4-2 廃業

文字数 876文字

平成13年1月に猿江のライフに車で買い物に行き、食料品売り場で玉子を取ろうとした時に失神したのだった。

妻の声に気付いて意識を回復した時、横たわっている私の周りには、 沢山の人達が心配そうに見ていたいたのだった。

幸い、倒れるときに左手はカート、右手は床についた様で、転倒しても大きな怪我にはならなかった。急いで飛んで来た店員さんに支えられながら、屋上の自分の車のところまで連れて行ってもらった。

これが脳出血系だったら動かしたことが致命傷になっただろう。

そのとき妻は店員に向かって、
「このまま帰るのは不安です。」と言った。

そこで店員さんが店長さんと相談してくれ、店員さんが私の車を家まで運転してくれることになった。

家でしばらく休んで落ち着いたこともあり、その日の夕方に城東病院へ行ったのだった。

医師はこれまでのことを確認すると、すぐに24時間心電図をとる事を決め、装置を身体にセットするとその日は家に帰った。

翌日に通院して診てもらうと、担当の先生から、
「不整脈が出ているので精密検査をする。」とのこと。

精密検査の結果は、発作性心房細動による不整脈と分かった。そしてそのまま緊急入院をすることになったのだった。

これで失神を3度したことになったのである。

家の工場には危険なものがたくさんある。
仕事中に失神したら危ないと判断して、とうとう工場の廃業を決意したのだった。

独立から40年間お世話になった機械や道具たちは、得意先であった千葉県習志野市のKメカニックの社長に譲ることにした。

するとKメカニックの社長は、
「機械はいつでも使えるようにしておくから。元気になったら手伝いに来て。」
と言ってもらえたので、工場の設備一式を引き取ってもらうことを決めたのだった。

トラックに大きな2台の機械を含めた設備が積まれて出て行った。
工場には剥がされたコンクリートのかけらだけが残った。

涙は出なかったが、工場の機械と道具達たちには心から感謝したのだった。

この時私は73歳であった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み