第12話

文字数 4,115文字

 一度、真は自室に戻ることにした。怜美に、電話の用件を聞くためだった。
 自室への廊下を渡っていると、蒼佑とばったり出くわした。ちょうど階段を上っていたところで、彼は朗らかな笑みで真に小さく手を振った。
「屋敷探検ですかい? 真さん」
「部屋に戻るところだ。さっき若杉さんに挨拶をしてきた帰りだ」
「ははは! 真さんは殊勝(しゅしょう)だなあ。最近じゃ、引っ越した時のご近所巡りっていう文化は廃れていってるようなのに、真さんは昭和脳だ!」
 褒めているのか馬鹿にしているのか。見た目からは分からないが、少なくとも蒼佑に悪意があるようには思えなかった。嫌味ではないのなら、このまま素通りをしてもいいだろう。
 それじゃあ、と言って真は蒼佑の横を通ろうとした。
 しかし、蒼佑に肩を掴まれて引き留められた。
「真さん、気付いてますよね。このゲームが普通じゃないこと」
 彼は目を細めてそう言った。英と一緒にいる時とは違い、蛇が獲物を狙う時のような眼光だった。目を合わせないまま、二人は互いの背中の先を見ている。その先には、小さなテーブルの上に置かれた水晶玉が左右対称に置かれている。
「俺は、こう踏んでるんですよ。さっき言いましたよね、精神病棟から脱走した男の話」
 誰にも聞かれないように蒼佑は小声で、まるで警告するかのような鋭い口調で続けた。
「その男が、このゲームの主催者なんじゃないか……と」
「根拠はあるのか」
「あるのは散らばった点だけで、根拠はないし、点と点を結ぶ線もありません。ですけど、探偵の真さんなら分かりますよね。常識的に考えて、遺言を解けて大金を獲得するだなんて夢物語はあり得ない。明らかに不審なゲームだというのに、十六人もの人間がこうして集まっている」
 真が参加するに至った発端は怜美だった。怜美が二十に大会のことを言いつけ、二十が大会について調査して違法性がないことを確認したうえで真に声が掛かったのだ。
「更に、集まっている人達はちぐはぐ連合軍みたく共通点がない。現段階で、全員が他人同士であることが分かっています」
「――なるほど、一見おかしくないが、こういう金持ちの道楽に付き合う連中はどこかしらの繋がりがある。まったくそれが無いというのは不自然だな」
「俺たち警察も、犯人から声明があってここに呼ばれました。俺を探してみろ、と。他の参加者達も、俺たちと同じように参加せざるを得ないような招待を受けていたら?」
 あえて犯人は共通点がない者同士を集めた。この物語の整合性を合わせるために。
「もちろん俺の推測でしかないんで、鵜呑みにされて間違ってましたーじゃ堪りません。ただこのゲームが不自然だと思う点は幾つもある。送迎用のフェリーに乗っている運転手がフリーランスの男だったことも気がかりです」
「考え過ぎだろ。一つ怪しい点が見つかると大体のことが怪しく見えてきちまうからな」
 そう言いながら、真もこのゲームが不吉なものであるような予感は拭いきれなかった。随所(ずいしょ)に散りばめられているのだ。悪運を招く存在そのものが。
 目には見えない。だが感じることができる。
「何事もなく過ぎ去ってくれればいい。そう思いませんか」
 同じ感覚を、蒼佑の中に流れる血が脳にそう伝えている。真も同じだった。何事もなく過ぎ去ってくれればいい。
「帰り道を邪魔してすみません。じゃあ俺は、ちょっぴし遺言の謎解きに挑んでみますよ」
