Episode2:頽廃の島

文字数 4,796文字

『くそ、あいつら……! 僕が本気を出せばお前らなんて……!!』

 ホワイトハウスの地下にある巨大シェルター、通称『RH』にあるトレーニングルームで、イリヤはロシア語で毒づきながら荒れていた。思い出されるのは先日のロサンゼルスでの任務で受けた屈辱の記憶。

 1人なら敵じゃないような相手に徒党を組まれて、その卑怯な連携攻撃の前に思うように力を発揮できずに敗れ去った。どう考えても納得がいかない。

『もう一度やったら、絶対僕が勝つに決まってるんだ。僕の力はあんな物じゃないんだ……!!』

 激情のままに念動力で周囲のオブジェクトを振り回し、八つ当たりのように壁に叩きつける。あの敗北でビアンカに失望されたかも知れないと思うと余計に怒りがこみ上げてくる。

『クソ……!』

 憤懣やるかたないイリヤは再び激情のままオブジェクトを振り回そうとして……

 ――ビシュッ!!

 そのオブジェクトが黒い炎(・・・)に包まれて消し炭になった。


「おーおー、荒れてんなぁ、イリヤ。ま、気持ちは分からんでもないが落ち着け」


「……! ユリシーズ……」

 入り口に持たれかかって人の悪そうな笑みを浮かべているのは、黒いスーツと黒い短髪の魔人SPユリシーズであった。過去の経験(・・・・・)からイリヤはこのユリシーズに若干苦手意識を持っており、彼に制止された事でとりあえず念動力を収める。

「……何か用? 僕を笑いにデも来たの?」

 先の事件ではリキョウと並んで美味しい所だけを持って行った感のあるユリシーズに若干恨みがましい目を向けながら、口を尖らせる。そんな彼の心情を見て取ったユリシーズは苦笑する。

「まあそう腐るな。その激情は次の任務(・・・・)でカバール共相手に存分に晴らしたらいい」

「……! 次の任務……決まっタの?」

「ああ。それも恐らくお前の働き(・・・・・)が鍵を握る任務だ。これを達成したら先の失態なんて吹き飛んでお釣りが来るだろうな」

「え……? ぼ、僕ノ働きが……?」

 イリヤは目を瞠った。そんな都合のいい話があるのだろうかと疑ったのだ。ユリシーズは肩を竦めた。

「ま、実際にレイナーから説明を聞くのが一番だ。という訳で1時間後にブリーフィングだ。それまでにここ(・・)、片付けとけよ?」

 それだけ告げてユリシーズは立ち去っていった。残されたイリヤは自分が活躍できる機会と聞いて、これでもしかしたら先の任務での汚名を返上できるかも知れないと意気込むのだった。


*****


 『RH』内にあるブリーフィングルーム。いつもビアンカ達が大統領補佐官であるレイナーから任務の伝達を受ける時でお馴染みの場所だ。今この部屋にいるのは伝達役のレイナーの他、ビアンカとユリシーズ、そしてイリヤの姿があった。

 リキョウは直属の上司である許正威絡みの別件で出払っており、アダムとサディークは前回のLAでの任務で受けた負傷(互いに相討ちになった)が完全には回復しておらず療養中(・・・)であった。


「揃ったな? では任務の詳細を伝える。お前達の次の任地は……ヴァージン諸島だ」


「ヴァージン諸島って……あのカリブ海の?」

 いつも通り単刀直入に話を切り出すレイナーの挙げた地名は、一応ビアンカも知識としては知っている場所であった。

 キューバやハイチなどカリブ海北部の島国の東には、アメリカ領であるプエルトリコが存在する。そこから更に東へ行くと大小数百の島々からなる群島地帯がある。それがいわゆる『ヴァージン諸島』だ。

 元はデンマーク領であったが、今から約100年前にアメリカによって買収されアメリカ領となった。が、あくまで海外の未編入領域という扱いで、住民は大統領選挙への投票権は未だ与えられていない。

 しかし形としてはアメリカ領であり、あくまで『国内』扱いでビザも必要ない為、アメリカ人からは美しいカリブ海を望む保養地として人気の観光スポットとなっていた。

 今度の任地はそのヴァージン諸島なのだという。因みにそのやや北東に同じヴァージン諸島という名前の地域があるが、こちらはイギリス領となっており、アメリカ領のヴァージン諸島とは違って外国(・・)の島だ。


