんだ」
「人狼ゲームとの違いは、犯人役はどういうタイミングでどう殺害するかを考えなければならないのです。オモチャの凶器を事前に用意しておいて、それを隠しておきます。それで犠牲者になる人達に紙を渡すんです。私が犯人ですって。そしたら犠牲になった人は表舞台からいなくなります。この駆け引きが、とーっても面白いんですよ」
「全員が個室で密室になって過ごすとか、同じ場所で過ごすとかしたら犯人は何もできずに終わるんじゃないか」
「最初は犯人が潜んでいると市民は誰も知らない設定なので、同じ部屋に全員が集まるのはメタ違反です。殺人が起こってからの
リミーは何度も相槌をとって茉莉の話を聞いていたが、彼女が話終わると真っ当な疑問を口にした。
「探偵って難しい役職じゃない? これってゲームとして成り立つのかなあ」
「うん、成り立ちます。探偵だけは特殊で、これから事件が起こることが分かっている状態から始まるんです。なので見回りをしたり、市民に聞き込みをしたりして一人一人の行動を絞ることができるんです」
「探偵ってすごいんだねー。なんだか超能力者みたい、未来を予知しているみたいな」
「未来予知ではないんですよ。ゲームの設定では、探偵は犯人からの予告を受けてやってきているのですから」
話がファンタジーじゃなくなるとリミーは少し興味を失ったようだった。彼女くらいの年頃ならファンタジー恋愛小説が好きなのは納得がいく。
硬派なミステリーは、今の若者は誰も求めていない。真はかつて怜美がそう言っていたことを思い出した。それを怜美は残念がっていた。現代人は忙しくて、硬派な娯楽を楽しむ余裕を無くしてしまっているのだと。行間を読むことをせず、ただ目の前に書かれているものだけを見て作品を判断する。
「茉莉は、今は犯人はどう動いてると思う」
初心者である真は、経験者である茉莉に直球の質問を投げかけてみせた。彼女が犯人だったら無粋な質問だが、今は細かいことは見て見ぬふりを決め込むことにした。
「うーん、犯人役の人はとりあえず怪しい行動を避けながら周囲の人と打ち解けあって、話しながら犯行計画とかを練っていると思います。大事なのはいかに市民に扮することですからね」
胸を張って言いきった彼女は、その後に思い出したようにこう付け加えた。
「犯人役の人は、探偵を
可愛らしい見た目とは裏腹に、茉莉の頭脳は大人顔負けの回転力を見せている。ここまで熟練しているのなら、彼女が探偵であってほしいとすら願うばかりだ。
「お前、まだ小学生なのによくそこまで考えられるな」
「もう百戦くらいはやってますからね。それに、上手な人にも色々教えてもらって成長してるんです」
将来有望だ。もしルピナスが世界に広まって一つの競技となり賞金が出るならば、彼女は間違いなくその賞金を手にするだろう。チェスで有名なボビー・フィッシャーは幼い頃からチェスゲームにのめり込んだ。世界で活躍する有名人は大体、子供の頃から夢中になれるものを続けている。
波の音と風の音に混ざって、誰かのお腹の中に入っている虫が空腹を知らせた。誰よりも最初に鳴らしたのはリミーだった。彼女は遠慮がちに舌を出してこう言った。
「そろそろ戻ろうか。もうお食事の用意ができてるかも」
茉莉と真は立ち上がり、風向きに逆らって元来た道を戻り始めた。
既に日が落ち始めているから、森の中は薄暗い。念のため野生動物に警戒しながら道標を辿っていくことにした。
夕暮れの森に聞こえてくるのは潮風が波を揺らす音と、活動を始めた鈴虫の声。もう鳥は巣に帰っているのか、彼らの歌声を聞くことはなかった。代わりにフクロウのような声が聞こえる。
「突然怪物に襲われませんよね?」
怖がる茉莉の手を繋ぐリミー。しかしリミーも怯える猫のような顔で周囲をしきりに見回している。
「帰りのこと全然考えてなかったよ……。今日から夜の森に入るのはやめとこう、絶対」
冷静でいられるのは真だけのようだった。
無人島に土地を買った場合、
