2-1 見習工(その1)

文字数 872文字

~時は戦時中、学校を卒業したのぼるは社会に出る。が、世の中は戦争の色が濃い。そんな頃に青年になったのぼるが見た時代とは~

何とか高等小学校を卒業させてもらい15歳になった私は、祖母の弟が理事長をしていた本所大平町の東京真銅組合に小僧に行く事になっていたのだが、卒業間近になってその件がダメになった。

しかし、祖父の釣り友達のペンキ屋さんが出入りしていた、鉄工会社に入れる事になった。

貧乏で1日の余裕も無い我が家の事、考える暇もなく決まり、食住付きの寮生活の見習工として、深川豊住町(今の東陽7丁目)にあったT工業製作所に3月末に入寮した。4月1日から新入社員の見習工として、同僚となる15名と一緒に約5年間の寄宿舎生活に入ったのである。

同期は東京の子が5人、後10人は栃木・茨城・群馬からの子だった。まるで、ああ上野駅であるが彼らにとって就職列車の思い出は変わらないだろう。

この会社は製材用の機械を作っていたので関東一円が得意先だった。小僧集めの対象も関東一円だったのだろう。これまで貧乏ではあったが、俺は江戸っ子みたいな変なプライドが出てきたのが面白かった。

1年程経って都会の生活になじめなかったのか、さっそく2人の子が夜逃げをして田舎へ帰ってしまった。

この頃にはこの小さな工場にも戦争の陰が出始め、入社した年の12月8日にあの日米戦争か始まったのであった。

当時の寄宿舎は南京城と近所の人に言われる位、南京虫(トコジラミ)が沢山いた、すごい所だった。
虫はなぜか1年目の新人を狙う。ひどい痒さのため、1年間はゆっくりと寝る事ができなかった。

だが、2年目になると、またその年の新人がその被害にあう。そうするとその人が食われて、2年生はあまり食われなくなるのと免疫ができたのか、ぐっすり寝られる様になっていた。

夜中そっと電気を点けると、光を嫌うのでパラパラと大きな音を立てて逃げるほどの大群が出てきていた。これにビックリして田舎に逃げ帰った子もいた位の寄宿舎であった。

とにかく社会人生活がここから始まった。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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