第19話 このまま続くか?

文字数 906文字

 最近は両親の話ばかりで、夫とはどうしているんだ?と思われている人が居ても居なくても、久しぶりに夫のことを書こうと思います。

 このところ冷戦時代が嘘のように穏やかな日々を送っている。お互い歳を取って、相手をねじ伏せようなどという根気が無くなってきたからか。自己主張は相手に反旗を(ひるがえ)すことばかりではないと思えるようになった。夫に先を譲っても、気遣っているわけではない。その方が私にとって楽だからだ。(はた)から見れば、迎合に慣れたからだ、夫に屈服しただけだと言われるかもしれない。どう取られても構わないが、少なくとも私の意思や行動は嫌々ではない。

 以前何度か夫との旅を書いているが、旅の提案は私ばかりで夫は主張することもなく、ほぼ私の言いなりで行ってきた。無関心ではない証拠に旅の場所を告げた数日後にはガイド本がリビングに。町の図書館で借りてくるのが夫らしい。私はひと声かけて、それを有り難く読む。余計な会話は今も出来ないが、冷戦時代のひと声とは訳が違う。あの頃はギスギスし、必要に迫られて発したひと声だった。この先、こんな穏やかなひと声がふた声となっていくだろうか。

 必要最小限の会話だけで夫婦生活の大半を送ってきた。それは子どもたちに結婚の難しさや辛さばかりを教えてしまったような気がしてならない。アラサーの子どもたちは、今も独身だ。私たちが2人で旅行することをどう受け止めてくれているかが気になるところ。

 数日前、シンクに置いてあった炊飯器の釜を洗おうとしたら

「なんで、洗っちゃうの?しばらく水に浸けてから洗おうとしてるのに!」

と久々に声を荒げられた。ウチは以前にも書いたが、朝昼食はセルフなので、その際に使った食器や調理器具の片付けもセルフになっている。だから夫が釜を洗う場面は日常にあったが、その日はたまたま私が洗い物ついでにと思ってのことだった。

「ごめんごめん」

少し釈然としなかったが、以降私は釜に水が入ってる時には手を出さなくなった。たとえ夕飯の準備の時間が迫っていても。私が頼んだ訳ではないが、いつの間にか釜洗いは夫の仕事になっている。

 待てば海路の日和あり。急ぐばかりの人生だったなと思い返す日々です。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み