Episode17:ターニングポイント

文字数 6,179文字

 『肉剥ぎ殺人事件』、通称『リーヴァー』の捜査は佳境に入りつつあった。少なくともローラはその認識であった。

 昆虫食研究プログラムという名目で資金を集めていたオットー・ベルクマンという研究者。そしてその事業に出資した債権者達が立て続けに狙われた事。ベルクマンが所長を務めていた民間研究所で『リーヴァー』が猛威を振るった事。そして現場から失踪したベルクマン。

 捜査を担当したリンファも提言していたが、ローラ自身もベルクマンがほぼクロ(・・)で間違いないという確信を抱いていた。

 自分の研究所を壊滅させた理由は解らないが、それもベルクマン本人を確保すれば解る事だ。ローラはオットー・ベルクマンを最有力容疑者として、捜査員にベルクマンの行方を捜索しその身柄を確保する事を指示していた。

 現在リンファ達も含めて部下の刑事達は全力でベルクマンの身柄を捜索している最中であった。ローラは叶う事なら自分が直接犯人を捜索したい衝動に駆られながらも、根気強く捜査員たちを統括して捜査を進めていた。


 そしてこの日、捜査員たちの成果報告待ちとなり久しぶりに帰宅が出来る事になったローラは、家路へと急いでいた。

(……この不規則な生活は刑事の宿命みたいなものね)

 ローラは内心で嘆息する。自分で解っていてこの道を選び、今も続けているのでその事自体に不満は無かった。そして最近になって自分はかなりのハードワークにも普通に耐えられるという事も解って来ていた。

 今までそれを試す機会がなかったので知らなかったのだが、その気になれば3日くらい徹夜でも問題なさそうだ(ただし食事と飲水だけは欠かせなかったが)。男性の屈強な警察官でも流石に3徹は厳しい。

 だがローラは自分に何故そんな無尽蔵のバイタリティがあるのか、その理由(・・)に心当たりがあった。

「…………」

 帰り道に通りかかった店のウィンドウに写った自分の姿を眺める。そこにはどう見ても20代前半ほどにしか見えない若い女性の姿が写っていた。ローラの実年齢(・・・)は既に30を越えているのだが、客観的に自分の容姿を見て年齢が30を越えているようには全く思えなかった。

 特に何か濃いメイクをしている訳でも、何らかの若作りをしている訳でもない。ましてや今は過酷な捜査の合間で、見た目に気を遣っている余裕などないにも関わらず、だ。

 実年齢が20代のうちは特に意識していなかったのだが、流石に30を超えてくると違和感(・・・)に気付き始める。


 自分がポリスアカデミーを卒業した頃あたりから、外見的にほぼ歳を取っていない(・・・・・・・・)という違和感に。


 そしてローラには自分の外見が歳を取らない理由にも心当たりがあった。それは人間離れした体力があるのと同じ理由だ。その心当たりとは……数か月前の『ゲヘナ』事件の際に知った、自らの出自(・・)にあった。

 そこで彼女は自分の実父(・・)が人間と悪魔のハーフ……つまりは半魔人(・・・)である事を知った。その半魔人である実父が人間の女性との間に作った子供、それがローラなのだ。


 それはつまり、彼女は悪魔の血を引くクォーター(・・・・・)であるという事を意味する。彼女は、純粋な人間ではなかった(・・・・・・)のだ。


 ローラが歳を取らないもしくは老化が遅い理由、そして人並み外れた体力がある理由はそれしか考えられなかった。

(……今は何とか誤魔化せるけど、10年後はどうしようかしら)

 自分が純粋な人間ではないと自覚したローラだが、唯一の懸念はそこであった。恋人が吸血鬼で仲間にも人狼やトロールなどの人外がいる身としては、今更自分も人外であったと知っても然程のショックはなかった。むしろ自分が予想していたより遥かに長くミラーカと共に在れるかもしれないという喜びすらあった。

 だが仕事の方はそうはいかない。今は良くても流石に40歳を過ぎても今と外見が全く変わらなかったら、美魔女どころの話ではない。周囲の同僚達からは確実に不審を持たれるだろう。そうなったら今の職場に居続ける事も難しくなる。

