第30話 何もこの日に

文字数 896文字

 父が入院した翌日は、母の誕生日でした。

 父が『入院したい』と言い出した時、母は『私の誕生日まで頑張ってほしい』と頼んだそうだが、父の身体はもたなかった。

 父を病院に送った後、ホッとする気持ちよりも不安の方が大きかった。それは父の状況よりも母の今後の生活を(おもんぱか)って。母は『自分で出来る』と言うものの、ほとんどは常に父のサポートがあってのこと。何をするにも父に『こうだよね?』が口癖。その都度父は『おうっ』とか『そうじゃない』と返して、生活してきた。返事ばかりではなく、母の手足としての動作も。それは今年に入って少しずつ様変わりしていたが、母の口癖だけは残っていた。母に言った。

「これから昼間は、話し相手がいなくなるから毎日、誰かと電話で話して。じゃないとボケちゃうよ」

夜は弟が声をかけている。弟嫁からの日常的な会話は期待出来ないので、電話をする習慣を身に付けてほしいと思った。電話相手は片手に満たない。そのうちの2人は妹。80歳も過ぎれば行動範囲も狭くなり交友もしづらくなるのは何となく分かるが、母は友人が少ない方だと思う。これには訳があるのだが、また折を見つけて書こうと思う。

 話すこと以外に心配なのは、1日のほとんどを過ごす居間の配置。6畳の部屋にコタツとソファー、テレビ、洋服箪笥3(さお)、茶箪笥1棹。それらを置いた残りの空きが歩く場所になるのだが、それはそれは狭い。その上、電気コードが隠れていないのも気になっていた。翌日は母の誕生日。まずはサッパリ過ごしてもらおうと掃除機をかけ、ソファーの一部を別の部屋に移し、電気コードの配線を変え、常に置いてあった魔法瓶を電気ポットに替えた。たったそれだけのことだったが『動きやすくなった』と母は喜んでくれた。

 私が延泊して迎えた誕生日の昼、母とケーキを食べて祝った。その後、担当医からの電話で、父の検査結果が伝えられた。

『前立腺癌はさほど広がってはいないが、転移した肝臓の癌が異常に広がっているので、いつ心臓が止まってもおかしくない状況』だと。

 さっきまで笑顔で食べていた母の目から涙がひと粒ポロンと落ちた。

 忘れられない日になってしまいました。

 




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