Episode9:自然を操るもの

文字数 3,200文字

 ビアンカ達は街を西に抜けて、彼女らがこの街に降り立ったテッド・スティーブンス・アンカレジ国際空港を通り過ぎて、キンケイドパークまで赴く。そこで駐車場に車を停めて、後は歩きだ。

「ファイアー島。そこがロシア人達の拠点になっているのね?」

「ああ、間違いない。奴等はそこにいる」

 アダムが自信を持って首肯する。イザベラの元を訪れたロシア人――セルゲイというらしい――にオーパーツのセンサーと、隠密を得意とする仙獣虹鱗をを張り付かせて追跡した結果、ファイアー島に拠点を築いている事、そしてその拠点の中にイザベラを含む議員たちの家族が人質として囚われているという事を突き止めてあった。そこに潜入、もしくは強襲(・・)して人質を解放できればビアンカ達の勝ちだ。

「人質がいる区画もすでに判明しています。後は如何に素早く侵入して、人質を盾に取られる前に彼等を確保できるかですね」

 リキョウの言う通り、一旦作戦を始めたら迅速に事を運ぶ必要があるだろう。

「生憎あのロシア人達が備えている超能力というものがどんな物で、どの程度の強さなのかも偵察では解りませんでした。訓練風景などが見られれば良かったのですがね。なので相手の力は未知数と言えます。無論思っていたより大したことがなかったという可能性もありますが、こういう場合は基本的に悪い方向に想定して備えておくべきでしょうね」

「そうだな。なのでもし奴等を相手取らねばならなくなったら、それは基本的に俺達が請け負う。ビアンカ、君は俺達が奴等を引き付けている間に人質の救出を担当してもらいたい」

「わ、解ったわ。任せて」

 ビアンカは緊張した面持ちで頷く。彼女も勿論アルマンから貰った装備で武装しているが、リキョウの言う通り相手の力の性質が解らない状態で、無闇に戦おうとするのは危険だ。避けられるものなら戦闘は極力避けた方が無難だろう。

「尤も……地上部分の施設にいる『管理員』達も奴等の仲間のようです。当然素直に私達を通すはずがありませんし、間違いなく排除(・・)せねばならないでしょう。そこである程度このロシア工作員達の戦力が掴めるかも知れませんが」

「他にもいくつか気になる点はあったが……まあ後は出たとこ勝負になるな」

 3人はそんな話をしながらキンケイドパークを抜けてクック湾に面した海岸に出た。湾内には目視できる距離にファイアー島が見える。あそこにロシア工作員達の拠点があり、人質たちが捕まっているのだ。


「さて、お前が言うので特に船などを借りる事も無くここまで来たが、勿論あの島へ渡る算段はあるんだろうな?」

 アダムが横目でリキョウを見る。ビアンカも釣られて彼に注目する。リキョウは2人の視線を受けて不敵な表情で頷いた。

「当然です。この遮るものが無い湾内で船を使って近付いたら、簡単に奴等に察知されるでしょう。隠れる手段はありません。恐らく奴等がこの島を拠点として使っているのも、そもそも島に近付いてくる者を監視しやすいからでしょう」

 ユリシーズがいれば『結界』の力で船を覆い尽くして近付く事が出来たかも知れないが、生憎彼は今ここにはいない。

「なのでここは海上ではなく海中(・・)から島に近付きます。流石に連中もただの仮拠点に海中の物体を捕捉するソナーまでは用意していないでしょうから」

「な……か、海中ですって? つまり海を潜っていくって事?」

 ビアンカがリキョウの正気を疑う。ファイアー島がいくら近いとは言っても、流石に海に潜ったまま近づけるような距離ではない。それにここには潜水道具もないし、まさかそのまま泳いで行けと言うのだろうか。間違いなく息が続かないし体力ももたない。

「本気で言っているのか? 俺はその気になれば数時間呼吸機能を止めていられるし、あのくらいの距離なら泳いででも渡れるがビアンカは流石に厳しいだろう。彼女はここに残していくという事か?」

