1-9 釣り銭

文字数 1,135文字

私が小学校に通う様になった頃には、すでに祖父母は駄菓子屋を始めていた。

私は学校から帰るとカバンを放り出して、遊びに行けるような一般家庭の坊ちゃんではない。必ず何か手伝うのが日課の一つであった。その一つに店番もあった。

店といっても間口二間×奥行四間(3.6mx7.2m)。しかも棟割り長屋の中の家の事である。右側に駄菓子の並んだ棚、二尺(約60cm)の土間を挾んだ左は、1坪の板の間にもんじゃ台が二つ。その先が六畳間で、奥に台所、押入・便所・板の間。その後ろに二階に行く階段、上は八畳に押入・物干しの家であった。

もんじゃの仕込みは祖母の仕事だから、小さい頃の私は1銭商い(現在の10円20円程度)の店番だけが私に出来る仕事だった。そのうち年齢が上がるとにつれて、仕入の手伝いもする様になるが。

友だちは家の前に集まってくる様にしてあった。メンコ、ビー玉、ベーゴマ、それぞれ約束した物を持って集まって来ては皆んなで遊んだ。

お客の子供も色々で、品選びに手間取る子もいる。

「のぼる、お前の番だぞ」と店番の途中で声がかかる。

先輩ボスの「早くしろよ」との声で、折角買いに来ていたのに脅えて泣いてしまった子もいた。

祖母からは、
「1銭の商いでも、お客になる人は大切なんだよ」と、

こっぴどく怒られる事もしばしばであった。

さて、年は小さくても私もガキ大将の一人。子分共にたまにはおごる事もしなければならない。家の商売物は皆んなも飽きている。他の物を買うには金がない。ある日、私は考えた。大きいお金を持ってくる子も結構いたので、1日の売上の多い日を選んで1枚だけ貰う事を。

そして実行に移したのだった。
家の脇のドブ溝の脇に穴を掘り缶の小さいのを埋めておいて、その中にくすねたお金を入れ、土をかけておいた。20銭も貯まった時、取り出して子分共に夜店に行き、いも飴をおごった。その後もぽつぽつ貯めた。

しかし所詮は子供の考え、すぐにバレてしまうのである。穴を掘っている処を近所のおばちゃんに見られ、それを祖母に知らされたのである。

その夜、二人の前に座らされた私は説教とともにギャッと言うほど殴られた。

「泥棒は食わしておけない。すぐ出ていけ」

涙ながらの祖父母の声に、私は恐ろしい事をしたと思った。あの日の事を思い出すと今でも申し訳なさと反省で胸が一杯になる。
貧乏の中での孫育てに一生懸命だった祖父母に、いつの間にか自分も普通の家庭の子のような、甘えの心が芽生えていたのだろう。今思えば、祖父母は親のいない私に、それだけ愛情を注いでくれていたのだろう。

どうも売上が少ないので変だなあとは感じていたと、あとで祖母が言った。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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