真相、そして。
文字数 4,681文字
「浅葱君は見ていないだろうけど、僕は死んだという設定になっているんだ。首を斬り落とされて。この偽装工作は二回目だけど、二回とも上手くいくとは思わなかった。意外と皆って、頭が弱いんだな」
「その話ならもう聞いてる。給仕からな」
「なら、せっかくだからその謎も解いてもらおうか。現場検証は必要かい」
真は後ろを振り返った。
奏楽は手に拳銃を持っていた。この法律のない世界では、拳銃を持った者が全てを支配する権利を得られる。銃口こそ下を向いているが、距離が離れているせいで
「その必要はない。お前は自分でヒントを告げたんだからな」
「へえ。僕はヒントをあげたつもりはないがね。一応、聞いてみようか」
「この偽装工作は二回目、つまり過去にお前は似たような方法で殺人を犯したと告白している」
小さな言葉を、真は見逃すわけにはいかなかった。死と隣り合わせの状況で、杏は真の手を握り、真は握り返した。怜美が命をかけてでも守りたかった杏の未来を、今度は自分が守らなければならない。そうでもしなければ、怜美は永遠に未練を断ち切れないだろう。
だから今こそ、根底に眠る真相を炙り出す。狂気に満ち溢れたゲームを粉々に破壊する。
「だけど僕は、この屋敷で首を斬ったのは一度しかない。浅葱君、君は首切り死体を目にしたのか。してないだろう」
「だからこそ俺は気付いたんだ。このゲームの始まり、原初の事件を。胎児強奪殺人事件のトリックにな」
紗良が犯した事件だと自ら紗良は告白した。しかし彼女は全てを告白した後に、夫については何も知らないと語ったのだ。これ以上罪を被りたくないからという紗良の嘘か、本当の話か。ほとんどの人間が嘘だと仮定していく中、真は嘘ではないという場合の話について考えていた。紗良でなければ、紗良以外の人間が夫を殺害したのだ。
紗良と親密だった純也が夫を殺害したと考えるのが道理だったが、精神病棟から逃げ出した患者が夫と直前に面会していた点を考えると、英の推測通り患者が犯人であるという色が濃いのは明白だ。
「首がない、というのはつまり偽装死体である事と同義だ。それが本当に本人なのかは鑑定をしなければ分からない」
面会した当日から、患者は行方不明になっていた。
「この事件はそもそも、遺体の第一発見者は夫のはずだ」
「どうしてそう思う。君が語っているのは全て状況証拠。それだけで犯人の特定は不可能だ」
「そうだな。俺がこれから話すのはほとんどが状況証拠だ。だが同時に、この事件の奥底に眠る動機が明らかになる。それが明らかになった時、お前の本性まで暴いてやる」
銃を持っていようが関係ない。奏楽は殺人鬼であり、同時に演出家でもあった。自分が全ての真実を話し終わるまでは銃を撃たないだろうと確信していた。
緊張の火花が散る。だが真は一切声を震わさず、毅然として語っていく。
「その日、夫と患者は面会していた。その後に夫の助太刀があって患者は脱走。この時どんな会話をしていたのかは知らない。だが、こう話していたんじゃないか」
静かな音を立てて深紅のベールを剥がしていく。根拠もなければ確証もない。だが、動機という人間が持ちうる感情に注視して推理すれば、この謎の深淵に到達できる。
「犯人に復讐したい。お前にはそのための犠牲となってほしいと」
感嘆からくる息が、佐伯から漏れた。
「世間が夫だと思っていた首無し死体は、患者のものだった。紗良は本当に聡美だけを殺害し、それを見た夫は復讐のために自分が死んだ事実を作る。全ては今日のためにな」
偽装死体を用意しても、鑑定されればいずれは知られるだろう。だが夫にとってそれは大した問題ではない。
「そうなんだろ。お前の名前は佐伯じゃない。竹井だ。聡美の夫なんだよ。だから誰よりも紗良を憎んだ。警察よりも早く犯人を見つけ、復讐を企てたんだ。奏楽、お前の職業はもう割れてる。ネットカウンセラーなんだろ。昨日呼び寄せられたほとんどの人間はお前とそういう繋がりがあった。どうして殺害しようと思ったのかは知らない。そこまでの動機は分からない。だが、俺が語った全てが事件の真相だ。訂正の必要もない」
真が言い終えた後、しばらく沈黙していた。奏楽はどう言葉を編み出すか悩んでいるというよりも、沈黙を尊びたいからこそ口を
風が窓を叩く。昨日よりも風が強いようだった。
波の音が聞こえる、海鳥達のハーモニーは、どこか遠くに過ぎ去ってしまったようだった。
杏は怯えて、真の後ろに隠れた。今にも泣きだしそうになるのを堪えて、ただ奏楽が話し始めるのを待った。
真が喉の渇きに気付いた時、物音が聞こえた。あまりにも自然に、自由落下したものだから真は驚く他なかった。奏楽は、持っていた銃を、支配者としての権利を落としたのだ。
「聡美だけが、僕の辛さを分かってくれた。チルドレンデザイナーに育てられた僕の最悪な人生を救おうとしてくれた、ただ一人の女性だったんだ」
謎は暴かれてしまえば、形を変える。謎と真実は、理想と現実のような関係性。ウィンチェスターとして役割を演じ続けてきた奏楽は、その役を終えて始めて、本性を露呈させる。一日と半日隠し続けてきた心を曝す。
「今でこそチルドレンデザイナーは受け入れられているけど、僕が育てられていた頃は忌避の目で見られていた。そんな家庭もおかしいし、育てられた子供もまともなはずではないと。何人か子供に罪はないと語る人もいたけど、デザインされた大人が起こした事件が切っ掛けで、擁護する声は小さくなった」