 いつもの声色に戻り、彼も自分の部屋へと足を運んだ。だが真は、しばらく路頭に迷わされた。今の話をどう飲み込めばいいのか、上手に頭が働かないからだ。
 落ち着かない感情のままだったが、真は地団駄を踏んでいる場合ではないと考えて部屋に戻ることにした。立ち止まって全てを俯瞰(ふかん)する時間ではないと思ったからだ。怜美も何か用事があって呼んだのだろうし、筋としては早く戻るのが正しい。
 何事もなかった。そういう思いで真は扉を開けた。
「浅葱くん遅いぞ。何をしていたんだ」
 彼女はまだベッドに腰掛けながら、口を尖らせてそう言った。
「若杉さんに挨拶をしてきた。お前こそ、いつまで俺の部屋でうだうだやってんだよ」
「戻ってくると思ったから待っていたんだ。電話に出なかった理由はまあさておき、話がある。浅葱くん、さっきの刑事たちの話にまだ奥があるような気がしてならない」
 人差し指を立てながら、怜美はこう続けた。
「我々が探偵であることを見込んであの話をしてくれたのは間違いないだろう。しかし、全てを話すには我々は部外者も過ぎる。事件をテレビでしか聞いたことがないのだからね。したがって、表面だけ見て頭を働かすのはよくない」
「珍しく真っ当なことを言うんだな。俺も同意見だ」
「そうだろう。刑事は、患者の顔を知っているように思える。このゲームの中の誰が脱走した患者なのかをね」
 仮に怜美の推察が事実だとしたら、法の番人としての行動に一つの矛盾が生じる。
「じゃあどうして捕縛しないんだ。そんな危険人物がいたら何をしでかすか分からないだろ」
「私もそこは考えたんだ。だけど分からない。捕縛することで刑事達が何らかのデメリットを負うから、というところまで考えて投げ出した。刑事達に不利になる事柄がないように思えて」
「だが、ないとも言い切れない。そういうことだな」
 英は可能な限りの情報を全て出したかのように見せかけているが、実際のところは不明だ。
 メディアのようなものだった。テレビ番組は、ほぼ全てが偏向報道をしている。守るべき国民のために明かされない情報もあるし、誰かが得をするから明かされる情報がある。
「なるほどな。刑事達は、俺たちを味方につけたってことか」
 真と怜美が知り得た情報は大まかにいうと、ゲームに被疑者である患者が忍び込んでいるということ。それだけ知っていれば、突然的な事態に備えられる。一人でも多くのパニック状態を出さずにすむのだ。
 全員に共有していない理由として最も適当なのは、混乱を防ぐため。このゲームは和気藹々(わきあいあい)と互いを探りあっていくゲームなのだから、目の前にいる人間が殺人の被疑者だと想像力を膨らませ過ぎれば、模様は一変する。ゲームどころではなくなるのだ。
 刑事としては、円満にゲームが進行していくのが望ましいのだ。その中で、不可解な行動を犯人が起こせば即座に捕縛するのだろう。
 だが二人では限界がある。特にスーツを着ているのだから、犯人は刑事だと察するかもしれない。真は、これは上手な戦略だと思えた。
 犯人が刑事の顔を知らない場合、警察に招待状が送られたところで確実に刑事が来るとは限らない。しかしスーツを着ていることで犯人は確信するだろう。釣り針に掛かった、と。刑事達のスーツ姿は、いわば犯行の抑止力を持つ。
