3-1 お付き合いと仮祝言

文字数 1,142文字

今なら東京-名古屋はわずか1.5時間であるが、妻になる彼女や叔母に会うためには、当時は急行でも6時間もかかった。まったくの遠距離交際である。

初めて叔母と一緒に岡崎に行ったのは、大阪行き夜行23時30分発だった。岡崎に着いたのは、まだ市電の始発も出ていない早朝5時頃だった。

この時には何の用で行ったのかは覚えていないが、多分、叔母が縁談を進めるために、叔父の弟にあたる彼女の両親に会わせる為だったのであろうと思う。

岡崎の叔父母の家に着いた私は、従姉妹たちの大歓迎を受け、乳兄妹の千代ちゃんにも会う。乳の大きかった母は実際には乳が出ず、私は乳の小さかった叔母から千代ちゃんの飲んだ余りをもらって飲んでいたとの事である。この叔母に逢うと今でも子供に返ってしまうから不思議である。

そして、そこから妻となる彼女の知立の家にも何回か遊びに行った。

ある日、2人で名古屋に出て映画を見て少し遅くなって帰った。義父が玄関で迎えてくれたが、彼女はなぜかひどく怒られた。
「何をやってたんだ、こんなに遅くまで・・」

ちょっと驚いたが、よく聞いてみると、何と明日、岡崎の叔父母の家で仮祝言をやるとの事だった。

「まったく聞いてないよォ」である。

私が東京からはなかなか来られないから、来た時にやってしまおうと、叔父母が決めてしまったらしい。

嫌がる彼女は無理やり納得させられ、俺もあり金を全部を出せと叔母に言われ、それを結納金に見立てた。

次の日、叔母の家の近所にいる従姉妹を集め、叔父母の父母に仲人をさせ、仮祝言をやる事になった。

元々2人共その気だったから異存はなかった。知らないのは東京の祖母だけだった。

花嫁さんの支度が整うまで、外に出ていろと私は家から追い出され、パチンコ屋に行かされた。

数時間して戻って来た私の眼に飛び込んで来たのは、可愛い・・キレイな花嫁姿の20歳の妻の姿であった。

この時は正直に「東京で付き会っていた娘さん達でなくて良かった」と、本気で思った。

手付かずの娘を嫁にする男の心理や喜びは、男でなくては分からぬものである。こんな事を言ったら今は怒られる時代かも知れないが、この時私は心の底から幸せだと思った。

東京に帰ってからその状況を祖母にも話したところ、とても喜んでくれた。

これから2人の間で前にも増した文通が始まった。

余裕のない我が家なので東京では結婚式はやっていない。
Yチェインで世話になった方々とT工業の職人へのお広目だけで終わった。

とにかく昭和30年2月に、のぼると妻との婚姻届が江東区役所の戸籍に記載されたのである。

だが、本当に結婚をしたのは昭和30年1月の岡崎市元能見町の6畳の客室であった。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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