デザイナーの立ち位置は安定している。職業として就けば高卒でも高収入が約束され、手当ても分厚い。それに育てられた子供達も全員が不幸になるはずもなく、安定した社会生活を送れている場合も多い。出る杭は打たれがちな日本でも、型にはまればそれ以上打ちようもなくなるのだ。
奏楽は一番、打ち方が激しかった時期に育てられたというのだろうか。
「デザインされた子供達には、その証明となる手帳が配られる。僕はそれを掲示する度、奇異な目で見られるんだよ。その視線が痛くて、何度も手帳を破り捨てようと思った。だけど、簡単には捨てられない。親が大金を出して手に入れたものだから――そういえば言ってなかったね。僕は看護師として育てられ、看護師としての人生を送るはずだった。なのに、選ばれた先はネットカウンセラー。そうだよ。あの保育士と同じだ」
大人の都合で歪められた人生が、今度は社会の都合で歪められる。
「カウンセラーの知識なんてまったくなかった。友達も少なかった僕は聴く力も足りなくて、職場ではイジメに近い状況にあった。いつ辞めるんだろうって噂された。そんな日が続いて死んでしまおうかと思っていた僕の前に客人として現れたのが、聡美だったんだ」
怯えていた杏は、気付けば彼の昔話に聞き入っているようだった。
目の前にいるのは殺人鬼ではなく、ただ一人の人間。頭の理解がそう解釈したからだった。
「聡美の悩みは、失恋だった。だけど死のうと思っていた僕は、まともに話をできる状況じゃない。乱暴な対応で、お前が悪いんだとか、今思えばすごく酷い事を口走ったと思う。会話の内容は上司に見られているから、僕はその後にこっぴどく叱られた。会話が終わった後、聡美から事務所に電話が来たんだ。僕宛の電話だった。最初は出るのが怖くて仕方なかったよ、でも上司が出るべきだって何度も言うから対応した。そしたら……大丈夫かって。彼女は僕を心配したんだ」
奏楽は目頭を指で押さえた。だが、零れ落ちる涙までは抑えきれなかった。
偶然のような出会い。真っ黒な水が溜まっていた奏楽の心に、優しさと慈愛のこもった染色液が垂らされる。見知らぬ他人だからこそ、その優しさが身に染みる場合もある。
「あの時ほど、報われたと感じた瞬間はなかった。そして彼女はこう言い続けたんだよ。大丈夫、あなたは何も悪くないって。何度も、何度も。僕は……嬉しかった。すごく嬉しかったんだ。初めて、僕は生きていていいんだって思えた」
それから程なくして、二人はお互いに恋に落ちた。
「これ以上を語るのは、野暮だろうね。だから僕はもう語らない」
今度は、真が黙した。怜美を死に追いやった奏楽を、まだ許してはいない。どんな不幸に襲われようとも、殺人を許していい免罪符にはならないからだ。今後も許さないだろう、しかし。
理解はしてやれた。別の人間が同じ道を辿っても殺人には至らない。奏楽という殺人鬼を作ったのは彼の親であり、社会であり、運命自身なのだ。
「僕は東京に戻ったら、自首する。死刑を受け入れる。死ぬまでに、多くの償いをする。浅葱君、ゲームに勝ってくれてありがとう。心から感謝する」
「お前は一生をかけても償えない罪を犯した。それを自覚して、刑務所で散々な目に遭えばいい。いくら人生という名前のゲームに負け続けても、ルールを破ってはいけない。もし来世があるなら、それだけは覚えておけよ」
「ああ、分かってる。もし僕が今世だけで罪を償えないのだとしたら、来世に持ち越す。二世代先でも、三世代先でも。何度も生まれ変わって、僕は永久に償いをやめない。まずは、明日からしっかり償い続けよう」
罪の償い方は刑務官が教えてくれるだろう。真は詳しくは知らないが、人の役に立つ仕事を彼に与えるはずだ。
ならば、後は彼らに任せればいい、これ以上の言葉は不要だった。真は迎えが来るまで、怠惰にでも過ごしていればいいと思った。もう犯人は確定したのだから、見知らぬウィンチェスターという亡霊に怯える必要もなくなった。残りの時間をどう過ごすかは自由。
どうやって迎えが来るのかは分からないが、飯沼という二十の知り合いに任せればいいだろう。
真は天井を見た。もうしばらくで、この島とも別れる。二度と訪れるはずもない島、その部屋の光景を目に焼き付けるように、ただ上を見た。
不意に杏の手が強く握られた。彼女はまだ何か心に引っかかる暗雲があるかのように感じているのだろうか。久しぶりに微笑を浮かべた真は、大丈夫だと言い聞かせるように杏を向いた。
だが、杏の顔を見た真は疑問を抱いた。彼女は不安に感じていたのではない、前を見て、唖然としていたのだ。
どうしたんだ、そう尋ねる前に聞こえてきたのは銃声だった。すぐ近くから聞こえてきた。部屋の中で残響していた。真は思考が止まった、銃は奏楽の横に落ちていて、変わらずに横たわっているからだ。だからその銃から発せられた音ではないと明確になった。
鈍い物音が聞こえた。奏楽が前のめりになって倒れ、頭から血を流していた。
「若杉――さん?」
杏がその言葉を口にした途端、もう一発の銃声が響いた。
手を繋いでいた杏は、頭が半壊して脳が飛び散った。血飛沫と
亜里沙は銃を構え、銃口を真の胸に向けていた。そして何も言わず、引き金を引いた。
真の世界は鮮血に染まった。