2-7 志願兵

文字数 817文字

これはT工業所の見習工の時の話である。昭和18年、工場の仕事も段々と楽しいより、辛くつまらないものに思える様になってきた。そんな頃に町には「志願兵募集」のポスターが貼られるようになっていた。

陸・海軍の制服を着た若い軍人のりりしい姿のものが多かった。中でも、当時花形だった「少年航空兵」のポスターは私の目に焼きついた。つなぎの服に日本刀を持ち航空帽を被り、キッと空を見上げる写真は、心踊るものがあった。

寄宿舎にいた先輩の中からも何人かが応募して、試験を受けに行った。勝手に会社を辞める事の出来ない時代である。逆に言えば工場がいやになったら、堂々と辞める一つの手段としてこの道が選べるのであった。

私もそれに応募すべく、兄弟子を連れて祖父母のいる小松川の実家に出掛けた。薄暗い部屋で迎えた祖父母に、

「お国の為に「少年航空兵」になりたい」と伝えた。

反対は出来ない時代である。最終的には、

「ヨシ」
とは言ってくれたが、あの時は祖父母はさぞ辛かっただろうと思う。

3才の時から一生懸命に育てた孫を戦争に、しかも自らの志願で取られるのである。帰った後でキット泣いた事だろうと思う。

後日、身体計測の会場に向かった。しかし私の結果は胸囲の寸法が規格に足りず、
「もっと、しっかり鍛えて来い」
と不合格になった。

一緒に行った先輩や同僚は合格し、「霞ケ浦の予科練」に入隊したが、終戦が近くなった頃に米軍の艦積機の爆撃に遭い、飛行機に乗る事も無く死んでいった。
「命惜しまぬ、予科練の・・」の歌は、まさに同僚・先輩達のあの頃を思い出させる涙の歌である。

私はその後の空襲にも、戦災にも生き残る。さらに終戦の直前には私にも20年11月に入隊するよう令状が届いたが、入隊の前に終戦を迎えたため、結局は行かずに済んだのだ。

これは手中の宝である孫を守って欲しいという、祖父母の祈りのお陰であったのかも知れない。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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