第11話
文字数 3,728文字
彼女の心情を鑑みるならば、靴底をすり減らすのが正解なのだ。義理はないが、腰の居所の落ち着かない真はやむを得ず身辺調査に乗り出すのだった。
思い付いたことは即座に行動だ。初対面の人間と何を話すべきなのかを考えながら、大会で一度も会っていない
二人の寝室は同室だというから、夫婦かカップルだろう。真は部屋の前に立って扉を叩いた。何度か叩いても応答がない、鍵は掛かっているのだから中にはいるはずだ。
もうゲーム上での殺人がおき、話せない状況になったのだろうかと真は亜里沙の名前を呼んだ。
中から人の歩く音が聞こえてきて、ひっそりと扉が開いた。全部ではなく、人の顔が見られる隙間だけを作っている。
「はい、なんでしょうか」
顔を出したのは、ご令嬢というべき美しい女性だった。身長が低く、草と花がグラデーションのような髪飾りをつけて、服装も白いネグリジェだ。全体的に細身だが不健康というわけではなく、食生活にも気を付けているのだろうことがすぐに分かる。
「突然すまない。挨拶周りをしていて、若杉さんと新城さんとは話をしていなかったから」
この様子だと、既にゲームでの犠牲者が出ているわけではなさそうだった。おそらくゲーム内で死者が出た場合、なんらかの形で参加者に通達されるのだろう。彼女や文世が何も語らないのならば、まだ生存している。真は早急な推測だと思いながらも、それを仮定することにした。
「そうでしたか。わざわざありがとうございます。新城さんはお休み中なので、お話なら私が」
彼女は自分のパートナーを呼ぶ時、新城さんと言った。ご令嬢だから控え目な呼び方をしているのだろうか?
「失礼だが、新城さんとあなたはどんな関係なんだ」
直情的な物言いで、人によっては不愉快にするであろう質問だと知りながら真は言った。亜里沙は眉を歪めることもなく、小声でこう返した。
「婚約者です」
彼女は目を伏せた。嘘を言っているのではないと真は確信するが、しかし彼女の表情から幸福といった感情は見られなかった。男から婚約された女性とは思えない顔付きだ。
「遺言の謎は解けそうか」
触れられたくない話題のように思え、真は咄嗟に話題を変えることにした。
「いえ、全然。私の頭じゃさっぱり分からないんです。新城さんはさっきまで
「聖書を見返してみても、きっとあんな名前の天使はいないだろうな。ただ、俺はどうして遺言を掲げる必要があったのか、という点が不可解だ」
亜里沙は頭の上にはてなマークを浮かべて真を見た。
「賞金なら、ゲームの勝者に与えればいい。どうもこの遺言っていうのが主催者の気まぐれ以上の存在があるように思える」
「メッセージ、という言い方もできますね」
「なんだよ。遺言にはうだつが上がらないみたいなこと言っておきながら、頭の回転はずいぶん早いじゃないか」
彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「罪の日時を告白せよ。あの一文がおそらく答えだ。若杉さんは、アガサクリスティーのそして誰もいなくなったを見たことは?」
「ええ、あります――なるほど。あの小説も、島に集められた人たちは罪で裁かれない罪人でしたね。ではこの遺言は、私達全員に向けてのメッセージなのでしょうか」
「そこまで混み入った推理はできていないが、おそらく違う。俺の推測だが、解答は一つなはずだ。日時を告白するのだから解答は明確な数値を表している。儀式か分からないが、天使達の行いに則って進めば自然と導きだされるものがあるはずだ」
待てよ。真は話していくうちに、一つの閃きを得た。考えもしなかった内容だ。
「もしかしたら、部屋によって遺言の内容が異なるのかもしれない。例えば天使の名前や、儀式のようなあの人間の数字の意味だ。もし遺言の内容が違えば全員に向けてのメッセージなのだと納得がいく。少し部屋の中に入ってもいいか」
真が扉に手を触れると、彼女は驚いたように扉の隙間を縮めた。
「あ、それは困ります……。えっと、新城さんが眠っているので」
突っ込んだことのできない真は、普段ならばここで身を引いていた。だが今は、どうしても亜里沙達の部屋を確認しなければならないという義務感に駆られた。
「起こさないように努力する。俺は遺言を確認したいだけだ」
