Episode3:殺人事件

文字数 4,369文字

 その後寮に帰ったビアンカは、ヴィクターによって結局夜中までパーティーに付き合わされる事になった。こういう時の彼の押しの強さと口車の上手さは相当な物であった。

 寮の部屋に帰ると午前1時を過ぎた所だった。もうルームメイトのエイミーはとっくに寝てしまっているだろう。彼女とも友人なので部屋でささやかなお祝いをしようと約束していたのだが、どうもパーティーを抜けれそうにないと悟って、予めその旨のメールを入れておいた。

 鍵を開けて部屋に入ると案の定照明は消えており、エイミーのベッドが盛り上がっているのが解った。ビアンカは溜息を吐いた。

(まあ明日になったらフォローしておくか)

 今日はもう彼女も疲れていて早く眠りたかったので、特にエイミーに声も掛けず、自身も乱雑に服を脱ぎ捨ててベッドに潜り込んだ。そして1分もしない内に眠りに就いてしまった。



「ん……ふぁ……」

 翌朝。朝の気配にビアンカは目を覚まし、ベッドの中で伸びをした。寝起きはいい方なので、そのままベッドから起きる。

 窓に歩み寄ってカーテンを開ける。気持ちのいい朝日が部屋に降り注ぐ。ビアンカは再び伸びをして軽いストレッチで身体をほぐす。エイミーはまだ寝ているようだ。

 ビアンカは彼女が起きる前にシャワーを済ませてしまおうと、バスルームに入って用を足しつつシャワーを浴びた。彼女は大のシャワー好きであり、熱いシャワーを浴びていると全身の疲れが取れて身体が蕩けそうになる。

 至福の時間を過ごした後、バスタオルで湯気の立つ身体と髪を拭きながら冷蔵庫を開けて、冷えたミネラルウォーターを一気飲みする。熱く火照った身体に冷たい水が浸透していく感覚。これも大好きであった。


 人心地付いた所でエイミーのベッドを見ると、彼女はまだ寝ているようだった。随分長寝している。エイミーも比較的寝起きはいい方で、それに結構寝相が悪い。だが彼女のベッドは昨夜寝る前に見た時から微動だにしていないように見える。

「……エイミー? どこか具合でも悪いの?」

 不審に思ったビアンカが声を掛けるが、やはりエイミーは反応すらしない。頭を壁に向けて布団をかぶった状態から全く動かない。

「エイミー? どうしたの、エイミー!」

 増々不審を抱いた彼女はエイミーのベッドまで歩み寄ると、布団の上から揺さぶってみた。すると……

「……っ!?」

 エイミーの身体は何の抵抗も無く揺さぶられ、彼女の顔が上向きになった。……その顔は完全に血の気を失って不自然に白くなっており、カッと見開かれた目はもう何も映していない虚ろな無機物と化していた。

「な……エ、エイミー…………ひっ!?」

 動揺したビアンカは思わず布団を引っぺがす。そして押し殺したような悲鳴を漏らした。 


 エイミーは死んでいた。胸の部分にナイフが突き立っていたのだ。そこから零れ落ちた血で布団の下のマットやシーツもべったりと汚れていた。布団を開けた事によって血の臭いが部屋中に充満する。


「ひ……あ、あ……」

 ビアンカは青ざめた顔で何歩か後ずさり、そして物に足を引っかけてそのまま尻餅を着いた。いくら文武に優れ格闘技で男を打ちのめすくらいの強さがあっても、所詮はただの女子大生だ。人間の死体を……それも親しい友人の死体を見たのは当然初めてであった。

(死……死んでる? エイミーが? 何故? 一体何が? サプライズ? でもこの臭いは……? け、警察……そうだ、警察!)

 知人の死体を間近で見た事でパニックに陥って頭が混乱していたビアンカだが、その混乱した思考の末に辛うじて「警察に通報する」という常識的な行動が浮かび上がった。

 目の前の現実から逃避するにはとにかく何か行動するしかない。ビアンカは極力エイミーの死体を見ないようにしながら、自分のスマホまで這いつくばって移動する。そして無我夢中で警察に電話を掛けた……


*****


 寮の部屋に大勢の人間が出入りする。殆どが制服を着た警官や鑑識と思しき人間達だ。彼等は部屋の中にある様々な証拠を採取して写真を撮る。部屋にカメラのフラッシュが何度も瞬く。

 そして担架のような物に移されたエイミーの死体が部屋から運び出されていく。自分のベッドに腰掛けて少し震えながらそれらの光景を呆然と眺めていたビアンカは、まだこの光景が現実の物とは思えずにどこか遠い世界の、それこそ映画やドラマのワンシーンのように感じていた。

 だがエイミーの死体が運ばれていくのを見て、何故かそれが彼女にこれが現実なのだと実感させる事となった。ルームメイトであり友人でもあったエイミーが死んだという事実を実感して、今になって胸に悲しみが込み上げてきた。


「ビアンカ、大丈夫かい……?」

「ええ、ヴィクター、ありがとう。私ならもう大丈夫よ。最初はちょっとパニックになっちゃったけどね」

 恋人のヴィクターがビアンカの隣に腰掛けていて彼女を慰めてくれる。彼女はまだ充血した目で、少しおどけたように肩を竦めた。多分に強がりが入っていたが、ヴィクターはそれを理解していてかぶりを振った。