「でも……そんな小さな南の島にもカバールがいるんですか? そんな所で大した悪さも出来ないように思いますけど」

 観光客を食い物にしているとかそんな所だろうか。今までは大都市や大きな組織の闇に潜んでいる悪魔ばかりだったので、少しスケールが小さく感じた。するとユリシーズが皮肉気に口の端を歪めた。

「小さな島、か。まあ場所だけ見りゃそうだろうが、やってる事(・・・・・)のスケールのデカさは今までの奴等の比じゃないかも知れないぜ?」

「え……?」

 どうやら彼は既に任務の内容について知っているらしかった。レイナーが咳払いする。そしてビアンカに一枚の写真を渡した。そこにはどこかのパーティ会場で高級そうなスーツ姿に身を包んで他の人間と談笑している1人の白人男性が写っていた。
 
「これは……?」


「……ジェフリー・エルスタイン。いくつもの大企業の筆頭株主を兼任しているやり手の実業家だ。そして……今回の調査対象(・・・・)でもある」


「……!」

 つまりカバールの悪魔である疑いが濃厚という事か。しかし最初から容疑者(・・・)が特定されているというケースは珍しい。

「任務の調査対象という事は、大統領府から何らかの疑いを掛けられてるという事ですよね? 一体何をやったんですか、この人?」

 その質問にはレイナーではなく再びユリシーズが答えた。ただし盛大に不快そうな表情をしながらだが。

「……一言で言うなら人身売買(・・・・)だ。それもアメリカだけじゃなく世界中の国々を対象とした、な」

「っ!!」

 ビアンカは目を瞠った。人身売買。最も分かりやすい悪徳だ。ユリシーズがあのような表情になるのも頷ける。レイナーが再び引き継ぐ。

「そうだ。尤もエルスタインは専ら買う側(・・・)ではあるがな。だがその買った商品(・・)で、世界中の腐敗した好事家達相手に特殊なサービス(・・・・・・・)を提供する事で支払った額の何倍、いや、場合によっては何十倍もの利益を出しているものと思われるが」

「と、特殊なサービス?」

 嫌な予感がしつつも尋ねてしまうビアンカ。その予感を肯定するようにユリシーズが頷いた。

「前にフィラデルフィアで言ったろ? 奴等は何でもあり(・・・・・)だ。その世界中の腐った金持ち連中の要望(・・)に合わせて、文字通りどんなサービスにも対応しているらしい。何せ金払って若い女を抱くだけみたいな普通の(・・・)サービスじゃ満足できないような倫理観のぶっ壊れたクズ共ばかりだ。同性愛、嗜虐性愛、被虐性愛、小児性愛なんてのはまだマシな方(・・・・・・)だ。死体性愛や猟奇性愛、極めつけは完全に相手を殺す事でしかエクスタシーを感じられない殺人性愛なんてのもあるな」

「……!!」

 ビアンカは顔を青ざめさせる。当然ながら全く想像すら付かない世界だ。

「『表』じゃ絶対に発散できないこうした衝動を存分に満たそうと群がる好事家共。エルスタインはそんなゴミ共に、大金と引き換えに『餌』を与える商売をやってやがるのさ。ヴァージン諸島のとある島を丸ごと買い取ってな」

「とある島?」

「……リトル・セント・ジェームズ島。といってもその正式名称(・・・・)で呼ぶ者はほぼいない。島を丸ごと買い取った所有者の名前から『エルスタイン島』という通称(・・)で呼ばれる事が殆どだ」

「エルスタイン島……」

 レイナーの挙げた名前は先程の話を聞いた後では、何とも悍ましい悪徳と退廃の島のようにしか聞こえなかった。しかし同時に一つの疑問も浮かび上がる。


「で、でも、犯人(・・)の素性や場所まで解ってるんですよね? だったらそれこそ司法による強制的な査察とかで一網打尽には出来ないんですか?」

 話を聞く限りは完全に国際犯罪の類いだ。場所の目星まで付いているなら、むしろそうしない理由が解らない。少なくともビアンカの出る幕など無いような気がした。ユリシーズがかぶりを振った。 