「二人で捜査しているところ、俺たちという協力者が加わる。犯人は刑事以外に警戒心を抱いていないだろう。だから少しでも情報を知っている俺たちが犯人と接して不審行動を取れば、即座に対処できる。これは、俺たちが犯人の顔を知らないことが前提だ。それは分かるよな」
「よく分からないぞ」
「俺たちが犯人の顔を知っていたら、その犯人の前でとる行動が変わってくる。俺の想像だが、犯人もそういう小さな変化に過敏(かびん)になっていると思う。俺たちが事情を知っていると分かれば、犯人は普通にしているしかなくなる」
 少し考えた後、怜美は閃いたようにこう言った。
「あの二人は、現行犯逮捕したいっていうこと?!」
 何かを起こすから刑事を呼んだ。少なくとも犯人は、殺人かそれ以上のことをするつもりだろう。刑事もそれを分かっている。
「刑事達の狙いは現行犯逮捕だ。だが抑止力が強すぎるとそれが叶わない」
「そういうことか……考えもしなかったぞ。さすが、私の見込んだ浅葱くんは違うな」
「そりゃどうも。だがこれが分かったところで、俺たちはどうしようもない。与えられた役割を忠実にこなすしかないんだからな」
 刑事達の思惑は計り知れないが、同じ屋根の下で殺人者と同じ空気を吸っているという事実は全てに帰結する。真も怜美も襲われるような恨みを買った覚えは無い。だが、人間はあらぬところで人を傷つけ、恨まれていくものなのだ。
「なあ怜美、このゲームに参加しようって言いだしたのはお前なんだよな。八条さんから聞いたんだが」
「うん、そうだ。私が浅葱くんを誘ったようなものだな」
「どうやってゲームの存在を知ったんだ?」
 真がそう尋ねると、彼女は不思議そうな顔をした後に驚いたように口を開けたかと思えば考えるように細目にして、様々な感情の七変化を見せてくれた後にこう答えた。
「気にするな!」
「悪いんだが、気がかりなんだ」
 蒼佑は、自分達以外にも誘われてゲームに参加した人間がいると推理した。賞金のかかった怪しげなゲームに自ら進んで参加しようという考えを持つ日本人は少ない。現代はといえば、様々な詐欺の手口が巡行して警戒心が高まっているからだ。
「怜美、誰に教えられたんだ」
 だというのに、この参加者の数。蒼佑は言ってなかったが、きっと彼もこう思っているだろう。
 信頼できる人間にゲームの存在を教えられ、参加に踏み切ったのだ。
「私が自力で見つけたんだよ。本当だぞ」
 怜美は頑固なところがあるから、真正面から問いただしたところで同じ答えが返ってくるだけだろう。ならば、二十に聞いてみるしかない。元より真の保護者のような人だ。殺人者が潜んでいることを知らせれば、推理の力になってもらえるかもしれない。
 彼女もまた、頭脳明晰な女性だ。頼るに値する人なのだ。
「少し八条さんに電話してくる。お前はここで待ってろ」
「どうしてここで八条さんの名前が出てくるんだ?」
「経過報告みたいなもんだ。あんまり気にすんな」
 そう言って真は、まだぶつくさ言っている怜美を後目に部屋を出ようと扉まで向かった。
 だがドアノブに手をかけた途端、軽快なノック音が響いた。真は思わずドアノブから手を離し、戦慄した。
 会話を聞かれていた? 部屋に盗聴器でも仕掛けられていたのか? 真の頭脳が逡巡(しゅんじゅん)する。同じ屋根の下で、殺人者と同じ空気を吸っている……。扉の向こう側にいるのは、誰だ。
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登場人物紹介

