2-3 見習工(その3)

文字数 656文字

寄宿舎に入れる食事付の見習工も、戦争が激しくなるにつれて入ってくる人数が減ってきた。それとは逆に工場を辞め、志願兵として軍隊にいく同僚も多くなった。私も志願したが胸囲が少し足らずはねられた。

入社して5年経ち、そんな18才の春のある日、労務課長に呼ばれた。

「寮の食糧事情が悪くなってきたので、東京に家のある者は通勤になって欲しい」との事。

私は喜んでOKした。

その頃私は1番年長の先輩の彼女に可愛がられていて、工場内には敵はいなかった。せっかく楽しくなってきた寮を去ることが少し残念ではあったが、祖父母の所から通える喜びのほうが強かった。

早速古い自転車を買い入れ、1つ年上の兄弟子と共に小松川から豊住町まで30分の通勤路を通い始めた。戦時中に祖父母にとっても可愛い孫がそばにいる事が、どんなにか嬉しかった事だろうかと思う。

この時から、私は貰ってくる給料は袋のまま祖父母の手に渡した。しかし18才の私の収入では大した助けにはならず、食べ盛りの胃袋を満たすには、もっぱら前に紹介したおかずが多くなっていった。

現在は上等なうなぎは二段重ねとして売られているが、我が家のうなぎはお米を少なくするために、うなぎを三段に重ねていた。今考えるととんでもなく豪華である。このお陰か?今でも私はすこぶる元気である。

これからの年期明け迄の数年間は、祖父母と一緒に暮らす事になるのだが、昭和20年3月10日の東京大空襲によって、勤め先だったT工業製作所は会社・寮共に完全に焼失してしまうのである。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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