Episode9:悪欲

文字数 2,503文字

 カリブ海北東部に浮かぶヴァージン諸島。その中にある小さな島、リトル・セント・ジェームズ島。通称『エルスタイン島』。本来は不毛な無人島に過ぎなかったこの小島を大富豪である『彼』が購入し、秘密の社交場へと作り替えた。

 彼はそこに世界中から買い集めた『商品』。即ち年端も行かない少年少女たちを奴隷として働かせ、アメリカのみならず世界の要人や著名人を対象に、彼等の『表では発散できない欲望』を満たす為の商売を始めた。

 金は文字通り腐る程持っている連中だ。『商売』の噂が広まると面白いように顧客(・・)が増えた。連中は表社会でも大きな財力、権力を持っている者が殆どで、その『力』を以って司法や時にはメディアをも抱き込み、こちらが念を押すまでもなく進んで秘密保持、情報統制に協力してくれた。

 順調に広がる『商売』。膨れ上がる財産。その裏で数えきれない程の『商品』が摩耗(・・)して廃棄処分(・・・・)になっていったが、彼の栄達のために必要な『投資』であり、些細な事であった。替わりはいくらでも補充(・・)すれば良いだけだ。

 そんな中、彼の欲望と邪心に目を付けた『悪魔』が契約を持ち掛けてきた。その契約を喜んで受けた彼は、どんなに財力があっても決して手に入れられなかったはずの不老長寿(・・・・)と、そして超常の力を得た。

 全ては順調に行っている。このままカバール(・・・・)に中で影響力を増していけば、やがて彼がカバールそのものを支配できる日が来るかもしれない。




「……そんな矢先に『エンジェルハート』たる君が私の島にやってきた。これはもう天啓という他ないであろうな」

 エルスタインはそう嗤ってビアンカの顎に手を掛けて覗き込んでくる。後ろ手錠をされているビアンカは屈辱的な姿勢に甘んじるしかない。

「ふふ、他の連中は君を単に『天使の心臓』の付属物(・・・)としか見ていなかったが、私は違う。最終的に心臓を頂くのは確定事項として……その前に君自身(・・・)を味わわせてもらうのも悪くは無さそうだ」

「……っ!?」

 ビアンカは愕然とした。エルスタインの顔には紛れもない欲情(・・)が浮かんでいたのだ。カバールとの戦いにおいて、これはある意味初めての経験かも知れなかった。

「このような商売をしているとねぇ。商品価値を保つために『商品』に自分で手を付ける訳にもいかないが、流石に『エンジェルハート』を商品として出す訳にも行かんからな。つまり私が手を付けても問題ないという訳だ」

「……っ!」

(イ、イリヤ……! イリヤは……!?)

 直接的な表現を使ってくるエルスタインに別の意味で危機感を募らせたビアンカは、心の中でイリヤに助けを求める。あの少年は最近になって修得したテレパシー能力で、ビアンカが念じるだけでその危機を察知できるようになっていた。

 直接思考を読み取るにはかなり近づいて向き合っていなければ難しいらしいが、強い念を感知するだけなら数キロ離れていても解るらしい。つまりこの島くらいの広さであればどこにいても通じるはずだ。だが……

(イリヤ……? イリヤ……!?)

 ビアンカの思念をキャッチしたらすぐさま反応が返ってくるはずであった。実際に事前にテスト(・・・)もしている。だがいつまで経ってもその反応が返ってこない。もしかしてまだ寝ていたりするのだろうか。


「ああ、言い忘れていたが、君と一緒にやってきたあの少年。非常に素晴らしい逸材だが、残念ながら検査(・・)でESP反応が検出された為に、ロシア政府(・・・・・)からの横流しで買い取った『制御装置』を付けさせてもらっている。アレは外見が無骨だから余り使いたくないのだが背に腹は代えられないのでね」


「な……!?」

 ビアンカは驚愕して目を見開いた。ロシアの『制御装置』といたら、アラスカでイリヤと最初に出会った時に額に着けていたあの機械の輪の事か。やっとの思いで解放されたはずののあの『制御装置』にイリヤは再び囚われてしまったというのか。

「君が『エンジェルハート』だと解った時点で、一緒にいた者を疑うのは当然の事だろう? 尤も噂の腕利き護衛があんな年端も行かない美少年とは想定外であったが」

「く……!」

 ビアンカは顔を青ざめさせてエルスタインの手から逃れようとする。しかし当然奴はそれを抑え込んでくる。

「今更どこに逃げようと言うのかね? この島に入り込んだ時点で君に逃げ場はないのだよ。君は自ら進んで『檻』に囚われたのだ」

「……っ!」

「ここは治外法権だ。アメリカの司法も大統領の権力もこの島には及ばない。さあ、大人しくその――」


 エルスタインがそこまで言い掛けた時だった。物凄い衝撃と轟音がこの部屋……いや、恐らくこの施設全体を揺らした。そしてすぐに響いてくる取り乱した大勢の足音や悲鳴。

「……!! 何事だ!?」

 エルスタインはビアンカの腕を掴んだまま、乱暴に部屋の扉を開け放って階下のホールの様子を見やる。そこはビアンカがこの部屋に連れ込まれる前は、赤い絨毯やカーテンが敷き詰められて、大勢の『会員』達が『商品』である少年少女たちに狼藉(・・)を働いていた頽廃の空間であった。

 しかし今は……ソファやテーブル、その他様々なオブジェクトが乱雑に吹き飛ばされて見る影もなく散らばり、丁度ホールの中心辺りには床が抉れて岩盤が剥き出しになった大きなクレーター(・・・・)が出来上がっていた。

 人々はそのクレーターから遠ざかろうと悲鳴を上げて逃げ惑っているようだった。その混乱の中心……即ちクレーターの爆心地(・・・)には2人の人間がいた。

(あ、あれは……イリヤ!? でももう1人は……)

 爆心地に佇んでいるのはイリヤであった。その額に『制御装置』は見当たらない。そしてもう1人、彼に庇われるようにして立っているのはやはり年若い少女であった。美しい……ロシア人と思われる容姿の少女。

 ビアンカはその少女の容姿に見覚えがある事に気付いた。それはあの夢の中でイリヤと会っていた、そして彼を拒絶(・・)した少女に違いなかった。あれから数年は経っているだろうが間違いない。


「お前ら……オリガ(・・・)を虐めた奴等、全員許さナい……。皆、消えて無くナっちゃえ!!」 


 ビアンカの事も見えていないらしいイリヤは、怒りの咆哮を上げてその強力なESPを一気に解放した!
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