Episode1:亡命の道士

文字数 5,460文字

 時は数年前に遡る。アメリカでダイアン・ウォーカーが大統領に当選するよりも2年程前に、もう一つの超大国(・・・・・・・・)でも、アメリカほど大々的にではないものの国家元首の交代劇があった。



 中華人民共和国の首都、北京にある人民大会堂。この場で開催される全国人民代表大会、略して全人代は中国における国会に相当し、今やアメリカに次ぐ世界第2位の経済・軍事大国となった中国を運営していくための重要な議題が話し合われ、様々な政策や法案が決定、制定される中国の更に中心とも言える場所でもある。

 そして今日この日はその全人代においてそれらにも増して重要な議題が話し合われ、問題なく可決されるはずであった。


「……いよいよこの時がやってきたぞ。私が正式に国家主席(・・・・)となり、この国を民主主義国家(・・・・・・)とする為の舵取りが出来るようになる時が。今日は歴史の転換点となるぞ、麗孝よ」

 北京市内を高級なハイヤーで人民大会堂へと向かう車内で国務院総理である(シー)正威(ジンウェイ)は、同じ車内の対面に座る(レン)麗孝(リキョウ)にそう声を掛ける。

 正威は50代後半ほどで、この国を一党独裁で支配している中国統一党の序列2位(・・・・)である首相に相応しいエネルギッシュさと老練さを併せ持った壮年男性であったが、対面の麗孝はそんな政府の要人と同じハイヤーに同席するにはかなり若い容貌の男性であった。

 事実麗孝はまだ20代後半の若さであったが、その年齢で既に中国国家公安部の副部長を務めるエリートであり、首相である正威からもこのような場面に同席するほどの信頼を得ていた。

 彼がその若さでそれだけの地位と信頼を得られたのは、勿論麗孝の役人としての有能さもあるが、それだけでなく彼が持つとある能力(・・・・・)強さ(・・)を買われての事でもあった。


 麗孝は興奮を抑えきれない様子の正威に苦笑しつつ頷く。

「ええ、本当に。ここまで長かったですね。全てあなたの努力と信念の賜物です。敬服致します」

 彼がまだ年齢的には幼い頃から正威はこの国の共産独裁体制を問題視して、民主化運動を推進し続けてきた。時に共産主義を推し進める様々な敵対派閥の妨害に遭いながらも序列2位である国務院総理にまで昇りつめ、そして今序列1位の中央委員会総書記に任命されようとしている。事実上の国家主席だ。

 その信念と政治的手腕は心から敬服できる物であったし、何よりも自分をここまで取り立ててもらった恩もある。勿論正威がここまで昇りつめるに当たって、麗孝が果たしてきた役割もそれなりに大きい物だと自覚していたが。  

「しかしあなたが国家主席となればこの国は完全な民主主義体制に生まれ変わります。それを快く思わぬ連中の妨害も予想されます。特にあの周国星の一派は何を仕出かすか解りません故、くれぐれもご用心を」

「ふ……解っておる。だからこそこうしてお前を同道させているのだ。一度大会堂に入って全人代が始まってしまえば、奴等もそうそう迂闊な事はできん」

 全人代には麗孝も末席に近いとはいえ出席するので、無いとは思うがもし強硬手段(・・・・)を目論む者達がいたとしても正威を守る事は可能なはずだった。

 何も問題はないはずだ。しかし麗孝はどうしても妙な胸騒ぎや不安感が完全には拭えなかった。いよいよ自分達の悲願が達成される緊張からくるものだ。努めてそう思おうとした。

 それから数時間後。麗孝は自分の不安感が的中していた事を思い知らされた。




「周、貴様……これは何の冗談だ! 郭主席! これはあなたも承知の事か!?」

 第二十回全国人民代表大会。現役である郭沈瑩主席が引退し、新たに第八代中央委員会総書記、そして国家主席を選出する為の決議。何事も無ければ(・・・・・・・)、序列2位の正威が繰り上がりで総書記に就任するはずであった。ただそれを確定する為のあくまで形式的な決議のはずであった。だが……

「くくく……無駄な足掻きはやめ給え、許総理。見苦しいだけだぞ。これは正式な手順に則って行われた決議によって決まった事だ。勿論郭主席もご存知の事」

「……!」

 憤怒で立ち上がって、国家主席である郭を糾弾する正威。だが郭は気まずげに目を逸らすのみであった。代わりに立ち上がって正威を嘲笑うのは、彼に代わって(・・・・・・)第八代総書記に選出された現在序列5位の中央軍事委員会副主席である(チョウ)国星(グオシン)であった。50代前半ほどの冷酷な雰囲気を漂わせる壮年男性だ。この中国統一党内で最も強固に共産主義体制を推し進めようとする一派の長。

 会議の末席から一部始終を見た麗孝は全てを悟った。最初から仕組まれていたのだ。郭主席を始め主だった党幹部達は、麗孝達が知らない所で軒並み周によって調略(・・)されていたのだ。

