Episode20:デビル級タイトルマッチ

文字数 4,462文字

 怒りと苛立ちに任せてビブロスを殲滅したユリシーズは、すぐにビアンカとハンターが姿を消した方角に視線を向けるが、当然ながら既に彼らの姿は影も形も無かった。

「くそっ……!」

 悪態を吐くがもう後の祭りだ。プルフラスを斃したばかりという事もあって、正直油断がなかったかと言われれば嘘になる。ここはまだ敵地(・・)であり、片時も気を抜くべきではなかったのに……!


「……まさかアレ(・・)がこんなすぐに役立つ事になるとはな」

 ユリシーズは呟きながら目を閉じて意識を集中させる。すると彼の意識の網に反応する物があった。物凄いスピードで遠ざかって街に向かっている。これに間違いないだろう。

「よし、いいぞ。……ふぅ、どうやら見失うという事態だけは避けられそうだな」

 彼はホッと息を吐き出した。こんな事態を予測していた訳ではなかったが、あの時に保険(・・)を掛けておいた事が功を奏した。


 寮の屋上でヴァンゲルフを斃した後、あのヴィクターという男からビアンカの腕時計を取り返した際、時計に彼の魔力をほんの少しだけ忍ばせておいたのだ。それは非常に微弱であり彼自身が、そしてかなり意識を集中しないと捕捉出来ないようになっている。あまり強い魔力だとカバールの連中にも感付かれてしまうからだ。

 だがそのお陰でこうしてハンターに気付かれる事無くビアンカの居場所を探知できているのだから、我ながら中々良い機転だったのは確かだ。あの腕時計はコールマン夫妻の形見らしいので、基本的に外す事はないだろう。あって欲しくは無いが、今後(・・)も彼女の所在を見失った時などに使えそうだ。


 ユリシーズは大きく息を吐くと、エメリッヒの残した車に乗り込んでビアンカ達の追跡を開始した。道中で何回かビブロスを始めとした雑魚悪魔達の襲撃を受けたが、すべて鎧袖一触で蹴散らした。こんな雑魚どもに今の彼は止められない。

 ただし多少の足止めは余儀なくされた。それによってハンターに彼を待ち構える準備(・・)の時間を与えてしまった事になる。恐らくそれが狙いで雑魚どもを嗾けたのだろう。

 更にその戦闘の中でエメリッヒの車も中破してしまったので、どこか適当な路肩に乗り捨ててそこから先は自らの足で進んでいく。既に足止めの役割は果たしたという事か、それ以上雑魚どもからの妨害はなかった。

 ユリシーズは魔力を全開にして人間離れしたスピードで、夜の街を駆け抜ける。ビアンカの反応は動いていない。どうやら既に歓迎の準備(・・・・・)は万端らしい。

(……面白い。存分に歓待してもらおうじゃないか)

 ユリシーズは不敵な笑みを浮かべる。だが反面、彼の内心を支配しているのは激しい焦燥であった。


 最初は大統領の隠し子(・・・)という存在に対する人並みの興味だった。それが更にあの男(・・・)の娘でもあると知って俄然興味が高まった。

 だがそこまではまだ単純な興味本位であった。当然だ。直接会った事も無い相手なのだから。

 しかし大統領の命令で彼女を直接監視するようになって、その美しさは勿論、自信に溢れる立ち振る舞いや力強さに自然と目を惹かれるようになった。彼女は生来、人を惹きつけるカリスマ性か何かを持っているようだった。父親か母親か、どちらの血を受け継いでの影響かは解らないが。

 ……まあパチンコで犬の糞を撃ち込まれた時は、その気持ちが若干萎えたのは事実であったが。

 しかしその後カバールの連中が一線を越えた事で、ついに彼女と直接接触する事態となった。彼女と直に接し言葉を交わす事で、彼女の人格に触れた。予想通りというか相当に気が強い性格だったので、ユリシーズも我が強い性格な事も相まって互いに反発する事もあったが、それでも尚……彼は彼女に惹かれている(・・・・・・)事を内心認めざるを得なかった。

