1-1 出生

文字数 854文字

~時は昭和のはじめ。貧乏ではあるが活き活きと生きてきた少年がいた。名前はのぼると言う。のぼるが見た時代とは~

私のぼるは昭和2年3月に本所若宮町(現墨田区本所2丁目)で長男として生を受けた。父の妹の叔母に言わせると「兄さんの宝物」だったそうである。父27才、母25才の時の子供であった。

しかし、その父が、当時の不治の病だった結核で29才に亡くなってしまうのである。

亡くなった時には、「家に大勢の人が集まって来たのを見て、葬式にもかかわらず、何もわかっていない3才の私が大はしゃぎしていた姿がみんなの涙を誘った」と叔母が良く話してくれた。

実はこの時、母のお腹にはすでに妹が宿っており、今から思えば母も大変な時の父の死であったらしい。

父は、当時深川区猿江町にあったS計器という会社の部長の役職であった。父に先立たれた母は、きっと、小さな私とお腹の子供を抱えてさぞ途方に暮れた事であろう。

結果として、出産後まもなく妹を養女に出し、元気だった祖父母に私を預けて実家に戻ったそうである。どうやら当時としてはこうした構図はよくあったようである。

私を育ててくれた、祖父は実の父の親であるが、祖母は祖父の3人目の妻であり、私とは実の血縁関係はない。祖父は養子としてこちらの家に入り、先に養女として入っていた本当の祖母と養子同士で結婚し、こちらの家の後取りになったそうである。

祖父と1人目の妻の間に父が生まれる。しかし祖父は1人目の妻と2人目の妻とを続けて病気で失ってしまうのである。そして3人目の連れ合いとして私の育ての祖母と結婚するのである。

戸籍を調べてみると、祖父の本籍は徳右衛門町(今の墨田区立川3丁目)、祖母の出身は岐阜県加茂郡下麻町にあったが、関東大震災に遭った混乱のために、二人は婚姻届を出さないままになっていたようである。

結果として私は3才から15才の時に就職をして家を離れるまで、この祖父母に世話になった。つまり育ての祖母は、内縁関係のままで私を育ててくれたのである。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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