第15話
文字数 4,898文字
それを言語化したのがリミーだった。彼女は遠慮をすることもなく、ずけずけとこう言った。
「マコト君は何か、これじゃないかなーとかいう推理はできたのかな」
この部屋のどこかにも患者がいるかもしれない。真の頭の中は患者と遺言とで二分化していた。普通の人間ならば遺言を解いている場合ではないと判断し、愉快で能天気な談合には加わらないだろう。しかし真は、遺言の真実にこそ患者の素顔が見られるのではないかと感じていたのだった。
机の上には真っ白な画用紙に黒インクの文字で遺言が記されている。真はその一文に指を伸ばした。
「この、0.00015の奇跡っていうのが遺言の謎全体の土台のような気がするな」
「マコト君、じゃあその一つ前の一番最初の従者だとか人間だとかいうのはどういう意味だと思う? 私さっぱり分からなくてさー」
「リミーだっけか、そこは同意する。俺もここの意味が分からないから次の文にいったわけだしな」
一つのことに固執するのではなく、広い視野をもってクイズに挑むのは正攻法だ。それは誰でもやっていることだが、リミーはどうやら一番最初の躓きを受け入れられないようだった。完璧に物事を解きたい人間なのだろう。
「従者も人間も、きっと同様の意味合いを持っているとは思う。二人の従者と三人の人間。どうしてウィンチェスターは言葉を変える必要があったのか、そこが問題だ」
その後の儀式じみた天使達の行いにも関連があるのだろう。
静かだった茉莉が、ゆっくりと指を動かして画用紙の上の一文に触れた。そこには七人の人間と書かれている。
「私、ここが引っ掛かっているんです」
リミーが、それはどういうことなのかと尋ねた。純也も茉莉の疑問に興味があるようだった。
「二人の従者と、三人の人間。合わせても五人です。だというのにその後に六人だとか七人だとか出てきて、よく分からなくなってしまいました。どうして増えたのだろうって」
幼いながら、重要な観察だった。あまりにも単純な疑問だったが誰も口にはしない。気付かなかったからだ。遺言には数字が多く出てくるから誰も指摘はしなかった。リミーは感嘆の息を漏らしたようだ。
「確かに、茉莉ちゃんの言う通りヘンだよね。普通は五人の人間以外登場しないはずなのに、別の進路をいったら増える。うーん。ロールプレイングゲームみたいに、仲間が増えたのかな」
リミーの推察は、間違いではないのかもしれない。遺言の進行は、何かゲームのようなものに見えた。儀式というよりも、人間を掛けることによるゲーム。遊びなのだ。
ただそれが分かったところで遺言の謎に迫れたとは思えず、一同は黙した。真は、いまだ携帯端末を操作している奏楽に顔を向けたが、彼の表情は真剣そのものだった。邪魔するのは悪いから、彼に茶々を入れべきではないだろう。
遺言の謎が煮詰まらない。青信号を渡って、数歩歩いたらまた赤信号が来るようなじれったい感覚だ。一筋縄ではいかない遺言のようだった。真は今になってようやく遺言に真正面から挑んでいるが、まったくヒントがない今、どうすれば解けるのかが分からない。
だがこういう考えもできた。ヒントがないことがヒントなのだ。すなわち、この文章だけで答えには辿り着けるのだと、真はそう直感した。しかし、人間の直感は時に外れることもある。
「真さん、僕からも一ついいですか」
発言は許可制ではないのだが、純也がそう前振りをしてからこう言った。
「遺言の内容も重要だと思うんですが、それ以前に僕は、これがウィンチェスターの遺言っていうのが気になっているんです」
思ってもない推理に、他の三人は閉口した。真は、奏楽でさえ一瞬動きが止まったと分かった。
