Episode11:変貌

文字数 4,130文字

「ふん、随分あやふやな情報に賭けて待ち構えてたもんだ。俺達が来なかったら骨折り損のくたびれ儲けだったな」

「だが実際こうして君達は来た。賭けは私の勝ちだな」

 ユリシーズが皮肉を飛ばすが、パーセルは肩を竦めて受け流した。

「さて、余り長々と話していると他の奴等がやって来てしまう。折角そのお嬢さんを直接捕える大手柄の機会だ。手っ取り早く邪魔者(・・・)は排除させてもらおうか」

「手っ取り早くってのは同感だな!」

 パーセルの言葉に獰猛な笑みを浮かべたユリシーズが、あの人間離れした速度で一気に距離を詰めて拳を撃ち出した。

「ほっ!」

「……!」

 だがパーセルは素早く後ろに跳び退ってその拳打を躱した。警察署でユリシーズと戦っていたビブロス達は今のパンチだけで倒せていた。それをあっさり躱すという事は、このパーセル刑事は……


「ほぅ? ちょっとは歯応えがありそうだな」

「くく、私をあんなビブロス共と同じだと思うなよ? 貴様が何者かは知らんが私と直接相対した不運を恨め」

 パーセルが不敵に嗤うと、次の瞬間にはその身体が一気に肥大(・・)した。服が破け、その下から異様に隆起した筋肉が露出する。腕が異常に長くなり、牙が伸びて髪が抜け落ち、そして両目が中央に寄っていき一つ(・・)になっていく。

「な……あ……」

 ビアンカは恐れ戦いたように呆然と何歩か後ずさる。数瞬の後に、そこには体長が優に3メートルを超えるであろう、異常に長い腕を持った単眼(・・)の巨人が佇んでいた。


『グ……グ、グ……殺ス……。邪魔者ハ、一人残ラズ……捻リ潰シテヤル』

 下顎から牙の突き出た口から、まるで蒸気のような息を吐き出す『パーセル』。外見だけではない。その強さもビブロスとは桁違いである事がビアンカにさえ解った。

 コレ(・・)は人間にどうこう出来る存在ではない。それが本能的な部分で感じ取れた。だが……


「ふん、なるほど、ヴァンゲルフか。確かにビブロスよりはマシ(・・)だが……正直拍子抜け(・・・・)感は否めないな」


『……何ダト?』

 何とユリシーズは『パーセル』――ヴァンゲルフの巨体を見ても怖れるどころか、逆につまらなそうに鼻を鳴らしたのであった。それはビアンカにとって、この状況においては不本意ながら非常に頼もしく映った。

「だが流石に瞬殺とは行かんだろうから、お前はちょっと下がってろ」

 そう言ってビアンカを安全な距離まで下がらせる。その態度を侮辱と受け取ったヴァンゲルフが怒りから大量の蒸気を吐き出した。

『貴様……ドウヤラ只ノ死ニタガリノ馬鹿ダッタヨウダナ』

「おい、どうでもいいが人前で興奮するんじゃない。息が臭いんだよ」

『……! 貴様ァ……フザケルナ!』

 ヴァンゲルフがその長い腕を薙ぎ払って先制攻撃を仕掛ける。だがユリシーズは全く慌てる事無く飛び退ってそれを躱した。即座に追撃するヴァンゲルフ。ユリシーズとヴァンゲルフの戦いが始まった。



 その圧力さえ伴うような激闘にビアンカは近付く事も出来ずに、離れて見守っているしかなかった。だがそこに近付いてくる者が……

「あいつも馬鹿な男だな。俺達に勝てる訳ないのにさ」

「ヴィクター、あなた……!」

 相変わらず彼女の腕時計を持ったままのヴィクターが、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていた。

「時計を返してよ! 何でこんな事を……!? 私に何の恨みがあるっていうのよ!?」

「恨みだって? 別にそんな物はないよ。ただ俺は……君が妬ましかった(・・・・・・)だけさ」

「……ね、妬ましい?」

「そうさ。美人で、強くて、スポーツも万能で……自分に出来ない事は何もないくらいに思ってただろ? そんな君が眩しかったのは事実だが、反面俺に無い物を全て持ってる君がどうしようもなく憎らしかったのさ。だから……彼等の誘いに乗って、君を罠に嵌めた(・・・・・)のさ」 

「え……?」

 ビアンカは何を言われたのか解らないという風にヴィクターを見つめた。

 罠に嵌めた。それは今、この状況の事だろうか。だがビアンカが髪留めや腕時計を回収しようと思い立ったのは自発的な物だし、そこにヴィクターの意思は介在していない。そもそも時計だって自分の意思で外してあの小物入れに入れてあったのだ。別にヴィクターに何か言われたりもしていない。

「待って……何を言ってるの? 罠? 一体何の事?」

「彼等が俺に接触してきたのはしばらく前の事なんだよ。俺は彼等が君を逮捕しやすい(・・・・・・)状況にする為の協力(・・)をしたのさ」

「きょ、協力……?」

 猛烈に嫌な予感が湧き上がるが、あえてそこから目を逸らしてオウム返しに尋ねる。ヴィクターの悪意の笑みが深くなる。

「まだ解らないのかい? あの日君をパーティーに拘束しておいて、その間に一旦パーティーを抜け出して君の部屋(・・・・)に行ったんだよ。君に頼まれて忘れ物を取りに来たと言ったら、エイミー(・・・・)は特に疑う事もなく部屋の鍵を開けてくれたよ。何せ俺は君の彼氏(・・)だったからねぇ」

