Episode8:差別の連鎖

文字数 4,594文字

 ニューオリンピア自治区の『東区』は商業地区であると同時に、主にアジア系を中心として黒人以外の有色人種達が集まっているエリアであった。中央区や西区のように何か特定の勢力が幅を利かせているという事はないが、あえて言うならこの商業地区を運営している『商店主』達の寄り合いがそれに該当するのかも知れない。

 ただしそれは彼等が『自警団』や『フロイト教』のように、数や暴力性によって君臨しているという事ではない。

「ここの商店主、そして彼等の元締めとも言える李志勇がそれだけの影響力を持っているという事ですね。その理由は当然お分かりでしょう、ミス・ビアンカ?」

 東区へとやってきたビアンカとリキョウ。やはりその李という男が中国統一党から派遣された工作員、そして神仙(・・)であるかを見抜くにはリキョウが必要なので、彼がこの区域の担当になった。

「あのペドロという人が言っていたけど、ここの人達が自治区の物流を担っているのよね? もし彼等がいなくなったら、自治区は食べ物さえ満足に手に入らなくなってあっという間に干上がってしまう。だから数や暴力に頼らなくても影響力があるという事よね?」

 ビアンカの答えにリキョウは満足げに頷いた。

「そういう事です。しかも李はチャイナタウンとの繋がりを利用して物資を仕入れているそうなので、誰か他の人間がなり替わるという訳にもいきません。貿易(・・)を押さえて相手に影響力を及ぼそうとするのは中国の常套手段です。彼等らしいやり口ですよ」

 リキョウが彼にしてはあからさまな表情で鼻を鳴らす。元は出身ながら、いや、出身だからこそ今の周国星が支配する中国統一党が大嫌いなのだろう。

 東区も中央区と同様でそこら中に浮浪者などが屯しているが、黒人の割合が少なくその殆どはラテン系かヒスパニック系であるようだった。アジア系も僅かに混じっている。

 とりあえず李が拠点としているらしい大きな物流倉庫の近くに居を構える商店を潜ってみる。韓国系の食料品店のようだ。


「……!」

 そしてすぐに異様な(と思われる)光景が目に入ってきた。この東区にはあまりいないはずの黒人達が集団で、店主と思しきアジア系の男性を威圧していたのだ。黒人達は自警団のメンバーのようだ。

「おい、店主よ。先週までと値段が違うじゃねぇか? 俺達相手にふっかけようってのか?」

「ね、値段は仕入れの量などによって変わるものなんだ! 別にふっかけるつもりなんてない! 変な言いがかりは付けないでくれ!」

 自警団の黒人の1人が凄むが、韓国系と思われる店主も青い顔をしながらも萎縮せずに抗議する。反抗された黒人たちの目が吊り上がる。

「こいつ……俺達自警団に逆らう気か?」

「ロス暴動も確か最初は韓国人が原因だったよな。お前ら、俺達を舐めてるだろ」

「何だったら強引に持ってったっていいんだぜ? 変な意地張らずに俺達が笑ってるうちに折れた方が身のためだぞ?」

 男達は店主を威圧恫喝して、挙句に堂々と強盗します宣言をしていた。自警団がその気になればここではそれが罷り通ってしまうのだろう。こういう無法者相手にはやはり武力で対応するのが正しいやり方だ。東区にはそれが無いので、目先の物事しか見れない頭の悪い連中は舐めた態度を取るのだろう。

「ふむ……ここは少し恩を売っておきましょうか。ビアンカ嬢は動かないで下さい」

 サディークとは違って、きちんとビアンカに断りを入れてから動き出すリキョウ。まるで床を滑るような動きで足音を立てずに男達に近付く。


「申し訳ありませんが店内で騒がないで頂けますか? 我々のような他の客に迷惑ですので」

「――おわっ!? いきなり何だ、お前……!?」

 男達が気配を感じさせずにいきなり後ろから話しかけてきたリキョウに、ビクッとその巨体を震わせて慌てて振り返る。しかしそこにいたのが一見物静かな印象の東洋人だと知って、露骨に見下した様な態度になる。