「ウィンチェスターというのは本来、ルピナスというゲームの中だけに存在できる都市伝説が具象化した存在。いわば架空の人物です。出題者はその人物を、言ってしまえば殺した。都市伝説が死ぬというのは、一体どういう意味なのでしょうか」
純也は遺言の謎ではなく、遺言そのものの謎に思考が傾いているようだった。興味深く感じた真は、彼に便乗するように言った。
「言ってみればルピナスっていうのはロールプレイングゲーム。俺たちが探偵、犯人、市民になりきって進行していくゲームだ。医者もいたっけな。それで、ゲームとしてはウィンチェスターが死んでいて、クイズもしくはなぞなぞを提出してきた。根本さんは、どうしてウィンチェスターが死んだのかが気になってるのか」
「はい。ウィンチェスターが死ぬ。なんだか、不吉なように思えますよね」
不吉。杏も言っていた言葉だ。
「きっとこれは出題者も想定していない考えだと思っています。考え過ぎなんじゃないかとも。でも出題者はウィンチェスターを殺す必要があった。その動機が気になっているんです」
「架空の人物を殺す動機か。さすがにそこまで考えるとなるとキツそうに思えるが」
純也は自嘲気味に笑った。
「だが悪い見方ではないはずだ。俺は、そういう考えも頭の片隅に置いておくべきだとは思う。転ばぬ先の杖っていうと語弊がある気がするが、何かのヒントになるかもしれないしな」
「くだらない推理を褒めてくださって、ありがとうございます。探偵にそう言ってくれると自信がつきますね」
「言ってみれば根本さんは表面上の謎ではなく、その裏に存在している謎に気づいたようなもんだからな。俺に何も言われずとも自信はつけておくべきだ」
純也の見方は正しいが、遺言の謎が解けるほどの気付きではなかった。だから四人の談合は、再び表面上に見えている遺言の謎に吸い寄せられた。
再びリミーが口を開く。議題は一番最初の一文に戻っていた。
「ちょっとだけ先に進んで、八人の天使っていう点を見てみようよ。どうして八人も天使が必要なんだろうね」
彼女は少しだけ不思議な言い方をした。八人もいる、ではなく、八人も必要と言ったのだ。
「って、私も考え過ぎかな」
「いえ、僕は考え過ぎとは思いませんよ。出題者は八人の天使を創る必要があった。コープス、なんていう名前の天使なんていないでしょうから名前は全部出題者は考えたものでしょう。それはさておき、うーん……。この遺言に出てくる最大数が八なんですよね。一から八。ここに、何かヒントのようなものがあるのでしょうか。九という存在がないことに、何か意味が」
まるでサウナの中にいるかのように、真は頭がクラクラしてくるのだった。三人とも一つの謎も分からないまま次々進むから、頭が回らないのだ。
そんな中、真はとある一文に目が吸い寄せられた。
――罪の日時を告白せよ。
「なあ、この罪の日時ってどういう意味なんだ」
真の問いに応じたのは茉莉だった。
「何かの比喩、でしょうか。……あ!」
彼女は何かを閃いたように、手と手を叩いた。
「いえ、比喩ではないんです。きっとこれが、答えなんです」
罪の日時を告白せよ。遺言の中で、この一文だけが明確な命令文だった。真は推理が一つ跳躍し、茉莉の言葉を補足するようにこう言った。
「答えは、なんらかの数字になるんじゃないか。日時だから、何月何日の何時だとか。日時が何らかの
「お見事です、浅葱さん」
茉莉は息を巻いて手を差し出してきた。彼女の中で、何かのスイッチが入ってしまったのだろう。瞳の中に星のマークが見えるような気がする。真は尻込みして困惑したが、彼女の手を取ることにした。
彼女が手を離すと、リミーがようやく理解に追いついたようだった。
「そういうことか! うーん、だとしたら従者と人間の意味がやっぱり重要になってくる気がするんだよねえ。困ったな、全然分からないよ」
推理は進んだが、結果的には振り出しに戻ってしまった。