「―――っ!!!」

 ビアンカはその大きな目を限界まで見開いた。

 エイミーは用心深い性格で、特に自分が1人の時は誰が来ても絶対に部屋のドアを開けなかった。その唯一の例外がビアンカであり、ヴィクターもまたビアンカ繋がりでエイミーとは顔見知りであり、それを利用されたのだ。

「あ、あなた……あなたが……?」


「そうだよ。エイミーを殺したのは俺だ。彼女の胸にナイフを突き立てる直前、君の名前を叫んで助けを求めてたよ。可哀想になぁ。そのころ当の君は、すぐ側で開かれてるパーティーで暢気に酔いつぶれてたって言うのに! ははは!」


「う、うぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 絶叫。判明するとは思っていなかった、まさかの直接の下手人が判明したのだ。無論彼にそれを教唆したのはカバールの連中なのだろうが、彼がそれを受け入れて悦んで実行したという事実は変わらない。


 瞬間的な激情に支配されたビアンカは、初めて他人に対して殺意を覚えた。そしてその激情のままに目の前の男を殺すつもりで拳打を繰り出した。

 豊かな才能とたゆまぬ努力によって磨かれた技術は、その気になれば殺人を可能とする武器となる。彼女はそれを自覚していた。だから普段は例え先日のような乱闘騒ぎであっても、彼女は無意識に加減して戦っていた。

 今は言ってみればそのリミッターを解除したような状態だ。素人であるヴィクターなど一溜まりも無く撃ち抜かれて即死してもおかしくない。……おかしくないはずだった。

「おっと」

「……ッ!!」

 何とヴィクターは彼女の全力の拳打を片手(・・)で止めたのだ。それも至極あっさりと。

「ん? 何だい? もう終わりかな?」

「く……!!」

 動揺したビアンカはそれを振り払うように、今度は側頭部目掛けて上段蹴りを一閃させる。やはり当たり所が悪ければ一撃で人を殺せる凶器がヴィクターのこめかみに迫るが……

「ふん!」

 先程よりは多少気合を入れてだが、やはり片腕で全力の上段蹴りが受け止められてしまう。信じられない思いに彼女は激しく動揺する。


「ビアンカ……解るだろ? 俺はもう以前までの俺じゃないんだよ。君がどれだけ頑張って修行しても辿り着けないだろう高みに一瞬で到達してしまった。もう君じゃ俺には敵わないんだよ」

「……っ」

 悦に入ったように見下した表情で告げるヴィクター。所詮一時のアクセサリーに過ぎないと思っていた男に見下されたビアンカは、猛烈な怒りから激昂して今度は全身で踏み込んで連撃を仕掛ける。

「うおおぉォォォォッ!!」

 勇ましい気合の咆哮と共に、目の前の男を殺す為に下段攻撃も混じえたあらゆる打撃技を撃ち込む。勿論その全てが全力の一撃だ。


「ははは、遅い、遅いなぁ」

 ……そしてその全てが空を叩くだけに終わった。ヴィクターの身のこなしは文字通り人間離れしていた。

「さて、それじゃ今度は俺の番だね?」

「……っ!」

 それに動揺する暇もあればこそ、今までビアンカの攻撃を躱すだけだったヴィクターが、初めて自分から動いた。ビアンカにはその動きさえ殆ど見えなかった。気が付いたら彼が目の前、至近距離にいた。

 焦ったビアンカが反射的に飛び退ろうとするが、その前にヴィクターが空いている手で彼女の腕を掴んだ。

「……!」

「酷いな。慌てて距離を取ろうとするなんて。ちょっと前まではキスだってしていた仲じゃないか」

 そしてヴィクターは嗤いながら彼女の腕を引っ張る。その膂力もやはり人間離れしており、彼女は全く抗えずに引き寄せられる。そこにヴィクターの膝蹴りが彼女の腹にめり込む。

「ぐぶっ!」

 大幅に手加減はされていたのだろう。それでも内臓が潰れるような衝撃にビアンカは立っていられず、呻きながらその場に両膝を落としてしまう。


「ぐ……く……うぅぅ……!」

 痛みに呻く彼女の目から涙が零れ落ちる。それは勿論苦痛によるものもあったが、それよりも悔し涙の割合の方が大きかった。

 自分のこれまでの日々を全て否定されたような心持であった。自分が培ってきた強さなど、降って沸いたような超常の力を手に入れた目の前の男にあっさりねじ伏せられる程度のものでしかなかったのか。

 その無情さ、理不尽さに彼女は涙しているのだった。

「おや? もう心が折れちゃったかな? 最高の気分だよ、ビアンカ。君をこんな風に見下ろせる日が来るなんてね」

 ヴィクターは嗤いながらビアンカを無理やり立ち上がらせる。身体的、精神的にダメージを受けている彼女はまともに抗う事も出来ずにされるがままだ。

 ヴィクターは彼女の両手を後ろに回して、どこからか取り出した紐のような物で手首を縛る。それはキツ過ぎずかつ緩過ぎない絶妙な加減で、まるで肌に張り付くような感触で彼女の手首に巻き付いて後ろ手に拘束する。

「その紐には俺が魔力(・・)を込めてあるから、君には絶対に外せないよ」

 ヴィクターの言葉通りビアンカがどれだけ力を込めてもがいても、細い紐なのに全く緩む気配さえなかった。


「さて、あっちもそろそろ…………な、何!?」

 ビアンカを屈服させて拘束し終えたヴィクターが、ユリシーズ達の方に注意を向ける。そしてすぐさま動揺にその目を見開いた。ビアンカも釣られるようにそちらに目を向けて……やはり驚きに目を瞠った。

 彼等の前で信じがたい光景が展開されていた……
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