 さらりと凄い能力を明かすアダムだが、リキョウはかぶりを振った。

「まさか。どこにカバールの悪魔達がうろついているか分からない土地で彼女を1人にする事はあり得ません。当然行くなら全員で行きます。私の仙獣……『冥蛇(めいだ)』の力を使ってね」

 アダムの疑問にそう答えたリキョウは右手を軽く前に掲げる。すると彼の腕が淡い光に包まれ、次の瞬間にはその腕から彼の身体に掛けて、一匹の巨大な()が巻き付いていた。

「……! まあ……とっても綺麗(・・)な蛇ね。これもあなたの仙獣なの?」

 青く透き通るような鱗を持つ大蛇は、爬虫類に抵抗のないビアンカにはとても美しく思えた。リキョウが彼にしては少し嬉しそうな微笑を浮かべる。

「おお、この美しさがお分かりになりますか。アトランタでは冥蛇は直接お見せする機会がありませんでしたね。麟諷や煉鶯と同じく、れっきとした戦闘用の仙獣ですよ。毒と水の力を操る事を得意としています」

 正確にはアトランタでもあのサタナキアに無理やり見せられた映像内で見た事はあったが、こうして直にその姿を見るのは初めてだった。


「それが仙獣とやらか……。一体どのような原理なのやら。しかし水の力だと? まさかそれで……?」

 アダムは逆に少し気味悪げに冥蛇を見ていた。ただしそれは蛇が嫌いとかではなく、仙獣という存在そのものに対する気味悪さのようだ。しかしそれでも彼の明晰な頭脳は冥蛇の力を聞いた時点で、何となくその用途の当たりを付けていた。リキョウは首肯した。

「お察しの通りです。冥蛇は作り出した水を操るのが得意ですが、自然の水にも影響を及ぼせます。少なくとも私達3人分くらいなら海水の侵害(・・・・・)から覆い尽くす事ができます。まあ百聞は一見に如かずです。早速やってみましょうか」



 リキョウに促されて3人で海岸に立つ。ここから先はクック湾の水があって歩いて進んでいく事は出来ない。

「冥蛇」

 リキョウが短く命令すると、青蛇は口を開いてシャーッという呼気を発する。すると驚くべき現象が目の前で展開された。

「おお……み、水が……」
「割れていく!?」

 彼等の見ている前でまるでモーゼの海割りを極小規模にしたような、海水が押しのけられたスペースが出現した。リキョウが前に進むとその『スペース』もそれだけ前に移動する。

「さあ、これで海底を歩いて(・・・・・・)あの島まで行きますよ」

「……!」

 常識外れの力にビアンカは驚くやら呆れるやらで忙しかった。なるほど、確かにいくらロシア人達が監視網を敷いていたとしても、この侵入方法は完全に想定外であろう。島に着くまではまず見つかる心配はしなくていい。

 だがそうなるとビアンカには別の事が気になった。

「だ、大丈夫なのよね? 海底を歩いてていきなり冥蛇の力が切れて……なんて事はないわよね?」

「おや? ビアンカ嬢に信用頂けないとは悲しいですね。この湾を横断しろというならともかく、ここから目視できるあの島程度の距離であれば全く問題ありません。私が貴女を意図的に危険に晒すはずがありませんのでどうかご安心下さい」

 そう言われれば確かにそうだろう。彼自身がそう請け負うなら彼を信用して任せるまでだ。一方元々長時間の素潜りも問題ないらしいアダムは、特に気負うでもなくその『スペース』に入った。

「ふん、まあ服が濡れずに済むならそれに越した事はないしな」

「う、うぅ……どうか無事に渡れますように」

 ビアンカも覚悟を決めて『スペース』に入る。そのままの姿で海底を歩くなどという不可思議体験をするのは当然生まれて初めてなので、どうしても不安は完全には消えない。リキョウはそんな彼女の様子を見て苦笑した。

「まあ無理もありませんが、すぐにそんな不安は忘れて初めて見る景色に目を奪われる事になりますよ。さあ、それではアラスカ海底散策ツアーの始まりです!」

 やや芝居がかった口調で宣言するリキョウ。そしてビアンカに歩調を合わせてくれる彼と一緒に、彼女は海の底へと歩き出す(・・・・)のであった。
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