 ローラが普通に歳を取る人間であればこんな心配はしなくて良かった。何事も全て良いようにとは中々行かないものだ。ミラーカはそれこそ500年前から歳を取らずにそういう生活をしていたはずなので、やはりまずは彼女に相談してみるのが一番だろう。

(まあ将来の心配をする前に、直近の問題(・・・・・)を切り抜けられなかったら意味は無いのだけど)

 ローラを『呪いの元』として排除を狙っているという大統領府のエージェントの問題。これを何とかしなければそもそも将来の話どころではない。

(ミラーカ達が何らかの成果を出してくれてればいいけど……)

 当てもない想念に沈みながら帰路を歩くローラ。路地に入った時、彼女は目の前に誰かが立っている事に気付いた。



「ハイ、あの時以来ね。まだ決心は付かないかしら?」

「……!!」

 タンクトップにホットパンツのワイルドルックな若い女性。大統領府のエージェント、恐らくその『司令役』と思われる女性ビアンカ・カッサーニであった。タイムリーな出現にローラは緊張した。

「またあなた? 何の話か全く分からないと言ったでしょ? これから久しぶりに帰るんだから邪魔しないでもらえるかしら」

「……『リーヴァー』事件の捜査、順調に進んでるみたいで流石ね? でも私達の仲間の1人も『リーヴァー』を追ってる。()は腕利きよ。警察が何もしないでも間もなく事件は解決すると保証できるわ」

「……!」

 ローラは思わず足を止めてビアンカを振り返った。

「だからこれ以上街への被害は心配いらないわ。後は……『呪いの元』をどうにか出来れば、街は完全な平穏を取り戻せる訳だけど……」

「……何度も同じ事を言わせないで頂戴。私には関係のない話だわ」

 ローラが頑なな態度を崩さないと、ビアンカはかぶりを振って嘆息した。

「本当はあなた達が自発的(・・・)に協力してくれれば一番いいのだけど、私達としてもあまり悠長にはしていられないの。特に私の仲間には好戦的な性格の者も多い。もし彼等が強硬手段(・・・・)という選択肢を採った場合、私にも完全には止められないわ」

「……! 脅す気?」

「脅しじゃなくて事実よ。でも結果的には脅しって事になっちゃうのかな。だから……」


 ビアンカがそこまで言い掛けた時だった。唐突に空気の『質』が変わった。具体的に何がどう変わったのか解らないのだが、しかし何か違和感がある。そんな感じの変化であった。


「な、何……!?」

「これは……『結界』!? ち……よりによってこんな時に……!」

 ビアンカはこの現象に心当たりがあるらしく舌打ちして身構えている。そしてローラもこの感覚は以前にも覚えがある(・・・・・)事に気付いた。

 路地の奥から男が2人、こちらに歩いてきた。どちらも特徴のない街の若者といった風情だ。だが、違う。ローラには本能的にそれが察せられた。

 その彼女の予感を裏付けるように、男達の姿が変化(・・)していく。背中から大きな皮膜翼が飛び出し、異様な色合いの肌に鉤爪の生えた凶悪な手足。そして顔は人間を戯画化したような醜い面貌で、不揃いな牙が生え並ぶ。

 それは伝承に登場する悪魔そのもの(・・・・・・)の姿。ローラはこいつらを知っている。それはもう終わったはずの悪夢の残滓。


「ビ、ビブロス……? な、何でこいつらが……?」


 ローラが呆然とした声を上げるのを尻目に、その悪魔……ビブロス共は奇声を上げて襲い掛かってきた。一体はその手に剣を作り出して斬り掛かってくる。そしてもう一体は手の先に火球を発生させてそれを撃ち出してきた。

 もう間違いない。こいつらは本物(・・)だ。あの『ゲヘナ』事件の際に大量に現れた魔界の尖兵。魔界へと通じるゲートは閉じたはずなのに、何故こいつらが現れたのか。


「くっ……!」

 ビアンカは飛んできた火球を避けつつ、斬り掛かってくるもう一体へ対処を余儀なくされる。そこでローラは気付いた。ビブロス共はビアンカだけ(・・)を狙っているという事に。ローラの事が眼中に入っていないかのようだ。