「今までボスが何もしてこなかったと思うか? 勿論この島に対して何度も司法の介入を試みたさ。だがまずもって明確な証拠(・・)がない。こんな都市伝説のような話だけで司法を動かすのは、いくら大統領と言えどもハードルが高い」

 恐らくダイアン達はその島でエルスタインが非合法なビジネスに手を染めている何らかの確証を得ているのだろう。だがそれは公の証拠としては使えない類いの物なのだ。

「そして第二の問題として、仮にエルスタイン島への査察を行うとして、何処が(・・・)が担当する事になる?」

「どこ……? て、それは…………あっ!」

 レイナーに問われたビアンカは一瞬考え込むが、すぐに顔を上げた。ヴァージン諸島の現地警察にそんな国際犯罪を取り締まる権限も能力もないだろう。そしてヴァージン諸島は一応アメリカ領だ。という事は……

「そう……基本的にはFBI(・・・)の管轄という事になる。恐らくカバールとは裏で繋がりがあると思われるFBIの、な」

「……!!」

 そして実際にFBIは動かなかったのだろう。いや、動いたとしてもエルスタインを検挙する事は無かった。それでダイアンはエルスタインがカバール、もしくはカバールと繋がりがあるという確証を得るに至ったという訳だ。


「これでお前達をヴァージン諸島に派遣する事になった理由が解ったか? カバールがバックにいるエルスタインは司法による査察を怖れる心配もなく、極悪非道の人身売買で潤い続けている。当然大統領はいつまでもエルスタインの好きにさせておくつもりはない。奴は世界中からクライアント(・・・・・・)の条件に合った『商品』を買い取って働かせている。つまり……明確な被害者(・・・)がいるのだ。この任務を成功させれば、攫われてきたその被害者たちも救済できる」

「……っ!」

 ビアンカはハッとして目を瞠った。そうだ。今までエルスタインの所業ばかりに気を取られていたが、その向こうには奴に『買われて』変態共の相手をさせられている被害者たちがいるはずだ。エルスタインの化けの皮を剥がし奴を検挙なり討伐なり出来れば、その被害者達を救う事が出来るのだ。

 これは今までの任務にはない要素であった。自分の力で直接人を助ける事ができる。ビアンカは大いに昂ぶり使命感に燃えた。


「だがエルスタインは用心深い男だ。ただお前がヴァージン諸島に赴くだけでは尻尾を出さん可能性が高い。そこでより確実にエルスタインの犯罪の証拠を掴むため、お前には実際に奴の島に潜入(・・)してもらう形となる」

「え……せ、潜入? それって……」

 嫌な予感がしたビアンカは若干頬を引き攣らせるが、レイナーは無情にも頷いた。

「勿論『商品』という形でだ。お前を見たエルスタインがどのような反応をするかも、奴がカバールの一員であるかどうかの指標になるからな」

「……!」

 嫌な予感が的中したビアンカは慌てる。

「ちょ、ちょっと待って。私一人で潜入するって事? カバールの巣窟かも知れない場所に?」

「流石にそれは出来ん。だから今回は護衛と一緒に(・・・・・・)潜入してもらう形となる。内部に潜入が成功したらその護衛と共に事に当たれ」

「一緒に潜入って……無理でしょ! ユリシーズ達みたいな強面じゃ最初から警戒されちゃうし、潜入以前の問題じゃない」

 無論それは、ここにはいないアダムやリキョウ達にも当てはまる。彼等を奴隷として攫おうなどという命知らずがいるとは思えない。するとそのユリシーズが苦笑した。 


「ま、確かにそうかもな。だが今回その任務にはうってつけ(・・・・・)の奴がいるだろ?」


「え? ……あっ!」

 ビアンカは弾かれたように、隣に座るイリヤを見た。ブリーフィングでは基本黙って話を聞いているだけのイリヤだが、話の内容自体はきちんと理解しているようでビアンカを見上げてしっかり頷いた。

「僕は自分の顔があんマり好きじゃないけど、これでお姉ちゃンの役に立てるなラいくらでも利用(・・)してみセるよ」

 金髪紅顔の美少年は、そう言ってそのあどけない美顔に決意の表情を浮かべるのだった……
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