第56話 俺の頭の中で鈴の音がするのだが……気のせいか?

文字数 3,472文字

 イアナ嬢が身を乗り出した。

「何かあるんですね?」
「実は」

 と、リアさんが眉をハの字にした。

 チリンチリン。

 うん?

 何だろう、頭の中で鈴の音がしたような……。

 俺が不思議に思っているとリアさんが話し出した。

「先日ここで侍女をしていた娘がとある伯爵家に嫁ぎまして」
「それはおめでとうございます? でも、それが何か?」
「あの、お恥ずかしい話その娘と交際していた殿方がいたんです」
「あれまぁ」
「……」

 イアナ嬢。

 その反応、おばちゃん臭いぞ。

 とか思っていたら足を踏まれた。痛い。

 俺の足を踏んづけてる癖にイアナ嬢の表情は微塵も怒っていない。むしろにこやかだ。そのギャップが怖いよ。

 リアさんが話を進めていく。まあローテーブルの下の暴力事案には気付いていないみたいだし。

 なお、ポゥは今回お留守番。

 さすがに離宮には連れて行けないからね。

「その娘がいなくなってから少しして殿方本人が訪れまして……その時は私は不在で実際には見ていないのですがそれはもう凄い剣幕だったそうです」
「わぁ、最悪」

 イアナ嬢が嫌悪感を隠そうともせずに呻いた。

 同時に俺の足から彼女の足が離れる。ああ、足がじんじんするよ。

「その殿方って誰ですか?」
「……」

 イアナ嬢。

 これまたストレートな質問だな。もうちょい様子見ながら訊いてくれよ。

「なかなか答え難い質問ですね」

 リアさんが苦笑した。あ、困ってる顔も可愛い。

 とか思ったらまた足を踏まれたよ。俺の足に人権はないのか?

「もしかして貴族とかですか? それともまさか王族とか?」
「いえ。王族だなんてとんでもない」
「となるとやはり貴族?」
「ええ」

 不承不承といったふうにリアさんがうなずいた。

 まあ、あんまりこういう話はしたくないよな。まして俺たちは無関係の人間なんだし。

「その、ネンチャーク男爵が……」
「ああ、すまない。皆まで言わなくても大丈夫だ」

 俺は手を振って制した。

 ネンチャーク男爵は俺でも知ってる有名人だった。しかも悪い意味で。

 女性に対して強い執着を抱き結果何人もの被害者が出ているという。

 でもこれまでこれといったお咎め無し。少なくとも俺が王都を離れた二年前までは、の話だけど。

 でもきっと今でものうのうとしているんだろうな。

 現に被害者もいるみたいだし。

 ネンチャーク男爵は、何と宰相の弟なのだ。八人兄弟の七番目だそうだけどね。でも実弟なのは事実。

 兄弟の恥を宰相が全部握り潰しているって訳だ。

 ちなみに宰相は婿に入ってから現在の地位に就いているのでネンチャーク姓ではない。

「よりにもよってとんでもない奴に目を付けられたな」

 心の底から同情するよ。

 イアナ嬢にもネンチャーク男爵の悪名は届いていたようで、彼女は「うげぇ」とでも言いたげに顔をしかめた。

「あれは女の敵ですよね」
「私もそう思います。許されるのであれば直接裁きを下してやりたいくらいです」
「……」

 リアさん。

 今、目が赤く妖しく光りませんでした?

 それに背後に黒いオーラが漂っていたような……。あとゴゴゴゴゴゴゴゴってむっちゃ不穏な擬音を背負っていませんでしたか?

 いやいやいやいや。

 そんなはずはないよな。

 うん、気のせい気のせい。

 俺が自分に言い聞かせているとイアナ嬢がギュッと拳を握った。

 ふん、と荒井鼻息を一つ。

「わかりました。ネンチャーク男爵を捕まえればいいんですね」
「……」
「……」

 あまりの発言に俺もリアさんもぽかんとしてしまう。

 確かにネンチャーク男爵は悪い奴だけど、まだ確証もないのに捕まえようだなんて短絡的過ぎやしないか?

