Episode3:ガールズトーク?

文字数 4,754文字

 『RH』の一角にあるトレーニングルーム。本来の用途としては、核シェルター生活でも気が滅入ったり運動不足にならないようにと設置されている施設だ。要人専用という事もあって設備は下手な会員制ジムよりも充実しているくらいだ。

 だが今現在そのトレーニングルームは、本来想定されていない用途で、想定されていない力を鍛える目的で使用されていた。

「ん……く……」

 聞きようによっては悩ましい蠱惑的な声を上げながら意識を集中させているのは、まだ十代の前半と思われる少女であった。少し癖のある金髪は背中まで伸びて、透き通るような白い肌に宝石のような青い瞳を持つ美しい少女であった。

 だが今はその美貌を歪めて、何か大きな力に集中しているように脂汗を流していた。彼女の前にはベンチプレス台が置かれ、その上には何も錘が付いていない空のバーベル棒が掛かっていた。

 しかし……そのバーベルに錘が独りでに(・・・・)宙に浮いて挿さろうとしている光景を見たら、何も知らない者であれば仰天したかも知れない。それも同じ重さの錘が左右同時(・・・・)にバーベルに自分から挿し込まれにいっているのだ。

 二つの錘はバーベル棒を挟み込むようにゆっくりと近付いていくが、上手く中心の穴が棒に挿さらずプルプルと震える。

「くぅ……」

 その美しい少女は顔を真っ赤にして、何かを堪えるように力んだ表情になる。脂汗の量が増える。二つの錘の震えもそれに比例して大きくなる。すると増々バーベル棒に嵌まりにくくなっていく。悪循環だ。少女の顔が歪む。


「――そこまで! ESPを解除していいよ、オリガ(・・・)


「……っ」

 それまで一言も口を挟まずに見守っていたアルマンが限界と判断して合図を出すと、その少女……オリガはぐったりと脱力してその場に尻餅をついてしまう。同時に震えながら宙に浮いていた二つの錘が下に落ちて大きな音を響かせる。

「オリガ、大丈夫!?」

 その訓練(・・)の様子を見学させてもらっていたビアンカは、頽れたオリガに慌てて駆け寄る。彼女は激しく息を切らしていたが、それ以外には問題なさそうだ。オリガは脂汗を流したまま頷いた。

「だ、大丈夫ヨ。ありがとう、ビアンカ。でも……全然上手く出来なイ……」

「それは仕方ないわよ。あなたは今までそんな練習をする機会さえなかったんだもの」

 ビアンカはかぶりを振った。人造超能力者として大統領府に保護されたオリガだが、イリヤがエージェントとして立派に役目を果たしているのを知って、ただの無駄飯喰らいでいる事に引け目を感じたらしい。

 といってもまだローティーンで英語も拙い外国人少女の出来る事など何もない。それでビアンカから相談を受けたアルマンが、今現在オリガが持っている唯一の才能(・・)を何かに活かせないかと考えて、こうして空いた時間で彼の監督の元ESPの訓練を行っているという状況であった。

「そういう事だね。イリヤ君の力を少し調べさせてもらって、ESPの威力自体は中々上げようがないと解っているから、それより君は超能力の細かな操作を習得すべきと思ってやっている訓練だけど、焦りは禁物だよ? 後イリヤ君と自分を比較するのも無しだ。いいね?」

 遅れてやってきたアルマンもビアンカに同意して補足する。確かにイリヤの才能は天賦のものだ。あれと比較したら自己嫌悪に陥るだけだろう。

 人造の超能力部隊『トリグラフ』の中にはイリヤに比肩するような恐るべきESPの遣い手もいるようだが、彼等はいずれも元からが選び抜かれた軍人であり、ロシアという国家がバックアップして専門の訓練を施してきたエリート達だ。やはりオリガが比較するような対象ではない。