「そうなるのは誰だって当然さ。ましてや君はエイミーと友人だったんだからね」

「……エイミー、何でこんな事に? 一体誰がこんな……」

 彼女は胸をナイフで刺されて死んでいた。つまり彼女を殺した犯人がいるという事だ。ようやくその事実に頭が回ってきた。その時彼女達に近付いてくる者がいた。

 
「君が第一発見者のビアンカ・コールマンだね? 私はフィラデルフィア警察のジャック・パーセルだ。君にいくつか質問をさせて貰いたいんだが大丈夫かね?」


「え、ええ。勿論です」

 バッジを見せてきた刑事と思われるその男性……パーセルと握手するビアンカ。パーセルは頷いてからメモを取り出す。

「済まないね。それじゃあ発見時の状況から教えてもらえるかな?」

「え、ええ……」

 ビアンカはパーセルに請われるままにエイミーの死体を発見した時の状況を伝える。あの時は混乱していたが今はもう冷静なので、直近の出来事というのもあり、かなり正確に思い出せた。

「ふむ、なるほど。ナイフが突き立っていた事からも他殺の疑いが強いが、君には何か心当たりはないか?」

 ビアンカの話を聞いて頷いたパーセルは、より踏み込んだ質問をしてくる。ただその質問が来るのは当然だ。ビアンカ自身も喋りながらずっとそれを考えていた。そして一つの推測(・・)が浮かび上がった。

(そうだ……あいつだ!)

 あの黒スーツとサングラスのストーカーもどき。普通に考えてあの男が一番怪しい。やはりあの男は危険なストーカーだったのだ。

 恐らくビアンカが不在の時を狙って部屋に忍び込んだ所をエイミーと鉢合わせしたのだ。それでエイミーを殺してしまい、偽装工作をしてから逃走した。これが最も説得力のある流れだ。


「あの、刑事さん。私、心当たりがあるかも知れません」

 そして急いであの男の事を説明した。隣ではヴィクターも驚いている。

「お、おい、ビアンカ。そんな奴がいたなんて初耳だぞ!」

「今まで実害は無かったし、わざわざ言う程の事じゃないでしょう? 変に騒ぎになるのも避けたかったし」

「そりゃそうだけど、俺にくらいは言っといてくれても……」

「あなたに言ったからって別に何も出来ないでしょ。危険があれば自分で対処できるわ」

「……っ」

 正論を突き付けられてヴィクターが黙り込む。ちょっとキツい言い方になってしまったかと思ったが、彼女も現在の状況に少し気が立っていたのだ。パーセルが咳払いする。

「痴話喧嘩は終わったかね? しかし彼氏も知らないとなると、君以外に誰かその男を見た事がある者はいるのかね? 何か写真などがあればそれでもいい」

「え? それは……」

 言われて気付いた。あの男は非常に気配を消す事が上手いらしく、彼女以外にあの男の存在に気付いたと思われる人間は、少なくとも彼女の知っている限りはいなかった。

 彼女から近付こうとすると魔法のように消えてしまうし、今までは実害がなかった事もあって写真なども撮っていなかった。そこまで考えた時、彼女は愕然とした。

(あいつの存在を証明できない……!?)

「待って、あいつは本当にいるのよ」


「かも知れないが、お嬢さんの嘘かも知れない。……自分の犯行(・・・・・)への疑いを逸らす嘘かも、ね」


「…………え?」

 彼女は一瞬何を言われたのか解らないという風にパーセルを見上げた。そこで再び気付いた。パーセルは最初から彼女に対して全く同情的な視線や態度ではなかったという事に。

「な、何を言って……」

「密室で押し入った形跡もない。慌てて逃げ去った形跡もない。そしてあのナイフは君の持ち物らしいじゃないか。勿論詳しい捜査はこれからだから、これだけで君を犯人と断定する事はできないが、こういうケースではとりあえず第一発見者が最有力容疑者となるんだよ。残念ながらね」 

「な……」

 ビアンカは絶句してしまう。だがパーセルは明らかに本気で言っている様子であった。

「逃走や雲隠れを防止する為に、とりあえず一緒に署まで来てもらうよ。なあに、君の言う通り真犯人が別にいるならすぐに釈放されるだろうさ。それまではジェイルで優雅な一時を過ごしてもらう事になるがね」

 パーセルが笑いながら合図すると、制服警官が2人ほどこちらに近づいてきた。彼女を警察署に連行するつもりだ。


「ふざけないで! 私は何もやってないわよ!」

 信じがたい状況に彼女は反射的に立ち上がっていた。警察の理不尽や横暴についてはネットやニュースなどで見聞した事はあったが、まさか自分がその当事者になろうとは思いもしなかった。

 警官の1人が彼女の肩に手を掛けようとする。

「さわらないで頂戴!」

 反射的にカッとなった彼女はその手を払い除けて、手刀で反撃した。……反撃してしまった。

 首筋に手刀を受けた警官が白目をむいて倒れる。周囲がにわかに騒然となる。


「お、おい、ビアンカ! まずいって!」

 ヴィクターが慌てて制止しようとするがもう手遅れだ。

「ほぅ、抵抗するのか? 警察の業務遂行妨害で現行犯逮捕だな」

 パーセルは素早く銃を抜き放ってビアンカに突きつけた。流石に銃を向けられてはこれ以上の抵抗は出来ない。いや、そもそも反射的に抵抗してしまっただけで、これ以上暴れれば状況が悪くなるだけだという認識は彼女にもあった。

「く……」

 彼女は歯噛みしつつ、抵抗を止めて降参した。もう1人の警官が慎重に近づいてきてビアンカをひざまずかせると、その両手を後ろに回して手錠を掛けた。


「よし、連れて行け」

 パーセルが促すと警官がビアンカを無理やり立たせて、部屋から引っ立てていく。まさかこんな事になろうとは。

 大人しく引っ立てられながら、ビアンカは血がにじむほど唇を噛み締め続けていた……


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