「だが、何を求めればいいのかが分かっただけでも進歩だ。ちょっと見落としちまってたが、これで一歩前進だな」
二人の従者、三人の人間。四人はまるで連想ゲームをするかのように、頭の中で色々な思考が巡り始めた。当たり前だが場の空気は静まりかえり、それ以上の閃きが期待できない空気感が漂い始めた。
「だめだー! 疲れた!」
そう口にしたリミーは猫背になり、机の上に突っ伏した。ここにいる人間達の思考を全て背負って代弁してくれたかのようだ。
「頭を使いすぎると、運動もしていないのに眠たくなりますよね。僕は何度も経験してます。とりあえず今はここまでにして休憩しましょうか」
純也の提案に全員が賛成した。茉莉があくびをすると、それに共鳴するかのようにリミーもあくびをした。奏楽がその様子を見て微笑し、緊張していた空気が
立ち上がった真は背伸びをして固まった身体をほぐし、談話室を後にしようとした。すると静かだった奏楽が、真に向けてこう言った。
「推理、お疲れ様です」
「お前も熱心にお疲れさん。彼女とやり取りでもしてたのか」
「え? あ、ああ……まあそんなところです」
根幹のない返事だったが、奏楽の慌てようから図星なんだろうと直感した。この直感は当たっているような気がした。
「これから浅葱さんはどちらに行かれるんですか?」
「少し若杉さんの様子を見てこようと思う。なんか、少し気になるんだよな」
「ようやく浅葱さんから探偵らしい言葉が出てきましたね」
おどけるように彼が言うと、真は疑問符を頭の上に浮かべた。
「いえ、お気になさらず。若杉さんのどのあたりが気になるんですか」
「それは分からないが、放っておけない何かがあるっていうか。別に異性として気になってるってわけじゃない」
新城という男が亜里沙に暴力を振るっているのではないか。そうでなくとも、男尊女卑の世界で生かされて苦痛な思いを強いられているのではないか。真は想像力を逞しく働かせていたのである。
杏と似たような目をしていた。誰かに助けを求めるような、そんな目だ。
「分かりました。ですがここで一つアドバイス。あまり深入りしすぎないほうがいいですよ。若杉さんはとある有名な会社の社長さんの娘さんですからね」
「そうか、分かった。そのアドバイスは胸に刻んでおくが、万が一のことがあれば他人事では済ませない」
奏楽が笑って頷くと、彼は再び携帯端末を操作し始めた。真はようやく肩の荷が降りた気がして、談話室を後にした。談合の時に向けられていた期待の眼差しが重かったのだ。結果的には推理を進められたが、場合によっては
探偵のくせに分からないのか。かつて事務所を訪ねてきた客人がそう言って、まだ若かった頃の真は金も受け取らず客を追い返した事件があった。先の推理合戦は、その時の空気感とよく似ていたのだ。
階段を上り、若杉亜里沙の部屋の前で立ち止まる。彼女の顔色を窺いに来ただけだ、そう言い聞かして、真は扉をノックした。
すると、中からガラスの割れる音が聞こえた。
「やめて! 触らないでください!」
亜里沙が声を張り上げてそう言った。
「若杉さん、どうかしたのか」
負けじと真も声を張ってそう言ったが、亜里沙は何も答えない。真は強く扉をノックした。
「こっちに来ないでください! それ以上何かするなら、この包丁で刺します!」
どうして亜里沙の様子を見に来ようと思ったのか、真は今になって確信する。嫌な予感がしていたのだ。
彼女の部屋に入った時、やはり新城文世は起きていて一部始終を見ていたのかもしれない。一緒に手を繋いだのも、見ていたのかもしれない。それで亜里沙に詰め寄っているのだろう。真は何度も何度も扉を叩いた。
「本当に刺しますよ、いいんですか!」
それだけはだめだ。真は自分の手の痛みを気にせず、何度も扉を叩き続けた。