亜里沙は表情を渋らせて、考え込むように目を閉じた。真はまたぞろ後ろめたい気分に苛まれる結果になったが、探偵としての欲求が食い下がれと命令している。遺言の謎を解けば、今の苦しい財政状態からも解放されるのだ。
二つの理由から、真は扉の前から退こうとは思わなかった。
「分かりました、ですが少しだけお待ちください」
そう言って彼女は扉を閉めて鍵をかけると、部屋の中央へ歩いていく音が聞こえた。次に布と布が擦れる音が聞こえたかと思うと、しばらくして扉は開いた。
突然、彼女が真の手をとって指を絡めた。女性慣れしていない真は、すぐに脈拍が上がったことを実感する。婚約者が近くにいるというのに、もしこの間に目が覚めれば揉め事になるのは不可避だ。
無理矢理亜里沙の手を離すわけにもいかず、真は冷や汗をかきながら彼女に誘導される。
「こっちです、ゆっくり歩いてくださいね。絶対に起こさないように」
猛犬を起こさないように。彼女はそう言っているように聞こえた。
真は同じように飾られたプレートの前まで足を運ぶと、内容を一字一句読み飛ばさずに、上から下までなぞるように確認した。真は声を発さずに亜里沙に顔を向けて頷くと、二人は足音を立てずに出口まで向かった。
その時、真の端末がバイブ音を鳴らした。静かな室内に、存在感を募らせる音が響く。二人して足を止めて、真は急いで端末を確認し、怜美からの電話だと分かると即座に拒否のボタンを押した。
ベッドの方を見てみる。新城は毛布を頭まで被って眠っていた。亜里沙は安堵から溜息を吐き出した。
敷居を跨いで廊下に出ると、真は落胆した声音でこう言った。
「遺言の内容は同じだった。俺の憶測が正しければ、これは誰かに宛てたメッセージなのかもしれない。そうでなければ、遺言として飾る意味がないからな。その誰かというのが参加者の内の誰かなのか、それとも想像もしない人物なのかは分からないが」
「それなら、その誰かが解かなかった場合が少し虚しいですね。主催者の方は、きっと解いてほしくて掲げたと思うのですが」
「そう考えると、どうして謎解きの形式にしたんだろうな。回りくどい方法をとる必要があったのか」
真は迷路の行き止まりに当たった。これはメッセージとして仮定していたが、もしその仮定や前提が間違っているのだとしたら。正解のルートは左なのに、右のルートを歩いてしまっていたとしたら。
「私、もう少し頑張って考えてみます。何か分かったら連絡しますね。あ、あと。私の電話番号、教えておきます」
「いいのか。こういうゲームって一期一会なんだろ」
「ふふ。そうですけど、浅葱さんならいいかなって」
真は後ろ髪をかいて、顔に出るはずだった照れを隠した。
「俺はまだ名乗ってないのに、よくわかったな」
「さっき下で古谷さんと話してましたよね。私、その会話ちょっと聞いていたんです。浅葱さんが面白いことを言っていたので、覚えてしまって」
俺が金井怜美かもしれない、という会話の流れだっただろう。改まって考えると、下手な事を話してしまったものだと真は自分のセンスの無さを憂いだ。
端末を出して電話番号を交換する。思えば、探偵としてのビジネス交換でなく友人としての交換というのはずいぶんと久しぶりだった。
「ゲームが終わった後も、よかったらお茶とかしませんか?」
最初は真が食い下がっていたが今度は彼女から食い込んできて、真は戸惑いの声ばかりだしていた。
「浅葱さんって面白くて賢い人だなって思って。なんだか、昔に一度会っているみたいな感覚なんです」
実際に彼女と会うのは初対面だ。しかし真は、彼女のその言葉が持つ意味を知っていた。
人間は初めて話す相手でありながら、過去にどこかで話していたような気がするケースがある。
「まあ、いいが。俺は若杉さんが思ってるほどいい人間じゃない」
「善人な人ほどそういうんです。では、私は新城さんの飲み残したコップ等を洗わないといけないので、また」
真はあえて素気ない別れ際の返事をした。内心、美しい女性の友人ができたことによる喜びを悟られたくなかったからだ。真とていっぱしの男性だ。女性から電話番号をねだられれば、それも相手が美人なら喜びは大きなものとなる。
だからこれは喜んでもいいんだと真は自分に言い聞かして、結局態度に出すのが小恥ずかしくて何も言えないまま、閉まっているドアを長々と見つめていた。