1-11 錦糸町

文字数 1,004文字

小4の10才ごろの事である。祖母の弟が法恩寺の近くの大平1丁目にいた。この叔父さんは若い頃、浅草のひさご道りの旅館にいたそうだ。私もごく小さい頃、祖母に連れられてそこに遊びに行き、帰りに花やしきに入った記憶がうっすらとある。

その叔父の家まで祖母の作った食べ物を届けに行ったことがある。今、テレビでやっている「初めてのお使い」のようだが、ある程度の年になっていたから安心と思っていたのだろう。

錦糸町で電車を降りて、駅前のガードをくぐリまっすぐ行くと、錦糸公園がある。そして精工舎を左に曲がってまっすぐ行けば法恩寺がある。その近くの橋の角が叔父の家であった。

届け物をした帰りは、映画館の看板を見たり、錦糸公園で遊び、錦糸町の高架で貨物の汽車の煙を浴びて、顔がすすでまっ黒になったりした。

叔父の家に行くと、家では絶対に食べることができないどんぶリ物が出るし、近くのお坊さんが菓子をくれたり、錦糸町の菓子問屋の前を通ると職人さん・お姉さん達がよく菓子をくれたりした。この頃はのどかな時代だった。

駅前の空き地に映画館がたくさん出来て行くのは、汽車会社がなくなってから間もなくである。その頃、駅に入って行く電車に飛び込み自殺した人を持ち上げている駅員さんの姿を見かけたこともあった。

錦糸町の白木屋から出てくる城東電車の姿が好きで、乗る前に青バスの車庫の方に行き、正面から電車をしばらく見てから乗って帰ったものだ。中川の鉄橋を渡る電車の音も好きな音であった。

錦糸町の北口あたりを錦糸掘・おいてけ掘・割下水などと言っていた時代である。

叔父の所でお昼を食べ、帰る前に
「おばちゃん便所は」と聞いた。

「階段の下だよ」と、教えられて降りて捜したがわからない。
「ないよ。化粧室しか」と私。

「ここが便所なのよ」と、おばちゃんが言った。
「終わったら水を流しなさい」と教えられた。

しかし、どうやったら水がでるのか分からない。仕方がないので前にぶらさがった鎖を引いてみる。そうすると「ザーッ」という、大きな音がしたかと思うと大量の水が出てきたので、びっくりして飛び出した。

階段の途中でその姿を見ていた叔母は、大きな声で笑っていた。でも私は、この日生まれて初めて、水洗の便所を経験したのである。

あの当時から錦糸町周辺は水洗になっていた。飼い犬のポチまで笑っていた様に思えた。
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登場人物紹介

時は昭和の始め。

貧乏ではあるが東京の下町で活き活きと生きている少年がいた。

名前はのぼると言う。

のぼるが駆け抜けた昭和という時代とはどんなものだったのだろうか。 

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