 莫大な金か利権か、もしくは何らかの弱みを握られたか。それとも家族などを人質に取られたか。いずれにせよ周の言う通り、全人代の正式な決議による決定を覆すのは困難、というか不可能だ。 


 そして当然ながらあの周がそれだけで(・・・・・)済ますはずがない。周が合図をすると麗孝と同じ末席から1人の人物が立ち上がった。麗孝よりやや上の30歳前後と思しき若い男だ。

「……!」

 麗孝はその男を知っていた。というより彼がある意味で最も厄介だと睨んでいる男でもあった。

「彼は(ハン)俊龍(ジュンロン)。国家安全部第九局の局長を務める極めて優秀な人物でな」

 周が歩み出てきた男――俊龍をそう紹介すると、正威の顔が強張った。

「安全部の第九局だと!? 貴様子飼いのスパイ共ではないか! まさか……」


「彼の調査によると、国務院総理たるあなたは日本、オーストラリア、EU、インド、そしてアメリカ……。これら潜在的敵性国家(・・・・・・・)の保守派の政治家達と随分仲が良いらしいな?」


「……!!」

「そしてこの偉大な中つ国を民主主義などという邪悪(・・)な体制に作り替えようと、それらのお友達に相談という名目で我が国の内部情報を漏らしていた疑いがある。これは場合によっては極めて重大な国家反逆罪に相当するぞ?」

「ぬぅ……貴様っ……!」

 正威が唸る。周が挙げた国々の政治家達と彼が個別に良好な関係を築いていたのは事実だ。皆いずれも正威が今後躍進著しいと見込んだ政治家達で、中国が民主化していくにあたってこれらの政治家達と誼を通じておく必要があると正威の方から彼等にコンタクトを取ったのだ。その中でも特に正威が注目していたのが、アメリカのダイアン・ウォーカー上院議員であった。

 そしてまた彼等の方も、中国の民主化を推進する正威の考えに賛同して協力を約束してくれていた。

 正威が国家主席となっていればこれらの交流は何一つ問題にならなかったはずだが、周にその座を奪われたとなるとこれが大きなネックになってくるのは自明の理であった。


 議場の扉が開き、外から大勢のライフル銃で武装した兵士達が雪崩れ込んできた。そして正威に向かって銃口を突き付ける。

「さあ許首相……いや、許正威。ミランダ警告だったか? あのような犯罪者がつけ上がるだけの権利など我が国にはないぞ? 貴様には逆に我が国に内政干渉を行った外国政治家共の情報を洗い浚い――」


 その瞬間、正威と周や兵士達を隔てるように分厚い水の壁(・・)が立ち昇った!


「……っ! これは……ええい、構わん! 撃て! 撃ち殺せぇっ!!」

 水の壁を見た周が即座に事態を悟って舌打ちすると、兵士達に発砲を命じる。命令を受けた兵士達は議場の中にも関わらず躊躇いなく銃撃を開始した。議場にいた他の議員や党員たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

 だがライフル銃による一斉掃射にも関わらず、分厚い水の壁はそれらの銃弾を一つとして通さずに全て無害な鉛の塊にしてしまう。


「許首相、ご無事ですか!?」

 いつの間にか正威の傍らに麗孝の姿があった。彼は周が総書記に選出された瞬間から、自身の仙力(・・)を練り上げて準備していたのだ。麗孝の身体には一匹の大きな()が巻き付いていた。彼の仙獣(・・)の内の一匹『冥蛇』だ。冥蛇が口を開けてシャーッと呼気を放つと、水の壁がより分厚くなった。

「麗孝か……! 済まんな、このような事になるとは。もう私は首相ではないようだ」

「周が決めた人事など知りません。私にとってあなたは首相のままですよ。いや、本来(・・)なら主席となっていましたがね」

 自嘲気味にかぶりを振る正威を叱咤する麗孝。確かに絶望的な状況だが、彼の知る正威ならこれで諦める事などしないはずだ。麗孝にそう言われた正威の瞳に力が戻ってくる。

「そうだな……私とした事が諦念に囚われる所であった。こうなった以上この国には居られん。亡命するぞ」

 国家主席となった周に命を狙われているのだ。共産主義が増々強くなるだろうこの中国において、自分達に最早安住の地は無い。

「アメリカだ。ウォーカー上院議員の伝手を頼る」

 今や超大国となった中国に単独でも抗し得るのは、もう一つの超大国であるアメリカ以外にないだろう。他の国では中国の圧力に屈して正威を引き渡してしまう可能性を捨てきれない。


「畏まりました。それではまずはこの場を切り抜けますよ!」

 麗孝が手を翳すと、その腕に冥蛇が巻き付いて再び威嚇するように口を開ける。すると2人を守っていた水の防壁が形を変えて、巨大な渦潮になる。それはまさに水の竜巻とでも形容すべき代物で、本物の竜巻さながらに縦横無尽に議場の中を荒らし回った。

