Episode16:溺れる神

文字数 4,444文字

 同じく『ジャングル』の只中。仲間の女性陣が下級悪魔と戦っている時、ビアンカもまた『砂漠の宝石』のオーナー、ヴァンサン・エマニュエルの()であるインド人女性シヴァンシカを相手に激闘の最中にあった。

「ふっ!」

 霊力グローブを装着した拳を振り抜くと、そこから不可視の霊力の波動が衝撃となって放たれる。常人ならまともに食らえば、これだけで骨を砕くくらいの威力がある。しかし……

「甘いっ!」

 シヴァンシカはその四本腕(・・・)に、いつの間にか細身の剣を携えていた。それぞれの腕に一本ずつで計4本の剣だ。『アスラ』と名乗っていたが、その姿は本当にインド神話の中から抜け出してきた多腕の女神かのようであった。

 彼女はその4本の剣を鋭く煌めかせ、ビアンカの撃ち込んだ霊拳波動を全て斬り払って(・・・・・)しまう。どうやら剣自体にも魔力か何か異能の力を纏わせているようだ。

「今度はこちらの番ですね?」

「……!」

 ビアンカが警戒した時には既にシヴァンシカの姿が目の前に迫ってきていた。踏み込の速さも人間離れしている。そのまま上段から剣の1本を振りおろしてくる。ビアンカが身を逸らしてそれを躱すと、間髪を入れず別の剣が横薙ぎに迫ってくる。それも辛うじて躱すと今度は2本同時に正面からの突きが襲ってくる。

「くっ……!」

 二刀流どころではない。何といっても相手は4本腕による四刀流(・・・)だ。文字通り手数が違う。一旦守勢に回らされると中々反撃の糸口を掴めず防戦一方になってしまう。何とか反撃しなければと焦るビアンカ。しかし焦りは隙を生む。 

「この……!」

 相手の連撃の合間に強引に前に踏み出して直接攻撃しようとするが、それは悪手であった。

「愚かですね!」

 シヴァンシカは余っていた(・・・・・)剣を全て繰り出してビアンカの反撃を封じてくる。1本は辛うじて避けられたが、迫りくるもう1本の剣にまでは対処しきれない。その結果……

「ぐっ……!?」

 鮮血が散った。回避が間に合わずに脇腹の辺りに裂傷を負うビアンカ。辛うじて距離を取る事には成功したが、一度負ったダメージは取り消せない。

(やっちゃった……! 焦りは禁物だって散々言われてたのに……)

 ビアンカは後悔に歯噛みした。RHでのトレーニングなどでユリシーズやアダム達からいつも注意されていた彼女の悪い癖だ。特に今回のような完全初見の相手に陥りやすい。アルマンのチョーカーによってギリギリ軽傷で済んだが、それがなかったら今の一撃だけで決着がついていてもおかしくなかった。


「休んでいる暇はありませんよ?」

「……っ!」

 しかしシヴァンシカが容赦なく追撃してくるので、幸か不幸かいつまでも後悔に浸っている余裕はなかった。傷を負った身体で再び防戦を余儀なくされるビアンカ。

「ふふふ、ヴァンサンが『エンジェルハート』を手に入れたら、彼は一躍カバールの支配者になれるでしょう。そうなれば彼と同盟を組む我々『ヴィシュヌ・セーナー』がインドの与党(・・)になり、お父様が首相になる事も夢ではなくなります。全てあなたのお蔭です」

 間断のない連撃でビアンカを追い詰めるシヴァンシカが、その夢想が現実になったかのように嗤う。

「果たしてそう上手く行くかしらね……!」

 ビアンカは大きく身をかがめて、シヴァンシカの足を狙ってローを繰り出す。勿論シューズにも霊力が備わっているのでローとはいえかなりの威力だ。

「……!!」

 シヴァンシカが眉を顰めて後退した。彼女の攻勢が初めて途切れた瞬間だった。逆にビアンカは若干目を眇めた。

「あら、どうしたの? 脚を蹴られるのは嫌い?」

「……勘違いしないで頂けますか? 単に野蛮で品のない戦い方だと思っただけです」

 シヴァンシカは何事もない風を装うが、それが虚勢である事をビアンカは見抜いた。彼女も伊達にこれまで様々な相手との戦闘経験を重ねていない。シヴァンシカの連撃を必死に捌く内に、その四本腕の攻撃に徐々に順応(・・)しつつあった。