●浅葱(あさぎ) 真(まこと)


八条探偵事務所に所属し、そこで生活している若いアルバイト探偵。

口数は多い方ではないが、心には正義の根が張っている。困っている人は基本見過ごせない。

娯楽や恋愛にはストイックだが、年相応にちょうどよく嗜んではいる。

●金井(かない) 怜美(れみ)


浅葱の助手として連れてこられたワトソン役。

ミステリー小説好きで、とにかく喋ることが好き。

浅葱のことは歳の近い相棒と認識しており、探偵として慕っている。

●黒須(くろす) 杏(あん)


黒須家の一人娘。中学一年生。

普段は根暗で覇気がないが、ミステリーの話題が出た時はここぞとばかりに明るくなる。

ミユキ、という名前でミステリー小説を紹介する動画を投稿しているが、再生数は伸び悩んでいる。

●黒須 紗良(さら)


黒須家の母親。夫の拓真(たくま)とは結婚して16年になる。

表面上は明るく振舞う母親を演じているが、彼女は二つの精神疾患を患っているため、時々ヒステリックになる。

ギャンブルが好きで、拓真とはよくラスベガスに旅行に行っていた。


●黒須 拓真(たくま)


黒須家の父親。杏からすると、優しいお父さん。

ヒステリックな紗良を宥めている内に、落ち着いた雰囲気が宿されてきた。

杏と紗良の仲が険悪なため、このゲームを切っ掛けに仲直りできないかと考えている。

●根本(ねもと) 純也(じゅんや)


フリーターとして生計を立てている男性。恒(ひさし)の兄。

楽観主義者のような振る舞いをするが、頭では常に真面目なことを考えながら生活している。

医師免許を取るために勉強するかたわら、バカンスとしてゲームに参加した。

●根本 恒(ひさし)


大学生活を満喫する純也の弟。

読書家であり、ミステリーゲーム好き。自分が一番賢いと傲慢な態度を示しては純也に諭される。

将来の目標がなく、純也や父親からはいつも気を使われている。

●若杉(わかすぎ) 亜里沙(ありさ)


良家で育てられた長女。新城(しんじょう)の婚約相手。

品行方正で他者優先。洗練された言葉遣いで周囲と接するが、常に自分を犠牲にしていて人間関係に疲弊してしまう。

新城とは政略結婚であり、何とかして取り消せないか考えている。

●新城(しんじょう) 文世(ふみよ)


新城財閥の次期後継者であり、若杉の婚約相手。

男尊女卑の家で育てられ、常に男性が女性を守るべきだという信条で動く。

若杉とは政略結婚であるが、彼女の美しさに惚れてひどく気に入っている。


●御手洗(みたらい) 英(あきら)


友人と語る馬宮(まみや)と参加している男性。

周囲とは気さくに話し、頼もしいお兄さんのような役回りで動いている。

ただし、ゲームに参加した目的はどうやら賞金だけではないようだった。


●馬宮(まみや) 蒼佑(そうすけ)


御手洗と一緒に参加した男性。二人とも同じくらいの若い年齢。

誰に対しても敬語で話すが、非常にノリが良い。高いコミュニケーション能力で、自然とその場の中心になる力がある。

御手洗とほとんど一緒に動いており、何かの調査をしているようだ。

●行峯(ゆきみね) 茉莉(まり)


一人で参加した少女。可愛らしい緑色のリボンを頭につけている。

大人と接するのが好きで、色々な人に話しかけては可愛がられている。計算高いわけではなく、彼女は人一倍の寂しがりやなのだ。

大きく機嫌を損ねると子供特有のヒステリックを催す。同年代の子供に特に顕著にその様子が現れる。

●佐伯(さえき) 奏楽(そら)


一人で参加した青年。常に和やかな雰囲気で人と接する。

周囲との協調性が高く、誰かの尻尾についていくように行動する。否定はせず自分の意見は押し殺すが、窮地になれば思い切った行動も取る。

自分の妹の治療費を稼ぐためにゲームに参加したと語る。

●秋本(あきもと) リミー


天真爛漫な高校生。日本人とフランス人のハーフであり、父親がフランス人。

物事を深く考えず、能天気な口ぶり。共感性が高く、感動映画を見たら絶対に泣く純粋な子。非常に扱いやすい。

佐伯のことが異性として気になっており、チャンスがあれば告白しようと思っている。


●古谷(ふるや) 御子(みこ)


艶やかな雰囲気のミステリー小説家。小説はそこそこの知名度を誇る。

知的であり、大人びた話し方で周囲の人間と馴染んでいくが、どこか常識から外れた思考をするからと多くの人間は彼女を避ける。友達は少ない。

数年前に付き合っていた男性に借金を押し付けられる形で逃げられ、その返済のために様々な仕事を請け負っている。


●神崎(かんざき) 紫苑(しおん)


ゲームの進行を滞らせないために呼ばれた洋館の使用人。一人で鍵や食事の管理等を任される。

寡黙で、参加者一同とは滅多に話すことはない。普段は使用人室で休んでいるか、厨房で料理を作っているかのどちらか。

そのロボットのような無感情さと手際の良さから、様々な場所で使用人としての高い評価を得ている。

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