第41話

文字数 2,704文字

 思い返してみれば、どうして自分がこういう状況になっているのか、怜美は理由付けができなかった。目の前は暗く、部屋は静かだ。明かりはきっとついていない。夏だというのにうすら寒い。うすら寒いというのに、汗が服に滲んでいるのが分かる。
 椅子の上に座らせられていて、手は後ろで縛られている。足は自由に動かせるが、目が見えないというのに歩き回るわけにはいかない。今は助けが来るまで辛抱する他ない。
 こんなにも居心地が悪いような状況に置かれているというのに、怜美は落ち着いていた。自分が殺されてしまうかもしれない危機的な環境で、怜美は客間から逃避できたのがひどく救いであると感じていた。
 真と英が見回りに出てから、すぐに紗良が提案したのである。警察もグルである可能性がぬぐい切れない以上、自分の身は自分で守るしかない。全員で武器を持って犯人を捜すべきだと。拓真はカーテンを閉め、周囲を見渡すように忙しない動きをしていた。
 紗良の提案から、客間の意見は二分化した。怜美は真っ先に紗良に反対し、英を信用して待つべきだと主張した。怜美に賛成したのは恒と亜里沙。紫苑は無言で聞いていて、彼女はどちら側につくとはせずに中央の立ち位置を保守していた。紗良の家族は全員紗良に賛成するが、杏と拓真は渋い表情をしていた。その後、紗良は拓真を連れて英の後を追っていった。怜美は止めたが紗良は聞く耳を持つはずもなかった。
「ごめんね、お母さんがあんな無茶をしなかったらこうはならなかったのに」
「いいよ、杏ちゃんが悪いわけじゃないし」
 この部屋にいるのは怜美だけではない。近い距離に杏も存在している。杏も手を縛られているだろう。最初こそ杏は鼻を啜って涙を堪えていたが、怜美が頻繁に宥めたおかげで杏の精神も落ち着いているようだった。
「これからどうなるんだろう。殺されるのかな」
「ううん、私がいないと知ったら浅葱君が助けに来るよ。それまで頑張ろ」
 紗良が飛び出した後、亜里沙は手洗いに行きたいから怜美についてきてほしいとお願いした。化粧室の鍵を紫苑から借りて、二人は化粧室へ向かう。その最中、怜美は亜里沙に部分麻酔を打たれ、顔面と足が麻痺した。口は開きっぱなし。
 怜美は、亜里沙が真犯人なのだと知った。奏楽は無実。無実の人間を隔離してしまった後悔が一気に罪悪感へと変わり、意識を失う直前まで目の前の真実が信じられずにいた。
「そういえば、杏ちゃんはここに連れてこられる前に何があったのかな」
「金井さんと若杉さんが出てから、心配になったって言って紫苑さんが探しにいったんだよ。根本さんと私だけが部屋に残ってて、あの……私は寝ちゃったんだ。朝、すごく早かったから、眠くて」
「睡眠薬とか飲ませられたのかな。何か直前にお茶とか飲んだ? コーヒーでも」
「ううん。普通に寝ちゃっただけ。起きたらここにいた。なんかバカみたいだよね」
 犯人からしてみれば、これほど愉快な展開はないだろう。次に誘拐しようとしていた人間が、もしくは誘拐に値する人間が寝ているとなれば起こさないように運べばいいだけなのだから。
 亜里沙は怜美を拉致する段階で怜美を殺害もできただろう。なぜそうしなかったのか、理由があるはずだった。
「杏ちゃんってミステリー好きなんだよね」
「うん。色々読んだから」
「今回の犯人の狙いってなんだと思う? なんで私たちを二人きり、こんなところに置いてるのかな。なんかの罠とか?」
「一概にはなんとも言えない。恐怖を与えてから殺害すると快楽を感じる犯人なのかもしれないし、浅葱さんが部屋に入った途端に罠が発動して浅葱さんが殺されてしまうようなトラップが仕掛けられてるのかも。どっちにしても犯人はすごく有利な立場。今なら確実に、私たちを……」
「大丈夫だよ。犯人がその気ならもうやってるって」
 だからこそ謎なのだ。犯人の行動動機に理由を見出せない。遺言に沿った儀式というわけでもない。今すぐ殺されるわけではないという安心感だけを握りしめて平常心を保ってはいるが、犯人像の不気味さは再び恐怖を思い出させるには十分な力が込められていた。
「杏ちゃん、怖い?」
「うん。だってこれから先、何が起こるか分からないし。それに、茉莉だって死んじゃったし」
 杏は今朝から機嫌がよくなかった。それは、友達になれるだろう存在を失ったからなのだと怜美は改めて気付かされた。そう、自分のことで精一杯だと気付かないが、既に七人もの犠牲者が出ているのだ。七人はそれぞれ悩みや憂いを抱えていて、それでも一生懸命に生きてきた人々なのだ。彼らの命はいとも容易く、失われた。
 人の命とは簡単に計れるものではない。命の価値というのは、常に重くあるべきなのだ。追悼(ついとう)もまだのまま、自分達は犯人捜しと自己防衛に勤しみ過ぎたのではないか。怜美は杏の何気ない一言が、大事な一歩ではないかと思えた。
「茉莉、怖かったかな。死ぬ時に」
「ううん、眠ったような顔をしてたよ。気付いたら死んじゃってた……くらいじゃないかな。馬宮さんは恐ろしい思いをしただろうけど」
「そっか。良かった」
 杏の手を握ってあげられないのが、ひどく悔しかった。
「大丈夫、杏ちゃん。もし浅葱君が来なくても私が守ってあげるから。杏ちゃんだけは、無事に家に送り届けてあげるからね。もしさ、お母さんもお父さんも帰って来られなかったら、私の事務所においでよ。そこで一緒に暮らそう」
「え? 金井さんの事務所ってでも、探偵事務所でしょ。私まだ中学生だから働くとかできないよ」
「いいのいいの。オーナーの八条さんなんか事務所が家なんだから。浅葱君だって事務所に住んでるし。一人くらい女の子が増えたって誰も困らないよ。それに私は杏ちゃん、好きだよ。一緒に暮らせたら楽しいと思うんだけどなあ」
「そ、それはちょっと嬉しいかも。あ、でもお母さんとお父さんが戻ってくるなら、家に帰りたい……かな」
「うんうん、その時は家に送るよ。でもたまには事務所に遊びにきてね。なんでも相談に乗るからさ」
 少しでも杏の恐怖が緩和されればそれで良い。怜美はそう願ったが、杏の声の調子が上がったのを聞いて、怜美自身も調子が上がったのだ。
 目は見えないが、お互いに微笑み合うのを感じていると、外から音が聞こえた。誰かが階段を上ってきて、ゆっくりと、ゆっくりと。そして鍵穴に鍵をさしこんだ。怜美と杏は前を向いて、それが犯人でないと祈った。怜美の心臓は今にも破裂しそうなほど高鳴っていた。
 扉が開く。外の光が中に入り込み、うっすらとした光が見える。
「怜美か?」
 真の声が聞こえた時、怜美は不意に目から雫をこぼした。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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