「攻守交代よ!」

 シヴァンシカが僅かな動揺から立ち直る前に反撃に転じるビアンカ。出遅れたシヴァンシカが慌てて迎撃してくる。だがもうビアンカの中に怖れはない。

 最初の斬撃を躱す。すると順番待ち(・・・・)のように別の剣による斬撃が迫る。それも捌くとやはり順番待ちをしていた別の剣の切っ先が迫ってくる。

(やっぱりだ。四本腕に惑わされ過ぎてたわ。彼女はこの力を使いこなせていない(・・・・・・・・・)……!)

 戦いの前、「自分はアスラとしては父や兄達と比べてまだ未熟(・・)だ」と言った彼女の言葉を思い出した。

 単純に手数が増えれば強いと思われがちだが、素人同士の戦いならともかく一定以上のレベルになるとその法則は容易く覆る。手数が多いという事はつまり、意識を割く対象(・・・・・・)が多いという事でもあるのだ。

 互いが命のやり取りをしている戦闘においては、生まれた時から備わっている自己の五体か、武器なら一本の得物を扱うのでやっとだ。サディークのような二刀流でさえ並はずれた戦闘センスと血の滲むような修練によって初めて、あのレベルで使いこなせるようになるのだ。

 ましてや四本腕にそれぞれ武器を持って戦うとなれば、その意識の分散度合は二刀流ですら比較にならない。下手に手数が多い分逆に注意が散漫になり、それぞれの攻撃の精度も甘くなり、上手く連携して攻撃する事など到底覚束無いだろう。

 結果今のシヴァンシカのように、ただ四本の武器を持って順番に攻撃するだけになる。これなら剣を一本持っているだけと殆ど変らない。いや、それよりも悪い。

「ふっ!!」

「くっ……!」

 下手に腕や武器が多い分、注意が散逸してしまい、ビアンカの攻撃に対して的確な防御も覚束無いシヴァンシカ。見た目の威圧感は相当なものだし、素人に毛が生えたくらい相手なら確かに充分恐ろしい力だろう。だが冷静になった今のビアンカからしてみれば、見掛け倒しの張子の虎も同然であった。

 恐らく彼女の父や兄など他の『アスラ』達はもっと遥かに強いのだろうが、シヴァンシカは能力にかまけて自己を鍛えるという事を今までしてこなかったようだ。そのツケ(・・)が回ってきていた。


「ほら、最初の余裕はどうしたの!?」

「……っ!」

 ビアンカに挑発されても、シヴァンシカはその攻撃に対処するのに文字通り手一杯で反論する余裕もない。しかし対処しきれずに徐々に被弾するようになってきた。腐っても異能者ゆえか、霊力を纏ったビアンカの攻撃にある程度耐えられているだけでも大したものだが、それだけだ。

「ぐ……く……こんな、事が……!」

 現実を認められないシヴァンシカは、焦りから強引に前に出て反撃してくる。先程のビアンカの悪手を今度は自分が再現してしまった形だ。そして当然そんな好機を見逃すビアンカではない。

 破れかぶれの反撃を危なげなく回避した彼女は、カウンター気味にハイキックを一閃させる。それは体勢を崩していたシヴァンシカの側頭部にクリーンヒットした。

「がっ……!!」

 声にならない苦鳴を上げて吹き飛んだシヴァンシカは、『木の幹』に背中から激突してそのまま崩れ落ちた。その四本腕から剣が滑り落ちる。仮にも外国の要人の娘なので殺す訳にはいかず手加減したので死んではいないものの、それでも完全に意識を失っているようだ。