 周囲を固めていた兵士達は荒れ狂う水龍に巻き込まれたり弾き飛ばされたりして一溜まりも無く蹴散らされていた。しかし肝心の周は既に安全な場所まで退避してしまっているようだ。

 残った兵士達が再び発砲してくるが、すべて水の竜巻に遮られて逆に水の奔流に押し流されていた。既に議場の中はめちゃくちゃだ。

「さあ、今の内です! 行きますよ!」

 議場に突入してきた兵士達を粗方無力化させた麗孝は、正威を促して脱出を図る。兵士は当然これだけではないはずだ。いくら麗孝でも正威を守りながら軍隊まで相手取る事はできない。敵が混乱している内に逃げるのが正解だ。だが……


「……っ!」

 ――暴風が荒れ狂う。今度は水ではなく凄まじい風圧による本物(・・)の竜巻が発生して、麗孝の作り出した水竜巻とぶつかり絡み合う。風の竜巻は水の竜巻をその風圧で飛散させようとしてくる。麗孝は冥蛇に再び力を放出させてその圧力に抵抗する。

「逃がさんぞ、任麗孝。許の子飼いである貴様も当然拘束対象だ。抵抗するのであればこの場で処刑する」

「……! 韓俊龍……!!」

 麗孝が舌打ちする。ぶつかり合う2本の竜巻の向こう側に、国家安全部第九局局長の韓俊龍が仁王立ちしていた。その肩には真っ黒い体毛で目が血のように赤い、不気味な巨大(いたち)が乗っていた。俊龍が使役する仙獣の一匹だろう。

 2人の力は拮抗しており、このまままともに戦えば良くて相討ちだろう。いや、向こうは軍隊によるバックアップを受けられると考えれば俊龍の方が有利だ。こちらには警護対象の正威もいる。

 それに周が抱える上仙(・・)が俊龍1人とも限らない。戦いが長引けば敵に思わぬ増援が駆け付けてくる可能性もある。


(まともに戦えば不利……。ならばまともに戦わねば良いだけの事……!)

 今の自分の目的は俊龍を倒す事ではない。この場から脱出し、無事に国外亡命が出来れば自分達の勝ち(・・)なのだ。相手を倒すのではなく、ただ逃げるだけならやりようもあるという物。

 麗孝はもう一匹の仙獣を顕現(・・)させる。まるで燃えているような真っ赤な羽毛と鶏冠を備えた鷲のような大型の鳥『煉鶯(れんおう)』だ。

「……っ」

 2匹の仙獣を同時に顕現させるのは精神力の負担が大きいが今は緊急事態だ。麗孝は立ちくらみのような感覚に襲われるが、強引に煉鶯の力を解放した。

 煉鶯は大きく翼を広げると勢いよくはためかせた。するとその羽ばたきに乗って強烈な熱波(・・)が広がり、冥蛇の水竜巻を包み込む。

 すると瞬間的に熱せられた膨大な量の水から、この議場全体を覆い尽くすような量の水蒸気(・・・)が発生した。


「ぬ……!?」

 俊龍が凄まじい勢いで発生した水蒸気を避けて後ろに下がる。蒸気はその熱だけでも巻かれたら危険だ。新たな攻撃手段かと警戒した俊龍は、充分安全な距離まで下がった上で自身の仙獣である黒鼬『橿貂(きょうてん)』に命じて風圧によって蒸気を散らしていく。

 だが蒸気を晴らした後の議場には、戦闘に巻き込まれて死んだ兵士達や党員達の死体が転がっているだけで、その中に麗孝と正威の姿は無かった。

「ち……目眩ましか! まだ遠くへは逃げていないはずだ。……すぐに追え! いや、周主席の名で国内のあらゆる空港や港に検問を敷け! 何としても奴等を逃がすな!」

 俊龍は外からやってきた増援の兵士達に怒鳴って指示する。同時に自身の携帯電話を取り出して、周国星虎の子の仙術部隊(・・・・)『紅孩児』の面々にも出動の要請を出すのであった。




 だが軍や警察、そして諜報部隊の徹底的な捜索や検問にも関わらず、許正威と任麗孝の行方は杳として知れなかった。

 後に判明した所によると、麗孝が副部長を務めていた国家公安部を中心として、許を慕う内通者(・・・)達が手引きして2人をまんまと国外へ亡命させていたようであった。勿論それらの内通者達も粛清を怖れて2人に付いて逃亡済みであった。

 正威達の亡命先は中々掴めなかったが、2年後にアメリカ合衆国でダイアン・ウォーカー上院議員が大統領に当選し、就任演説の中で彼女は自身の盟友(・・)として1人の人物を紹介した。

 ダイアンに紹介されて、並み居る聴衆の前で中国(・・)の現状と民主化の必要性を訴えるその人物は……2年前に周国星との権力闘争に敗れて姿を消していた許正威その人であった……
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