(ど、どういう事? 魔物が私を無視するなんて……)

 ローラにとってある意味で新鮮な体験ではあった。彼女の見ている前でビアンカは剣を持ったビブロスと戦っている。ビアンカの体術はかなりのレベルでビブロスともある程度互角に戦えている。だがそこに撃ち込まれる後方支援(・・・・)にまでは対処できない。

 もう一体のビブロスが再び、今度はその手にスパークを発生させる。電撃を放つ気だ。今のビアンカにそれは躱せないだろう。そう思った時、ローラは反射的に動いていた。

 ――ドゥゥゥゥンッ!!

 素早く抜き放ったデザートイーグルからマグナム弾が発射された。ビアンカだけを見ていてローラを意識していなかったビブロスは、マグナム弾の直撃を受けて側頭部に巨大な風穴を穿った。

 ビブロスは物も言わずに吹き飛び、そのまま消滅してしまった。ビアンカと切り結んでいた方のビブロスがそこで初めてローラに注意を向けた。だがそれはビアンカにとっては大きな隙となった。

「ふっ!!」

 呼気と共に大きくジャンプした彼女は、上から打ち下ろすような形で全力のストレートをビブロスの顔面に叩きつけた。インパクトの瞬間、彼女のグローブから何らかの力が放出されてビブロスの顔面を原型を留めないくらいに陥没させた。

 やはり物も言わずに消滅していくビブロス。それを尻目にビアンカはローラに向き直る。


「……まさか私を助けるとは思わなかったわ。お礼を言った方がいいのかしら?」

「あなたは……」

 ローラがあの悪魔達が襲ってきた理由を問おうとした時、ビアンカの表情が再び厳しいものになる。

「『結界』が解けていない。まだ何かいるわね。出てきなさい!」

「……!」

 ビアンカの叫びに応えるように、路地の向こうから新たな人影が現れた。今度は1人だ。ローラはその人物を見て目を瞠った。彼女の記憶に間違いがなければ、それはこのカリフォルニア州の州議会議員(・・・・・)デイヴィッド・ラスボーンであった。

 だがラスボーンはやはりローラの事は眼中にないようで、熱に浮かれたような異様な目でビアンカだけを見据えていた。


「見つけたぞ、『天使の心臓(エンジェルハート)』よ。あの厄介な護衛共とも離れて単独(・・)でいる所を捕捉できるとは、私は運がいい。お前の『天使の心臓』を抉り出して、我が主へ捧げるとしよう」


「……っ! 中級悪魔か!」

 ビアンカは先程までより格段に緊張を高めて身構える。一方でローラは激しく混乱していた。何か彼女の与り知らない事態が起きているらしい。そしてその中心にいるのは自分ではなくビアンカだ。

(『天使の心臓(エンジェルハート)』ですって? 彼女の事? 一体何が起きてるの?)

 ローラが混乱するうちにも事態は進む。ラスボーンがやはり変身(・・)を始めた。ただし先程のビブロス達とは比較にならない勢いで筋肉と骨格が肥大していく。

 数瞬の後、そこには体長が3メートル以上はある単眼の巨人が屹立していた。巨人と言っても脚が短く腕が長いゴリラのようなシルエットだ。その牙が生え並んだ口から蒸気のような吐息が漏れ出る。

(こ、これは……確か……)

「ヴァンゲルフか! 厄介ね……」

 『ゲヘナ』事件の際に現れ、ローラの仲間であるセネムがモニカやゾーイの力も借りて3人掛かりで倒したという巨大な悪魔。それが今ローラの……否、ビアンカの目の前にいた。


『『エンジェルハート』……貴様の心臓を寄こせェェッ!!』

 ラスボーン――ヴァンゲルフが咆哮のような雄叫びを上げて襲い掛かってきた。物凄い迫力だ。ローラは思わず巻き込まれないように退避する。案の定ヴァンゲルフは彼女には目もくれずにビアンカだけにターゲットを定めている。

