1-20 ペット(ネズミ・猫・小鳥)

文字数 1,411文字

祖母は大の動物好きで、いろいろなものを飼っていた。ネズミ・猫・小鳥を飼っていたことがある。

まずネズミから。
ある日、縁の下で「チューチュー」と小さな声がするのに気付いた祖母に頼まれて、床下に入ってみた。そうするとまだ毛も生えていない、まっ赤な「野ネズミの赤ん坊」が二匹いた。

「持って来い。」と言うので、出してくると、
「かわいそうだから、育ててやろう」
と早速、おも湯を作った祖母は、スプーンで飲ませる。

その頃この家には三毛猫のミーがいたが、この猫は賢いのか、その姿を不思議そうに眺めているだけで、何もしなかった。

しばらくして大きくなった「チュー公」達は、他のネズミが天井で騒ぐとミーと一緒に他のネズミを追いかける様になった。この「チユー公」の一匹は育ちが悪く早く死んでしまったが、一匹は一年位生きていた。

その一匹もある日ガラス戸の隅で寝ていたところを、気づかずにうっかり戸を閉められてしまい、それに挟まれて死んでしまった。

猫のミーは長生きで16年も生きていたが、最後のお産が難産で、子供を生むと死んでしまった。この猫は十数度のお産をしたが、その内三毛猫の雄は一匹しか生まなかった。当時は三毛猫の雄は大切にされており、生まれたばかりの雄猫は海のお守りとして漁師の人に貰われていった。

今度は小鳥の事だが、これがなかなか大した鳥であった。

祖母の弟からある人の形見として貰ってきたものだが、とても人になついて、可愛い鳥であった。名前は「キー公」と呼んだが、南洋産のペリコというおうむ科の鳥であった。

春から夏にかけて羽根の部分がすっかり抜け、あざやかな緑の羽根に生え変わるのである。今ならテレビ局の取材で引っ張りだこになる珍鳥だろう。

先ず「キー公」は、人間の食べる物は何でも食べた。お酒・ビール・泡盛もチビチビやった。歌はあまり上手に唄わなかったが、同種の鳥は上手に唄うらしい。しかも、ほとんどの物は片方の足で持って食べた。うどん、蕎麦にいたっては、足で掴んだあとで長い方から食べていた。でも主食は麻の実であった。

殆どが部屋に放し飼いであった為、駄菓子屋の店先にも出て来て愛敬を振りまいていた。

祖父が工場勤めをしていた頃は、帰る時刻を覚えているのか、その時間になると店先まで迎えに出ていた。

当時の町内は静かで、しかも電車の終着駅が近かったので、電車の止まる音が聞こえた。夕方にその音が聞こえるとキー公は特に動きが激しくなり、帰宅が分かっているようだと祖母が言っていた。

近くの支那そば屋のおばさんにもなついていて、うどんや麺類を貰うと肩につかまって、掴んだ蕎麦を旨そうに食べていた。猫の「ミー」の背中に乗って昼寝もしていた。

この鳥には唯一つ嫌いな物があった。それは玉子ボーロというお菓子であった。それを見せると嫌なのか逃げるのである。あんまり可愛いがられる「キー公」にやきもちし、祖父母の居ない時にいじめたりしたから、私にはあまりなつかなかった。

そんな「キー公」も戦争がひどくなり、主食の麻の実が手に入らなくなったので、思案の結果、逆井の鳥屋さんに預ける事になった。が、家を離れてからわずか十日で死んでしまった。「こんな事なら家にずっと置いてやれば良かった」とみんなで泣いた。祖父母と共に「キー公」を引き取りに行き、家の裏のいちぢくの木の下に埋めてあげたのだった。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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