「ち……ここは黄色猿ばっかで猿くせぇなぁ」

「てめぇらの迷惑なんざ知った事か。怪我したくなきゃ引っ込んでろ」

「外の街路樹に昇ってキーキー鳴いてろよ」

 その台詞に男達が自分で爆笑する。遠巻きに見ているだけのビアンカもあまりの暴言に眉を顰めた。だが罵られた当のリキョウは涼しい顔のままだ。

「ふむ、白人たちから『差別』を受けているはずの黒人達(あなた方)が、外見だけでアジア人を差別しますか。これは面白いですね。結局あなた方は自分達が白人の代わりに王様(・・)になりたいだけなのでしょう? この小さな『箱庭』の中で、そのちっぽけな自尊心を満たしているという訳ですね。そんなに多数派になりたいなら、全員でアフリカに移住しては如何ですか? まああなた方のような知能の低い亜人種(・・・)にやって来られてもアフリカ人が迷惑するでしょうが」

「な…………」

 思ってもみなかった痛烈な皮肉を返されて、男達は一瞬絶句する。そしてその足りない頭でも何を言われたのか理解すると瞬間的に激昂した。


「てめぇ、上等だぁっ!!」

 最寄りの男が掴みかかってくる。体格も体重も遥かに勝る男相手に、リキョウは相手が胸倉を掴んだ瞬間、流れるような動きで半歩下がる。それだけで男が体勢を崩した。

 その動きに抗わずにリキョウが男の頭に手を添えた……ように見えた。すると男は軽く押されただけにも関わらず盛大に転倒して床に頭から突っ伏した。

「ここでは店の迷惑になりますので表に出ませんか?」

「こいつ、ふざけやがって……! 殺してやるっ!」

 リキョウが促すが、仲間が『黄色猿』にやられた黒人達は激昂してお構いなしに殺気立つ。サディークの時と似たような流れだ。このままでは乱闘は避けられない。ビアンカがそう確信した時……


「――一体なんの騒ぎ!? ただの食糧の買い出しにいつまで掛かってるの!」


「「……!!」」

 唐突に甲高い女性の声が響き、特に自警団の黒人達が硬直して動きが止まる。ビアンカは勿論叫んではいない。となると今の声は……

 ビアンカが視線を向けた先、店の入り口に1人の若い黒人女性が腰に手を当てた姿勢で男達を睥睨していた。

 年の頃はビアンカとそれほど変わらないように見える。黒人らしい縮れた黒髪をショートヘアにした美しい女性であったが、今はその気の強そうな双眸が苛立ちで不機嫌に吊り上がっている。

 ビアンカはこの女性が誰なのかすぐに直感した。それを裏付けるように自警団の連中がその図体を縮こまらせて恐縮する。

「ル、ルイーザ(・・・・)様……」

「あなた達は図体ばかり大きくて、満足に買い出しも出来ないの?」

 その女性――キース・フロイトに娘にして、この『ニューオリンピア自治区』の象徴(・・)でもあるルイーザはツカツカと店内に入ってくる。


「い、いや、それが……。ここの店主が生意気にも値段を吊り上げやがるもので、俺達は値段交渉(・・・・)の最中だったんですよ。そこにこのアジア人が邪魔してきて……」

 彼等が指し示すのはリキョウだが、ルイーザの目は彼の足元で突っ伏して呻いている自警団の男に向けられた。そして盛大に溜息を吐いた。

「これからミスター・李の所へ顔を出すという時に、彼から商品を卸している店で恐喝(・・)を働くなんて正気? あなた達の仕事ぶりは叔父さんにきちんと報告しておくわ」

「……っ!」

 あのダニーの性格から考えても、神輿(ルイーザ)の機嫌を損ねたこの者達は確実に何らかの制裁が加えられるだろう。それを悟って男達がこの世の終わりのような顔になる。それを無視してルイーザはリキョウに向き直る。