 しかし奴から感じるプレッシャーは相当なものだ。ビアンカ1人では荷が重いのではないか。

「ふっ!!」

 ビアンカは以前に『リーヴァー』を倒した時のように拳を素振りで繰り出す。するとそのグローブから不可視の衝撃波が発生し、ヴァンゲルフの巨体に命中する。しかし怪物は僅かに小動(こゆるぎ)した程度で、その突進の勢いにほぼ衰えはない。

 ビアンカはめげずに連続で霊拳波動を撃ち込むが、全て命中したにも関わらずヴァンゲルフの勢いは止まらない。

「……っ」

『無駄だ! 貴様に私は倒せん!』

 ヴァンゲルフは哄笑と共に巨大な拳を繰り出してくる。当たったらビアンカなど一溜まりもないだろう。彼女は必死になって避ける。だがそこでヴァンゲルフの腕が急に伸びた(・・・)。これはセネムにも聞いていた奴の特殊能力だ。解っていても躱すのは難しい。

「っ!!」

 案の定ビアンカは完全には躱しきれずに、奴の拳が掠ってしまう。ただ掠っただけでも相当な威力だ。その証拠にビアンカは大きく吹き飛ばされて路地に壁に背中から激突した。

「アグッ!!」

 衝撃に呻いてそのまま地面に尻餅を付いてしまう。致命傷ではないが衝撃でしばらくは動けないようだ。容赦なく迫るヴァンゲルフの巨体。

『ファハハ……『エンジェルハート』をこの手に。我が主もさぞやお喜びになられるだろう』

「くっ……」

 嗤いながら迫る悪魔。動けないビアンカ。このままでは彼女は殺される。事情は全く分からない。しかしこの状況で悪魔の方に理があるなどと思う人間は皆無だろう。


「やめなさいっ!!」

『ん……? 何だ、お前は?』

 ヴァンゲルフはそこで初めてローラの存在に気付いたかのように、その単眼を瞬かせた。その視線が見下ろす先にはデザートイーグルを構えたローラの姿。

『何だ、人間? 邪魔をするな。それともまさか私がその銃で殺せるとでも思っているのか?』

「ええ、ただの銃(・・・・)だったら、例えマグナム弾でも不可能でしょうね。でも……これなら(・・・・)どうかしら?」

 ローラはデザートイーグルに、正確にはその中に装填されたマグナム弾に、中世の聖女『ローラ』の霊力を纏わせる。


 ――ドゥゥゥゥンッ!!!


 再度放たれる銃弾。しかし今度は『ローラ』の霊力が乗った、これまで幾多の強大な魔物を滅ぼしてきた神聖弾(ホーリーブラスト)だ。それを受けたヴァンゲルフは果たして……

『お……おぉ……?』

 ヴァンゲルフは自らの心臓辺りに空いた大きな風穴を、不思議なものでも見るような感じで見つめた。恐らく例えマグナム銃であっても、通常の銃弾なら貫通するなどという事は無かったのだろう。

 そして神聖弾に纏わっていた霊力は、不浄の魔物をその体内から焼き尽くしていく。

『ば、馬鹿、なぁ……! き、貴様……その力は、一体……』

 眼中にすらなかった無力な人間が、実は強大な霊力を内包した魔物ハンターであった事に遅まきながら気付いたヴァンゲルフは、その後悔と共に霊力に焼き尽くされて跡形もなく消滅していった。


「う、嘘……中級悪魔を一撃で倒しちゃったの……? あ、あなた一体……?」

 呆然として、図らずもヴァンゲルフと同じ疑問を呈するビアンカ。ローラは銃を収めて息を吐くと、ビアンカに手を差し伸べる。

「色々事情があるのよ。でも……事情があるのはあなたも同じみたいね?」

「……! まあ、ね……。はぁ……私の方の事情にも巻き込んじゃった上に、完全に命まで助けられるなんてね。参ったわ。もうあなた達に対して非情になんかなれないじゃない」

 ビアンカはローラの手を取って立ち上がると諦めたように嘆息した。しかし同時にその顔には、迷いが晴れて吹っ切れたような清々しさも浮かんでいるのだった……
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