第14話 一年越しで解けた謎の驚愕の結末  ~信長にまつわる体験04~

文字数 1,684文字

ここまで3話ほど、「信長にまつわる不思議な縁」の体験談を書いた。
なぜか『信長』に関する行動を取ると、不思議な偶然の一致が巻き起こる。
まさに、あの時もそうだった。

私は出版後の「信長参り」に「安土へ行きたい」とブログに書いた。
すると親切な安土在住の読者の方から「安土観光パンフレット」をご送付いただいた。



パンフレットには、信長を巡る観光ルートが詳しく書かれていた。
誠にありがたい。
これがあれば充実した「信長参り」が敢行できる。
安土の情報を得て、いつでも「信長参り」に行ける状況が整った。

そんなある日のこと。
なぜか夜中に急に「明日、安土へ行こう」という気持ちが湧いてきた。
一体、どういうことだろうか、すでに夜中12時を過ぎている。
いつものことだが、これはあまりにも急過ぎる。

「いやいや、さすがに明日はないだろう」

そう思い、安土行きを中止にしようとすると、なんだか心がモヤモヤしはじめる。

――マジか、本当に明日、行け、ってことか?

私はこれまでの経験上、モヤモヤには従った方がイイと知っている。
どうせ、ここで安土行きを中止にすれば、どんどんモヤモヤが大きくなるだけである。

「マジかぁ、明日、俺は安土に行くのかぁ」

今から準備して明朝出発となると、十分な睡眠すらとれない。
どうせなら、ゆったり安土を訪れたいと考えていただけに、急の出発に納得がいかない。
しかし、私はこの心のモヤモヤに従い、夜中に旅の準備を始めた。

鉄道ダイヤを調べると、なるべく早く家を出た方がよいと判明。
もはや、朝まで数時間しかない。

――どうして、こんなことに……

と思いつつ、急いで床に就いた。

翌朝。
私は列車に乗り安土へと向かった。
安土には昼前には着いていた。
駅前のレンタサイクルでスポーツタイプの自転車を借り、これを自分の馬として安土「信長参り」が始まった。

安土城郭資料館、安土城天主信長の館、安土城考古博物館、そして、安土城跡。



安土はとても美しい土地で、私は心ゆくまで安土を楽しんだ。
ビデオカメラを片手に、この旅を記録した。

駅前の飲食店で「信長そば」を食べ、私は家路へとついた。
安土は、どこか懐かしく、心安らぐ、美しい街であった。

翌日、なぜかすぐさま安土「信長参り」の動画編集に取り掛かった。
自分でもよく判らなかったが、「とにかく、早く動画をアップしなくては」と思った。

なぜか、出掛けから、帰宅後の動画編集まで、何から何まで、急ピッチで行われていくことになってしまっていた。

そして、動画サイトに動画をアップし、安土「信長参り」は完了となった。

「え?不思議な話はどこ?」と思われただろうか。

そうである。この話はここで終わりである。
とくに不思議なことは何一つ起こらなかったのである。

――ところが!

ところが、である。なんと!この約1年後に驚くべき事実が発覚した。

私が安土の動画をアップして1年が過ぎようとしていた時のこと。
この「安土の信長参り」の動画に視聴者の方から1件のコメントが届いていた。
そのコメントには……なんと!

――『ちゃんと信長公の誕生日に投稿してるんですね』

と、書かれていた!



――マ、マジかぁああ!

私は驚き、すぐさまネットで調べてみた。
すると、本当に「信長の誕生日」に動画がアップされていた!

信長の誕生日はルイス・フロイスの言に基づき5月11日ないし12日であるとされている。

そうである。
私は知らずして、まさに「信長の誕生日」に「信長参り」をして、「その動画をアップ」していたのであった!

さすがに、これには驚きを隠せなかった。

――なるほど、それで……

思い起こせば、あの日、なぜか夜中に「急に安土へ行け」とモヤモヤし始め、急いで準備をし、安土へと向かった。
さらには、安土から帰ると、なぜかすぐに編集をして「急いで動画をアップ」した。

これは知らずして「信長の誕生日」に、全ての工程を合わせる為に動いていたことになる。
そして、視聴者の方のコメントから、その驚くべき「事実」を一年越しに知ったわけである。

それにしても……

――知らずして「信長の誕生日」に「信長参り」とは……

まさに「事実は小説よりも奇なり」である。



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