「そうよ。私からしたらESPが使えるってだけで凄い事なんだし。焦らず自分に出来る事をやっていきましょう」

「先生……ビアンカ……。あ、ありがトう」

 励ましているうちに呼吸が整ってきたらしく、オリガはちょっと恥ずかしそうな顔になって俯いた。アルマンが手を叩いた。

「さあ、今日の訓練はここまでにしよう。後片付けは僕がやっておくからラウンジで一休みしてくるといい。ビアンカ、悪いけど付き添ってあげて」

「は、はい、勿論です」


 アルマンに促されて休憩用のラウンジスペースまでオリガを伴っていくビアンカ。要人用のラウンジだけあって高級そうな自販機やエスプレッソマシンなどが完備されている。またバーカウンターにも高そうなお酒のボトルが並んでいる。

 当然ながら今まで平時にこの施設を利用する人間が皆無であった為に、これらの設備も中身が補充される事無く眠っていたのだが、ビアンカがここに入居(・・)して以来徐々に住人(・・)も増えてきて、それに伴ってこのラウンジなどの施設も稼働するようになったのだ。

 しかし酒なども含めて飲食物が置かれている関係上、管理する人員(・・・・・・)も必要になってくる訳で……  


「あら、2人ともお疲れ様。訓練はもう終わったの?」


 バーカウンターの中でグラスを磨いていた女性が、入ってきたビアンカ達の姿を認めて声を掛けてくる。スラッとした長身の黒人女性……ルイーザであった。今は白と黒を基調にしたバーテンダーらしい服装になっている。パンツルックでスタイルのいいルイーザには非常に似合っている。

 アルマンの助手としての仕事も大分こなれてきたのもあり、彼女にこの『RHラウンジ』の管理人代わりのバーテンダーを兼任してもらう事になったのだ。本人も過去にバーで働いていた経験があるらしく、特に渋ったりする事もなくこの新しい役目を楽しんでいるようだった。

「ええ、ルイーザ。といっても私は見てただけだけど。悪いけどこの子に何かもらえる?」

「勿論よ。座って待ってて」

 ルイーザは頷いて冷蔵庫を開ける。その間にビアンカとオリガはゆったりしたソファ席を選んで身を預ける。柔らかく肌触りの良い感触に包まれてビアンカも一瞬目を閉じた。

(このソファの感触は病みつきになるわね)

 任務がない時はしょっちゅうここに来て、ソファに身を預けてスマホを弄るのが最近の日課になっていた。ましてやルイーザがバーテンダーになってからは、彼女と取り留めのないお喋りに興じる事も多い。


「ほら、冷たいレモネードよ。前にこれが美味しいって言ってたわよね?」

「あ、ありがト……ルイーザ」

 ルイーザが飲み物を持ってくると、オリガはちょっと顔を赤らめてもごもごしながらお礼を言った。

 元々は社交的な性格だったようだが、環境の変化(・・・・・)によってすっかり内向的な性質に変わってしまったらしいオリガ。ビアンカは勿論ルイーザも彼女の経歴(・・)については既に知っていたので、オドオドとした態度にも疑問を持つ事は無い。むしろ理解を示して優しく微笑むルイーザ。

「このくらいで良ければ遠慮しないでいつ来てくれてもいいのよ? 今は男達が軒並み不在だし、ガールズトークだけでも大歓迎よ」

 ルイーザは苦笑してビアンカにも同じ飲み物を出すと自分も同じ卓に座った。別に店員という訳ではないのでこの辺は自由だ。


「それで……オリガ自身はイリヤの事をどう思ってるの? 今は蟠りも無くなったんでしょう?」

「……! そ、それハ……」 

 身を乗り出すルイーザが好奇心丸出しで尋ねてくるとオリガは目を白黒させて動揺した。だが正直ビアンカも気にはなっていたのでルイーザに便乗してしまう。因みにイリヤは既に中間選挙に先駆けてビアンカとは別の任地に赴いている。

「た、大切な人だと思っテる、わ。それに、私よりずっと酷い目に遭って来たノに、あんなに強くて……尊敬もしてル」

「それだけ? 異性(・・)としてはどう思ってるのかって聞いてるんだけど?」

 苦し紛れに答えたオリガを容赦なく追い詰めるルイーザ。ビアンカの目から見てもオリガがイリヤの事を異性としても意識しているのは間違いなかったが、ルイーザは本人からはっきり言質を取りたいようだ。だが明言するのは恥ずかしいのかプライドの問題なのか、顔を赤くしたオリガは反撃(・・)を試みる。