「おい、あくまでもネンチャーク男爵は離宮に押しかけて来たことと伯爵家に嫁いだ侍女さんと付き合っていたってことしかわかってないんだぞ」
「それはそうだけど」
「じゃあ、他の侍女さんが狙われた理由は?」
「うっ」

 イアナ嬢が呻いた。

 俺は容赦なく指摘する。

「俺たちはリアさんのときやシスターラビットのお店でのときに現場に居合わせたがそこにネンチャーク男爵の姿はあったか?」
「……」

 イアナ嬢が黙ってしまった。

 でも、俺は続ける。

「俺はネンチャーク男爵の顔を知っているがどちらの現場にもネンチャーク男爵はいなかった。しかも、シスターラビットのお店での一件では暴漢というか犯人がいたよな。あいつはネンチャーク男爵だったか?」
「ち、違うけど……違うけど」

 絞り出すように答えたイアナ嬢の声には悔しさがこもっていた。

 別に俺はやり込めたくてイアナ嬢に言っている訳ではない。

「ろくな確証も無いのにネンチャーク男爵を断罪しようとしても返り討ちに遭うのがオチだ。あいつは宰相の実弟なんだぞ。自分の兄弟の恥を隠すためなら宰相は平気で俺たちを潰そうとするに決まってる」

 それに、仮にネンチャーク男爵が犯人だとしても謎が多すぎる。

「……」

 ん?

 待てよ。

 俺はふと気付いた。

 どうしてネンチャーク男爵が犯人って前提になっているんだ?

 確かにネンチャーク男爵には前科がある。まあ正式な犯歴ではないんだけどそれでも罪は罪だ。

 ネンチャーク男爵は女の敵。

 けど、何故か釈然としない。

 俺たちはリアさんの話を訊いて、ネンチャーク男爵の悪評を知っていて……でも、それだけなんだよな。

 それなのに、どうしてこんなにもネンチャーク男爵が一連の事件の犯人だと思えるんだ?

 いや俺は少し疑問に思ったがイアナ嬢は犯人だと信じちゃってるよな。もうそれ以外はないとさえ思っているかもしれない。

 そして、リアさんも。

「……」

 リアさん、も?

 俺は彼女を見た。

 リアさんが見返してくる。

「あの、何ですか?」

 チリンチリン。

 また頭の中で鈴の音がした。

 何だ?

 俺は疑問に思いながらもリアさんとのやりとりに集中しようとする。

「幾つか確認したいんだが」
「はい?」

 小首を傾げるリアさん。可愛い。くっ、負けるな俺。

「そもそもどうしてネンチャーク男爵が離宮に押しかけないといけないんだ? 交際相手が他の男と結婚したのなら、その恋人なり結婚相手なりのところに行くのが普通なんじゃないか?」
「ああ、それは前々から話が上がっていたんです。先方の伯爵様がその娘をとても気に入られまして、ぜひにと。それでこちらとしても良い縁談でしたので彼女の実家とも相談した結果離宮の主導で話を進めさせていただきました」

 つまりはあれか。

 ネンチャーク男爵の知らない所で交際相手の縁談が進められていた、と。しかも主導していたのは彼女の実家ではなく離宮。

 ふむふむ、それじゃネンチャーク男爵がその事を知ったら離宮を恨むだろうなぁ。伯爵家も恨まれそうだけど家格は男爵家より伯爵家の方が上。いくら宰相が後ろ盾になってくれるとしてもそう簡単にやたらなことは出来ないだろう。

 てことは、これは逆恨みか?

 うーん、なーんか引っかかるんだよなぁ。

 まるで誰かに誘導されているような、そんな妙な感じがするんだよなぁ。

「むぅ、精神操作がうまくいかない。この人勇者じゃないからチョロいと思ってたのに、何で?」
「はい?」

 リアさんがつぶやいた言葉は小さすぎてうまく聞き取れなかった。

「あの、今何て……」
「ねぇ」

 聞き返そうとした俺の言葉をイアナ嬢が遮った。

「あたし思ったんだけど、もしネンチャーク男爵が人を雇っていたら? 召喚魔法を仕える人なら魔物を呼び出せるし。シスターラビットさんのお店の時も侍女さんを狙ったのが雇われ魔導師かもしれないじゃない」
「まあ、可能性はなくもないな」

 それならネンチャーク男爵がその場に居なくてもいい訳だし。。

 けど、やっぱりなーんか引っかかるんだよなぁ。

 うーん、もやもやする。

 とりあえず後で騎士団の詰め所に寄ってあの暴漢のことを訊くことにしよう。そうすればネンチャーク男爵と関わりがあるかどうかもはっきりするかもしれない。

「あ、これいただきますね」

 俺が次の予定を考えていると横で脳天気な声がした。

 イアナ嬢だ。

 彼女は菓子器に盛られた四角いクッキーを一枚摘まんで囓った。

 それはもうこれこの上なく美味しそうに食べている。

「わぁ、これ凄い。甘くてサックサクでほんのりバターの風味があって、幾らでもいけそう。あたしこれ好き♪」
「……」

 イアナ嬢。

 一応次代の聖女なんだからもうちょいお淑やかに出来ないか?

 あとそのクッキー全滅させようとかするなよ。

 一緒にいる俺が恥ずかしくなるんだからな。


 その後、全滅こそさせなかったものの大部分がイアナ嬢の胃袋に収まりましたとさ(ちゃんちゃん)。
 
 
 
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