第41話
文字数 2,704文字
椅子の上に座らせられていて、手は後ろで縛られている。足は自由に動かせるが、目が見えないというのに歩き回るわけにはいかない。今は助けが来るまで辛抱する他ない。
こんなにも居心地が悪いような状況に置かれているというのに、怜美は落ち着いていた。自分が殺されてしまうかもしれない危機的な環境で、怜美は客間から逃避できたのがひどく救いであると感じていた。
真と英が見回りに出てから、すぐに紗良が提案したのである。警察もグルである可能性がぬぐい切れない以上、自分の身は自分で守るしかない。全員で武器を持って犯人を捜すべきだと。拓真はカーテンを閉め、周囲を見渡すように忙しない動きをしていた。
紗良の提案から、客間の意見は二分化した。怜美は真っ先に紗良に反対し、英を信用して待つべきだと主張した。怜美に賛成したのは恒と亜里沙。紫苑は無言で聞いていて、彼女はどちら側につくとはせずに中央の立ち位置を保守していた。紗良の家族は全員紗良に賛成するが、杏と拓真は渋い表情をしていた。その後、紗良は拓真を連れて英の後を追っていった。怜美は止めたが紗良は聞く耳を持つはずもなかった。
「ごめんね、お母さんがあんな無茶をしなかったらこうはならなかったのに」
「いいよ、杏ちゃんが悪いわけじゃないし」
この部屋にいるのは怜美だけではない。近い距離に杏も存在している。杏も手を縛られているだろう。最初こそ杏は鼻を啜って涙を堪えていたが、怜美が頻繁に宥めたおかげで杏の精神も落ち着いているようだった。
「これからどうなるんだろう。殺されるのかな」
「ううん、私がいないと知ったら浅葱君が助けに来るよ。それまで頑張ろ」
紗良が飛び出した後、亜里沙は手洗いに行きたいから怜美についてきてほしいとお願いした。化粧室の鍵を紫苑から借りて、二人は化粧室へ向かう。その最中、怜美は亜里沙に部分麻酔を打たれ、顔面と足が麻痺した。口は開きっぱなし。
怜美は、亜里沙が真犯人なのだと知った。奏楽は無実。無実の人間を隔離してしまった後悔が一気に罪悪感へと変わり、意識を失う直前まで目の前の真実が信じられずにいた。
「そういえば、杏ちゃんはここに連れてこられる前に何があったのかな」
「金井さんと若杉さんが出てから、心配になったって言って紫苑さんが探しにいったんだよ。根本さんと私だけが部屋に残ってて、あの……私は寝ちゃったんだ。朝、すごく早かったから、眠くて」
「睡眠薬とか飲ませられたのかな。何か直前にお茶とか飲んだ? コーヒーでも」
「ううん。普通に寝ちゃっただけ。起きたらここにいた。なんかバカみたいだよね」
犯人からしてみれば、これほど愉快な展開はないだろう。次に誘拐しようとしていた人間が、もしくは誘拐に値する人間が寝ているとなれば起こさないように運べばいいだけなのだから。
亜里沙は怜美を拉致する段階で怜美を殺害もできただろう。なぜそうしなかったのか、理由があるはずだった。
「杏ちゃんってミステリー好きなんだよね」
「うん。色々読んだから」
「今回の犯人の狙いってなんだと思う? なんで私たちを二人きり、こんなところに置いてるのかな。なんかの罠とか?」
「一概にはなんとも言えない。恐怖を与えてから殺害すると快楽を感じる犯人なのかもしれないし、浅葱さんが部屋に入った途端に罠が発動して浅葱さんが殺されてしまうようなトラップが仕掛けられてるのかも。どっちにしても犯人はすごく有利な立場。今なら確実に、私たちを……」
「大丈夫だよ。犯人がその気ならもうやってるって」
だからこそ謎なのだ。犯人の行動動機に理由を見出せない。遺言に沿った儀式というわけでもない。今すぐ殺されるわけではないという安心感だけを握りしめて平常心を保ってはいるが、犯人像の不気味さは再び恐怖を思い出させるには十分な力が込められていた。
「杏ちゃん、怖い?」
「うん。だってこれから先、何が起こるか分からないし。それに、茉莉だって死んじゃったし」
杏は今朝から機嫌がよくなかった。それは、友達になれるだろう存在を失ったからなのだと怜美は改めて気付かされた。そう、自分のことで精一杯だと気付かないが、既に七人もの犠牲者が出ているのだ。七人はそれぞれ悩みや憂いを抱えていて、それでも一生懸命に生きてきた人々なのだ。彼らの命はいとも容易く、失われた。
人の命とは簡単に計れるものではない。命の価値というのは、常に重くあるべきなのだ。
「茉莉、怖かったかな。死ぬ時に」
「ううん、眠ったような顔をしてたよ。気付いたら死んじゃってた……くらいじゃないかな。馬宮さんは恐ろしい思いをしただろうけど」
「そっか。良かった」
杏の手を握ってあげられないのが、ひどく悔しかった。
「大丈夫、杏ちゃん。もし浅葱君が来なくても私が守ってあげるから。杏ちゃんだけは、無事に家に送り届けてあげるからね。もしさ、お母さんもお父さんも帰って来られなかったら、私の事務所においでよ。そこで一緒に暮らそう」
「え? 金井さんの事務所ってでも、探偵事務所でしょ。私まだ中学生だから働くとかできないよ」
「いいのいいの。オーナーの八条さんなんか事務所が家なんだから。浅葱君だって事務所に住んでるし。一人くらい女の子が増えたって誰も困らないよ。それに私は杏ちゃん、好きだよ。一緒に暮らせたら楽しいと思うんだけどなあ」
「そ、それはちょっと嬉しいかも。あ、でもお母さんとお父さんが戻ってくるなら、家に帰りたい……かな」
「うんうん、その時は家に送るよ。でもたまには事務所に遊びにきてね。なんでも相談に乗るからさ」
少しでも杏の恐怖が緩和されればそれで良い。怜美はそう願ったが、杏の声の調子が上がったのを聞いて、怜美自身も調子が上がったのだ。
目は見えないが、お互いに微笑み合うのを感じていると、外から音が聞こえた。誰かが階段を上ってきて、ゆっくりと、ゆっくりと。そして鍵穴に鍵をさしこんだ。怜美と杏は前を向いて、それが犯人でないと祈った。怜美の心臓は今にも破裂しそうなほど高鳴っていた。
扉が開く。外の光が中に入り込み、うっすらとした光が見える。
「怜美か?」
真の声が聞こえた時、怜美は不意に目から雫をこぼした。