どちらかといえば、今どこかで獲物を狙っている患者を警戒するべきだった。森の中での殺害は患者にとっては好都合だろう。三人しかいない現場、叫んでも届かない声。豊富にある隠し場所。今三人を殺すならまたとない機会だ。
真は、はっと我に返った。患者は一人だろうが、共犯者が一人だとは限らない。そしてなるべく、共犯者は疑われない存在だと良い。理詰めで考えていくと、茉莉が患者の共犯者ではないかと真は思いついた。リミーを連れて散策に出たのは、真の動向を探るためだろうか。
妙に
二人が夜の森を気味悪がる中、真は持ってきていた懐中電灯を照らしながら歩いていると、ようやく館に辿り着いた。腕時計を見れば、時刻は五時五十分を指している。
「やーっとついた。浅葱君、先導ありがと! それじゃあ食堂にいこっか。私達は券を持ってくるね」
券という言葉に聞き覚えがなく、真は「券?」と聞き返した。リミーは振り返ってこう言った。
「お食事券だよ。券と引き換えにお食事が楽しめるシステムなんだよ」
そうか、と真が言うと二人は駆け足で館の中へ入っていった。部屋に戻れば券があずはずだ。真の腹の虫もいい加減音を立てそうだったから、面倒くさく感じながらも部屋へ戻ることにした。
館に入ると、目にしたのは英と蒼佑だ。食堂の入り口の前には使用人の紫苑が立っていて、何かのやり取りをしている。
「おっかしいなあ、今日部屋にいった時は確かにあったんですけど、なんでか券が無くなってるんですよね。あのー、紫苑さん。なんとかなりませんかね」
話の内容から察するに、蒼佑は券を無くしたようだった。
「申し訳ございません、券がない方をお通しすることはできません。恐縮ですが、もう一度部屋を探しに戻られてはいかがでしょうか」
「うーん、仕方ない。そうしますわ。英さん、先に入っちゃっててください。俺、最悪魚でも釣って来るんで! いやあ、暇になるかと思って釣り竿を持ってきといてよかった」
本当に二人は刑事なのかと疑いたくなるような話だ。英は頷くと、食堂の中へ先にはいっていった。紫苑は申し訳なさそうにしながら、蒼佑に何度も頭を下げている。
真は一足先に自室へと戻っていった。蒼佑は地面に落としていないかを探るところから調査を開始しているらしく、時間がかかりそうだった。犯行現場を何度も行き来する刑事のように、彼は熱心に捜査を開始していた。
部屋に戻り、券を探す。食事券は三面鏡の置かれた側面机の上に置かれていた。封筒の中に入っていて、中を開けば豪華な装飾の券が出てくるのであった。網目模様の深緑色で、楷書体で食事券と書かれている。
結局ボートは見つけられなかったから、怜美に合わせる顔を今の内から考えておくべきだろう、そう思いながら真は部屋を出て鍵を閉めた。
階段に差し掛かろうとした時、西側通路から奏楽が歩いてきていた。奏楽は真に気付くと人の良い笑みを浮かべて言った。
「もう夕食ですね。一日が過ぎるのはあっという間だ」
「そういや、あんまり佐伯さんを今日は見なかったな。何をしてたんだ」
おや、と言った後に奏楽はおかしそうに笑った。
「そういえばこれ、ゲームでしたね。僕は完全にバカンス気分でした。自室に籠って謎解きとバカンスを楽しんでたら、確かに疑われても仕方がない」
「あんまり部屋に籠り過ぎないほうがいい。人狼ゲームは喋らない人間が狼だと疑われる」
「そうとも限りませんよ。
奏楽はまるで、忠告でもするかのような口ぶりでそう言った。
階段を下りていた真の腕を抱くように包んだ奏楽は、小声でこう言った。
「単独行動ができるということは、自分が犯人だから襲われる心配がないと暴露するようなもの。これ、気を付けてくださいね」
鳥肌が立った。真は彼の手を振り払い、足早に階段を下りていく。
奏楽は真が犯人ではないかと疑い始めている。それはゲーム上の話だ。だから、本来ならばのらりくらりとかわせばよかったはず。だというのに、真はへんな胸騒ぎを覚えていた。まるで、根本から全てが崩れてしまい、何もかもが間違っているような。自分の完成させつつあるパズルが散らかっていくような。
真は扉の前で食事券を確認している紫苑にそれを見せ、深呼吸をして胸の中にある黒い霧を吐き出した。