 そんな彼女をむざむざ敵に攫われ、今も恐ろしい目に遭わせているかと思うと、激しい焦燥と自責、そして憤怒が身を焦がした。

 絶対にこのままでは済まさない。必ず自分の手で失態を取り返し、彼女を無事に救出する。そしてふざけた真似をしでかしたあのハンターに落とし前を付けさせる。ユリシーズはそう固く決心していた。



 そしてしばらく走り抜けた後……ユリシーズは目的の場所の前まで到達していた。

(ここか……。というか待ち構えてるならてっきり市庁舎だと思っていたが……美術館(・・・)だと?)

 彼の目の前には広い正面階段を備えた堂々とした威容の……フィラデルフィア美術館が聳えていた。ある意味ではこの街で最も有名な建物と言えるだろう。それはとある有名映画(・・・・・・・)が理由であった。

 美術館全体に悪魔の魔力が満ちている。理由は解らないがハンターは間違いなくここで待ち構えている。そしてビアンカも間違いなくここに囚われている。ならば彼に躊躇う理由はなかった。

 既に彼が来ている事は察知されているだろう。ならば小細工はなしで正面から乗り込むまでだ。どんな罠があろうと関係ない。それごとぶち破るだけだ。

 有名な正面階段に足を掛ける。この階段は件の有名映画に因んで『リッキー(・・・・)・ステップ』と呼ばれている。主人公のボクサー、リッキーがこの階段でトレーニングを行うシーンは、独特のテーマ曲と相まってこの国では知らない人間がいない程である。主演の俳優はこの映画で一気にスターダムにのし上がった。


「……!」

 そんな『リッキー・ステップ』を中程まで登った所で、ユリシーズは階段の上部に誰かが立ち塞がってこちらを見下ろしている事に気付いた。シルエットからして悪魔ではなく人間だ。しかし奇妙な事にその人物はこちらに向かって、腰を落として両腕を掲げた独特のポーズを取っていた。

 そのポーズは一般的に……ボクシング(・・・・・)のファイティングポーズであるはずだった。

「おいおい……こりゃ何の冗談だ?」

 ユリシーズは驚きを通り越して、半ば呆れたように呟いた。彼は普通の人間より遥かに夜目が利く。そんな彼の視線の先に……リッキーがいた(・・・・・・・)

 上半身裸のボクサーパンツ姿で、両手にはグローブを填めている。そしてその顔はまさに映画の中のリッキーそのもの(・・・・)であった。

 ただしその顔も身体も、填めているグローブも……全て黒い()で出来ていたが。

 ユリシーズはそこで確かこの階段の脇には、実際に『リッキーの像』が建っていた事を思い出した。それも観光名所になっていたはずだが、横目でチラッと階段脇を確認してみると……台座から『リッキーの像』が綺麗に無くなっていた。

「マジか……」

 信じがたい事だが、彼は今『リッキー・ステップ』上で『リッキーの像』と向き合っているらしい。思わず呟きが漏れるが、『リッキー』は全くこちらの心理状況に頓着する事無く距離を詰めてきた。


「……!!」

 物凄いスピードだ。ユリシーズは思わず目を剥いた。ビブロスなど比較にならないようなスピードにも勿論驚いたが、何よりも黒い銅像がまるで生物のような有機的かつ滑らかな動きで迫ってくる光景に驚いたのだ。

 『リッキー』は階段上という悪路をまるで苦にする事無く、腰を落とした低い姿勢でファイティングポーズを維持したまま踏み込んでくる。

「ち……!」

 ユリシーズが舌打ちして迎撃体勢を整えた時には『リッキー』は間近にまで迫っていた。グローブ……の形を模した銅の拳が唸りを上げて打ち込まれる。まともに食らったらKOどころか首がもげるだろう。

 ユリシーズは人間を遥かに超える動体視力で、その打ち下ろしの軌道を見切って避ける。そしてカウンターで逆にストレートを叩き込む。彼の拳が『リッキー』の胸板の辺りに直撃する。

「……っ!」

 拳に予想外の痛みと衝撃を覚え、ユリシーズは思わず怯んでしまう。何も鋼鉄という訳じゃない。銅像くらい彼の膂力と拳速なら一撃で砕く事も可能だったはず。しかし彼の拳を受けた『リッキー』はほぼ無傷であった。どうやら悪魔の魔力によって強化されているらしい。

(ち……面倒だな……!)

