2-12 終戦(その2)

文字数 1,032文字

のぼるが19才の8月15日、天皇のお言葉をラジオで聞いたのは、深川豊住町のT工業の焼け後であった。

残っていた鋼材を馬車に積み、錦糸町の貨物駅に運ぶ手伝いをしていた時だった。

ラジオを聞いた後、8月の猛暑の中をぼーっとしなから電車の来ない市電通りを錦糸町駅迄しばらく歩き、駅で全然来ない省線電車(JR)を待ってホームの椅子に横になっていた時に、ようやく戦争に負けたのだと、はっきり意識したのだった。

 それが分かるまでのあいまいな意識の中、まっ青な空を飛行機雲を引いたB29が1機、西から東へ飛んでいたのを見た。

その時の東京は錦糸町駅のホームから南は東陽町まで、西は国技館まで、どっちを向いても遮る物のない町になっていた。

しばらくすると、小さい日本の飛行機が一機飛んできた。ビラ撒きであった。
「重臣どもの世迷い言に惑わされず、我らと共に戦え」

そんな意味の事を書いたビラを撒いていった。それを拾ったあの時は、
「そうだ、負けてたまるか。」と本気で思った。

事実を知ってしまった後は、どっと気落ちしてしまい、次の日からはもう焼け跡の手伝いには行かなかった。

そして、ぶらぶらの生活が始まった。

やる気が起きない毎日で、ある時は川でとってきたしじみを売って歩いたこともあった。
そんなある日、隣のレンガ屋が手伝ってくれと言って来た。建築など全く素人の私に15円もくれると言うのだ。祖父母との生活はお金がいる。手伝いに行くことになった。

東京は復興の最中。住宅の建築がそこかしこで、結構忙しい日々が続き、またたく間に4ケ月が過ぎていった。

そうしているうちに12月になり、米穀通帳の更新が必要な時期になった。

今までの配給量を貰うには労働者である丙の資格が必要なのである。つまり、ちゃんとした会社の証明が必要になったのである。

レンガ屋ではその資格をもらうことができない。社長にお話しし暇をもらった。

そして鉄工所の仕事を求めて歩いた。ここからまた、私の鉄工業の仕事がはじまるのである。しかしこれからは一人前の職人としての旅立ちである。

以前の勤務先であるはT工業は、その頃には東京を離れ、茨城県の結城に工場を移転・再建した。会社は戦後の建築ブームに乗り発展を始めていたが、私は祖父母を残して、結城へ行く事はどうしても出来なかったのだった。

東京は焼け跡にバラック建ての家ばかりの頃。俺は東京でもう一度立ち上がるんだと真剣に思った。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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