「そ、ソういうルイーザだって、あのアダムという人ト良い仲じゃない。あの人の事を異性として好いテるんでしょう?」

「……!」

 その問いにルイーザではなく何故かビアンカの方が緊張して彼女の反応を窺うような感じになる。思わぬ反撃にしかしルイーザは大人の余裕か、フッと笑みを浮かべる。

「私? 勿論よ(・・・)。彼はとっても素敵な男性だもの。もっと『特別な関係』になりたいと願っているわ」

「……!!」

 ルイーザはオリガだけでなく、ビアンカの方にも目を向けてそう言い切った。彼女はシアトルの事件で出会った時からアダムに好意を抱いていたし、それ自体は特に驚く事ではない。だが既に『RH』に入って内部の人間関係も把握した上でそう宣言するのは、シアトルでの時とはまた意味合いが違ってくる。

 だがそこでルイーザは大きく嘆息した。

「私はそう思ってるけど、彼の方は……どうかしらね。嫌われていないのは確かなんだけど……ビアンカはどう思う?」

「え……ま、まあ、そうね。確かに彼に直接聞いた訳じゃないから明言は出来ないけど、確実に好意は感じてるんじゃないかしら?」

 突然水を向けられたビアンカは慌てて取り繕って答える。客観的に見たらとてもお似合いだと思える2人だ。少なくとも自分よりは。そう思ったのは事実であった。

 それにこういう話題になると必ず浮かぶのはユリシーズの顔であった。普段は鈍感なビアンカも流石に自覚(・・)し始めていた。……素直に認めるのはやや心理的抵抗があったが。


「あら、ありがとう。あなたにそう言って貰えると自信が付くわ。リキョウさんも最近いい人(・・・)が出来たみたいだし、私もアダムにもうちょっと積極的にアプローチしてみようかしら」

 リキョウの恋人(・・)の話は、ヴァージン諸島での任務から帰ってきて今までの間に何度か、ルイーザとの話の中で話題に上っていた。とはいえリキョウがはっきりと明言した訳ではなく、その姿を見た訳でもない。あくまでルイーザがリキョウの普段の様子の変化などからいるらしい(・・・・・)と判断しただけではあったが。

 だが確かにこれまでは顔を合わせると口説き文句を聞かされてきたが、ヴァージン諸島から戻って以来それがめっきり無くなったのは事実だ。

 因みにアダムもリキョウも、やはりそれぞれ既に別の任地へと飛んでいて不在であった。


 イリヤとオリガの事もそうだし、リキョウの『恋人』の事も、アダムとルイーザの事も……。自分の身の回りで徐々に変化(・・)が起きようとしている。何事も不変なものはないのだ。ビアンカもそれは実感し始めていた。

「でもあのサディークさんは今の所そういう話も聞かないし、完全にビアンカ一筋って感じよね? 今度の任務は彼と一緒なんでしょう? こんな状況だし……そろそろ彼の方から何かアプローチがあるんじゃないかしら?」

「ええ? や、やめてよ、ルイーザ。これから任務なんだし、それ以外の事に気を揉んでる余裕はないわ」

 一応それは本音ではあったが、反面彼等からアプローチされるとどうしてもユリシーズの事がチラついてしまう罪悪感から逃れる方便でもあった。サディークからの好意にはっきりと答えずに保留(・・)にしてしまっているという負い目もあった。

 イリヤもリキョウも恋人(・・)を得る事でビアンカとの関係が落ち着いたという側面もある。イリヤは自分がオリガを守らなければという意識からビアンカへの過度な依存が無くなったように見えたし、リキョウも何としてもビアンカを口説き落とそうというギラギラした雰囲気が無くなり柔らかくなった。

 サディークとの関係も、今の状況を打破する何か切っ掛け(・・・・)のような物が必要かも知れない。

(それが何かも解らないし、そんな都合よく何かが起きるとも思えないんだけどね)

 そう内心で嘆息するビアンカであった。
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