「ふぅ……一丁あがりってやつね」

 決着を悟ったビアンカは大きく息を吐いて力を抜いた。同時に脇腹の傷の痛みがぶり返してくるが、何とか耐えられる範囲だ。と、その時こちらに近づいてくる複数の足音を察知したビアンカ。一瞬警戒するが……

「ビアンカ、大丈夫!?」

「ビアンカさん!」

 駆け込んできたのはルイーザを始めとする仲間たちであった。リンファ、ナーディラ、そしてオリガもいる。全員受け持っていた下級悪魔を倒したらしく、ほぼ同時のタイミングで駆け付けたようだ。

「皆も無事だったのね。良かったわ。私の方もご覧の通り何とか大丈夫だったわ」

 倒れているシヴァンシカに顎をしゃくると、ルイーザ達は揃って目を丸くした。

「こ、この人、腕が四本あルわ! 気持ち悪イ!」

「話だけは聞いた事がありましたが、これがインドの異能者たる『アスラ』という連中ですのね。よく独力で撃退できましたわね」

 情け容赦ない感想を漏らすオリガをよそに、ナーディラは感心したようにビアンカに視線を戻す。彼女は肩をすくめた。

「まあ彼女は恐らく、そのアスラの中でも最弱の部類(・・・・・)だったみたいだから。でも皆こそ良くあいつらを自力で倒せたわね。それも充分凄いわよ」

 ナーディラはともかく他の3人、特にオリガが単独で下級悪魔を撃退した事にビアンカは驚いた。

「私はまあLAでも戦った事があったし、リキョウからも色々教わってたから」

「私はコレ(・・)があったから勝てたような物だけど」

 リンファが若干謙遜しながら頭を掻く横で、ルイーザもブレスレット状になっている『パトリオット・アームズ』を掲げる。

「ビアンカさんが自力で勝っちゃったノはちょっと残念だっタな。私が助けてあゲたかったのに」

 オリガはその慎ましい胸を反らして、本当に残念そうに嘆息する。どうやら悪魔相手に白星を上げた事で少し気が大きくなっているようだ。まあこの辺は子供なので仕方ない事ではあった。逆に自閉気味だった彼女にとっては良い刺激になったかも知れない。


「でもとりあえず何とか皆無事で切り抜けられたわね。後はここから抜け出す方法を探し出すだけね」

 ビアンカが周囲の『ジャングル』を見渡しながら呟く。シヴァンシカが気絶してもこの『ジャングル』は消える事無く、未だ彼女達を閉じ込めている。やはりこれはシヴァンシカとは別の存在(・・・・)の仕業のようだ。

「術者ではなくとも、では誰の仕業か、もしくは解除方法(・・・・)くらいなら知っているかもしれませんわ。気は進みませんが彼女を尋問(・・)して聞き出すのが最も――」



「――その必要はないよ。この『結界』を張っているのは()だからね」



「「「ッ!!?」」」

 ナーディラがシヴァンシカへの尋問を提案しようとした時、唐突に男性(・・)の声が聞こえてきた。全員が驚愕して辺りを見渡した。だがビアンカだけは他の仲間たちと驚愕の意味合い(・・・・)が異なっていた。

 全員が振り向いた先、『ジャングル』の木の幹にもたれかかるようにして、一人の若者が腕を組んで佇んでいた。

「こっちのルートに男性が参加できるなんて初耳ね」

 ルイーザが素早く『パトリオット・アームズ』を展開して光線銃をその男に向ける。リンファ達も即座に臨戦態勢を取って警戒する。だがその若者はそんな物は目に入っていないかのようにリラックスした態度でビアンカに向けて手を挙げる。

「やあ、ビアンカ。こうして直接会う(・・・・)のはシカゴ以来だね? 君の事が恋しくて堪らなかったよ」

「あ、あなた……ヴィクター(・・・・・)!?」

 ビアンカが声を震わせる。それはまさについ先日、忌まわしい記憶をユリシーズに上書き(・・・)してもらって消し去ったはずの男。『幻惑の奇術師(イリュージョニスト)』という異名を持つカバールの新参構成員、ヴィクター・ランディスであった!
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