2-24 古巣に帰る
文字数 470文字
忌まわしい大火の後、小松川の大工の叔父により前とほぼ同じ位の家を建ててもらった。
会社からの家の借金も終わった昭和28年の冬、Yチェインの女子の工員もそれぞれもっと奇麗な職場を求めて退社していった。環境が変われば人の心も変わり、あれほど求めあった男女も共々に冷めていった。
丁度その頃、俺の紹介で Yチェイン に入ったT田という男がいた。T田は気の強い男で、ある時に仕事の事で俺と口論となり、殴り合い寸前迄行ってしまった。彼とはS鉄工からの知り合いだったのだが、何となく反りが合わなかった。そんな彼がいる現場では度々衝突した。
それに加えて女の子たちの去った職場の寂しさも手伝い、お世話になった工場長や同僚とも相談し退職を決めた。実は見習工時代を過ごしたT工業所が、深川平久町に本社工場を新築して職人を募集しており、その招きに応じる事にしたのだった。
Yチェインに退社届を出したのは、昭和28年12月28日の事である。こうして俺は昭和29年1月5日、T工業所に復社するのだった。
そして俺の青春期もこれで終わるのだった。
会社からの家の借金も終わった昭和28年の冬、Yチェインの女子の工員もそれぞれもっと奇麗な職場を求めて退社していった。環境が変われば人の心も変わり、あれほど求めあった男女も共々に冷めていった。
丁度その頃、俺の紹介で Yチェイン に入ったT田という男がいた。T田は気の強い男で、ある時に仕事の事で俺と口論となり、殴り合い寸前迄行ってしまった。彼とはS鉄工からの知り合いだったのだが、何となく反りが合わなかった。そんな彼がいる現場では度々衝突した。
それに加えて女の子たちの去った職場の寂しさも手伝い、お世話になった工場長や同僚とも相談し退職を決めた。実は見習工時代を過ごしたT工業所が、深川平久町に本社工場を新築して職人を募集しており、その招きに応じる事にしたのだった。
Yチェインに退社届を出したのは、昭和28年12月28日の事である。こうして俺は昭和29年1月5日、T工業所に復社するのだった。
そして俺の青春期もこれで終わるのだった。