1-4 橋と荒川

文字数 827文字

~時代は昭和のはじめ。貧乏ではあるが活き活きと生きてきた少年がいた。名前はのぼると言う。のぼるが見た時代とは~

少年時代の荒川放水路の橋は全部木の橋であった。私が小学校に入った昭和8年に、小松川橋が今の鉄橋になる工事が始まり、その後8年間をかけて完成されたのである。私が学校を卒業するまでかかった難工事だった。
その荒川は私の家から数分のところにあり、私たちの良き遊び友達でもあった。

当時は木の橋だったので今ほどの高さはないが、夏は小松川橋から飛び込んで舟宿の桟橋まで泳いだり、川を泳いで横断したりした。当時は中土手をはさんで橋が分かれており、それを大橋・小橋と言っていた。川の桟橋近くに水練場があり、ドックと天馬船に飛び込み台のついたものが浮かんでいて、お金のある家の子たちはそこに行って泳いでいた。
一方、我がグループは、お巡りさんや船宿の人のいない時を選んで桟橋から川に飛び込んだり、引き潮で出来た水たまりで遊んだものである。

中潮のある日、友達と桟橋で遊んでいた時、舟宿の若い衆が来たので逃げようとして、慌てて川に飛び込んだ。

しかし、この時あの大事故が起きてしまったのだ。その川底には海苔のビンのかけらが上向きに落ちていたのだ。勢いよく飛び込んだ私の足の裏に、そのビンのかけらが突きささった。足を怪我したのだ。それを見た友達もビックリ。舟宿の若い衆も見に来てくれ、持っていた手ぬぐいで私の傷口を縛ってくれた。そして若い衆におぶさって家に帰った。医者にかかるお金などない我家、、、血止めと言って祖父は煙草の葉を傷口に乗せ、ボロ布で縛っただけだった。

思えば通学していた8年間で、私が学校を休んだのはこの怪我で歩けなかった4日間だけだった。

この時の傷跡は今も残り、当時を思い出させる様に時々つることがある。
小松川橋は京葉道路の重要な橋になっているが、あの時のあの場所に立つと、その日の事が昨日の事の様に私の脳裏をよぎるのである。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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