「連れが失礼をしたわ。どうかこれで気を悪くせずに、ここでの滞在を楽しんでもらえればと願ってるわ」

「……お気遣いありがとうございます、ミス・フロイト。私こそ差し出がましい真似を致しました。貴女のような方がこの自治区の代表と知れて安心致しました」

 リキョウは優雅にお辞儀をする。流石に男達の手前、彼女の手を取って口づけするのは控えたようだが。それに彼の言っている事もあながち世辞ではないだろう。ビアンカもそれには同意であった。ルイーザは意外にこの自治区の現状(・・)を把握しているように見えた。


 と、そのルイーザの目がビアンカの方に向いた。

「……!」

「あなたは……白人? 誰かの連れかしら? 白人が1人でいるには危険な場所だと思うけど?」

 興味と警戒が入り混じったような視線が向けられる。リキョウが少し慌てた様子で割り込む。

「申し訳ありません、フロイライン。彼女は私の連れです。お目障りであればすぐに下がらせますので」

「……いえ、その必要はないわ。白人は憎いけど、別に全ての白人が差別主義者だとも思っていないわ。あなたの連れであるなら、彼女は違う(・・)という事でしょう。……そういう人は大事にするといいわ」

 ルイーザはそれだけ告げると、男達を引き連れて店を出て行った。


「……驚いたわ。意外に、といっては失礼だけど、随分まとも(・・・)な女性みたいね」

 店主に聞こえないように小声で話すビアンカ。リキョウも頷いた。

「確かに。汚い大人達やカバールに利用されているだけの何も知らない神輿というイメージでしたが、案外そうでもないのかも知れませんね。そして彼女はこれから例の李という男に会う用事があると言っていました。間違いなく李志勇の事でしょう。彼女に虹鱗を張り付けておきましたので、これである程度の情報が収集できそうです」

 突発的な機会も逃さず利用するリキョウ。ビアンカは、あのルイーザという女性は今のこの『自治区』の有様をどう思っているのだろうか、またその裏にあるカバールや中国の思惑について何も気づいていないのだろうかと、そんな事が気になった。


「ん……? あの犬は……」

 その時リキョウが、ふと店の外に目を向ける。そこには一匹の犬が座り込んでいて、彼の視線が向けられるとまるでそれを厭うように立ち上がって、どこかへ走り去っていってしまった。

「リキョウ、どうしたの?」

「いえ……まあ、気のせいでしょう。何でもありませんよ、ミス・ビアンカ」

 リキョウはかぶりを振ると、ビアンカと今後の事について話しながら『東区』の調査に戻った。




 『自治区』の外れにある寂れた空き地。そこに先程の野良犬がやってきた。犬は周囲に誰も居ない事を確認するように首を巡らせると、廃材の陰に静かに屈みこんだ。

 すると不可思議な現象が起きた。中型犬ほどの大きさの犬が見る見るうちに肥大(・・)していき、身体を覆う体毛も消えていき、毛の生えていない地肌が露出するようになる。

 数瞬の後に、そこには1人の全裸の男(・・・・)が出現していた。浅黒い肌のラテン系の若い男。それは……ビアンカ達が最初に『自治区』に潜入した際に、彼等に自治区の内情を伝えて調査の指針を示した、ペドロ・アルバレスと名乗る泥酔男であった!


「ふぅ……危ない危ない。あのリキョウって御仁は特にその辺の感覚が鋭そうだ。余り同じ姿(・・・)で近付かない方が良さそうだね」

 ペドロは誰が聞いている訳でもないのに芝居がかった仕草で大仰に呟くと、隠してあった衣服を素早く身に纏う。

「さて、これで大体のお膳立ては整ったが、これがどう転ぶかね。上手くこの『自治区』を引っ掻き回して黒幕(・・)を炙り出してくれよ?」

 ペドロはまるで劇場でこれから始まる舞台を楽しみにしている観客のような表情で呟くと、そのまま酔っ払いのふり(・・)をしながら自治区の中心街へと戻っていくのであった……
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