 ユリシーズは内心で舌打ちした。こんな所で時間を食ってる場合ではないというのに。


 『リッキー』が軽やかなフットワークで次々と拳を繰り出してくる。その動きはあの映画そのものな、ある意味で非現実的な人間離れした物だ。だがユリシーズの方も馬鹿正直にボクシングに付き合う気は無い。

 彼はパンチの連打を避けながら、今度はその脇腹目掛けてミドルキックを叩き込む。充分に体重を乗せた蹴りだ。今度こそ銅像を砕き割れると思ったが……

「何……!」

 銅像に蹴りが当たった瞬間、表面に半透明の防護膜のようなものが出現し彼の蹴りを弾いてしまったのだ。敵の防御力の正体が解ったが、その代償として蹴りが弾かれた反動で大きな隙を晒してしまう。

 当然『リッキー』はその隙を逃さず、腰を落とした姿勢から全力のストレートを撃ち込んできた。

「ぐ……!!」

 彼は咄嗟に両腕をクロスさせて『リッキー』のストレートをガードしたが、凄まじい威力と衝撃に吹き飛ばされて呻く。しかし何とかバランスを立て直して階段の上に着地する。

 『リッキー』は当たり前だが全く疲れもみせない様子で、機械的に追撃してくる。


「この……調子に乗りやがって!」

 ユリシーズは悪態を吐きながらも素早く、攻性魔術【黒炎球(ヴェルフレイム)】を発動させる。人間の頭ほどの大きさの魔界の炎を召喚する初歩的な攻性魔術だ。

 黒炎球は迫り来る『リッキー』に正面衝突し爆炎を発生させる。一瞬視界が遮られるが、その爆炎を割るようにして『リッキー』が突っ込んでくる。だがユリシーズはそれを予想していた。彼の全力蹴りを弾いた防御機能が黒炎球一発で破れるはずがない。

 『リッキー』と距離を取るように後方に飛び退りながら、更に黒炎球(ヴェルフレイム)を連発する。無数の黒炎球が軌跡を残しつつ弧を描くように『リッキー』に殺到する。初歩的な魔術とはいえこれだけの数、密度で連射されると悪魔にも痛打を与えうるユリシーズの得意技でもあった。プルフラスには通じなかったが、この『リッキー』は悪魔そのものではない。

 案の定凄まじい炎弾の連射を受けて『リッキー』の足が止まる。その銅の身体が衝撃に震える。

「おおおぉぉぉぉぉっ!!」

 ユリシーズはそのまま容赦なく炎の連弾を撃ち込み続ける。やがて『リッキー』の身体を覆う防護膜が連射の衝撃に耐え切れなくなったのか、派手な光と共に霧散した。

「ふっ!!」

 それを狙っていたユリシーズはその隙を逃さず肉薄。『リッキー』の胸板辺りに再度ストレートを叩き込んだ。最初の時は弾かれたが……


「……悪ぃな、チャンピオン。この試合、俺の勝ちだ」


 ユリシーズが拳を打ち当てた箇所を中心に、『リッキー』の銅の身体に亀裂が走っていく。そして次の瞬間、派手な破砕音と共に粉々に砕け散った!

 あの防護膜さえなければ、彼の膂力なら銅像を打ち砕く程度容易い事であった。


「ふぅ……予想外に手間取っちまったな。だが本番はここからだろうな。……待ってろよ、ビアンカ」

 厳しい視線で美術館を見上げたユリシーズは『リッキー』の破片を踏み越えて広い階段(リッキー・ステップ)を登ると、そのまま建物の中へと踏み込んでいった……
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