Episode15:魔少年

文字数 6,134文字

 ヴェロニカはこの日も『リーヴァー』の調査と称して、イリヤを連れてショッピング街を歩いていた。道行く人々が皆注目したり振り返ったりするのが楽しくて仕方なかった。ただし注目されているのは自分ではない。

 彼女は傍らを歩く美少年に自らも視線を向ける。緩やかに巻いた輝くような金髪。まさに紅顔という言葉が似あうモチモチの肌。大きくつぶらな瞳と長い睫毛。神が完璧に造形したかのような美貌。

 ローティーン特有の無邪気さを持ちつつ、まるで触ったら壊れてしまいそうな儚さも併せ持つ不思議な雰囲気。芸能界にいてもなんら不思議はないような華やかなオーラを発散している。

「ねぇ、イリヤ? どう? 他になにか欲しいものはない?」

「う、ウン。僕はもう大丈夫ダよ。ありがトう、お姉ちゃん」

 ヴェロニカが聞くと、少しオドオドしたような態度で答えるイリヤ。こんな美貌を持っていたら環境によっては大層傲慢で我儘に育っていた可能性はあるが、イリヤは非常に奥ゆかしく余り自己主張もしない大人しい少年であった。

「な、なあ、先輩……。イリヤとお出かけもいいんだけどよ。肝心の『リーヴァー』捜索はどうなったんだよ? それにイリヤのお母さんに事も……」

 随伴しているジェシカが少し遠慮がちに問い掛けてくる。だがヴェロニカは解っているとばかりに頷いた。

「勿論それも考えてるわよ? この子は非常に目立つんだし、こうして街中を歩いているだけでも宣伝(・・)になって、お母さんの目に留まる確率は高くなるでしょう? それに『リーヴァー』の事だって勿論忘れてないわ。相手は人知を超えた化け物なんだから、とにかく外を歩いてフィールドワークで見つけるしかないわ。そうでしょ?」

「そ、そりゃまあ、そうだけどさ……」

 ヴェロニカが強引に同意を求めると、ジェシカは消極的な様子で頷く。しかしジェシカもなんだかんだ言ってイリヤの事が気になっており、こうして一緒に出掛ける事を否定はしていない。

「ローラさんには伝えて警察の方から調べてもらったりはしてるんだから、そっちは私達がこれ以上気を揉んでも仕方ないわ。私達は私達に出来る方法でイリヤの家族や『リーヴァー』を捜しましょう」

 ヴェロニカが畳み掛けるように説得すると、ジェシカも溜息を吐きながら同意した。

「はぁ……ま、確かにそうだよな。イリヤの親も早く見つけてやりたいし、それに私達が一緒に付いてりゃこの子も安心して外を歩けるしな」

 こんな美少年が1人でウロウロしていたらどんな犯罪に巻き込まれるか分かったものではない。その点ヴェロニカ達と一緒にいれば安全だ。そう理論武装(・・・・)したジェシカも、この『お出かけ』を楽しむ事に決めたようだ。


 2人はイリヤを連れてLAの繁華街を練り歩き、ウィンドウショッピングや食べ歩き、観光名所の見物などを楽しんだ。イリヤは人形のように大人しく、それでいて話しかければしっかり色好い反応は返してくれるので、ヴェロニカ達も独り善がりを心配する事無く楽しむことが出来た。

 しかしある意味では当然というか、イリヤの家族とも『リーヴァー』とも遭遇する事はなかった。ヴェロニカ達の動機(・・)が半ば建前上になってしまっているので、それも仕方のない事ではあった。だがそんな捜索(・・)の最中、別の思いがけない人物と出会った。


「あら、ヴェロニカ? ジェシカも……。こんな所で何をやってるの?」


「……! ナターシャさん?」

 それは2人も良く知る、赤毛の新聞記者ナターシャであった。ローラの仲間の1人だが、ヴェロニカ達のような戦闘能力はなく、新聞記者ならではのアンテナの高さと情報収集能力でメンバーをサポートしてくれる、いわば裏方(・・)のような存在であった。

 今現在はローラに頼まれて大統領府のエージェントについての情報を調べてもらっていたはずだ。

「あ……え、えーと……調査です。『リーヴァー』の……」

「『リーヴァー』の調査……? こんな所で? いくら何でもこんな繁華街に堂々とは出ないでしょう?」

 ヴェロニカが視線を泳がせて誤魔化そうとする。『リーヴァー』の事など半ば忘れていた後ろめたさがあってバツが悪い。だがナターシャは正論で疑問を呈する。

「あー……実は『リーヴァー』の事だけじゃなくて、この子(・・・)の事もあるんだ。親とはぐれちまったらしくて……」

 ジェシカがイリヤの事を持ち出してフォローする。そこでナターシャは初めてイリヤの存在に気付いたらしく目を丸くした。

「え……この子ロシア人(・・・・)に見えるけど、どういう関係?」

 同じ白人でもアメリカ人とロシア人は微妙に顔つきが違う。自身もロシア人であるナターシャは一目でそれに気付いたようだ。ヴェロニカが掻い摘んでイリヤの事を説明する。ナターシャは眉を顰めた。

「あなた達の前に現れた? 偶然? この時期に……?」

 何か考え込んでいる様子だったナターシャが、イリヤの向き直って屈みこむ。


『あー……イリヤ君? 私はナターシャ・イリエンコヴァ。君と同じロシア人よ。君の名前は?』

 ロシア語で話しかける。ロシアでは男女で苗字の語尾が異なる。外国にはない習慣のためアメリカではイリエンコフと名乗っているが、同じロシア人に対しては本来の姓で名乗る。

『あ……ぼ、僕はイリヤ・スミルノフです。お姉さんもロシア人なんですね。アメリカに来たのはいつなんですか? ロシア政府の人ですか?』

 母国語であるためか流暢に、そして積極的に喋る様子のイリヤを見て、ヴェロニカとジェシカが少し驚く。勿論何と言ってるのか彼女等には解らなかったが。  
 
『ロシア政府? いいえ、私はLAタイムズの新聞記者よ。私がアメリカに来たのはもう10年以上前の事よ』

『あ……そうなんですね。変な事聞いてごめんなさい』

 ナターシャがロシア政府の人間ではないと知って、露骨に安心したように息を吐くイリヤ。その様子を見たナターシャは目を眇めた。

『それで……イリヤ君。ヴェロニカ達が言ってるのは本当なの? お母さんの名前や特徴を教えてくれれば私の方でも調べてあげるわ。こう見えて捜し物は得意なの』

『あ……は、はい。ありがとうございます。お母さんの名前は……』

 イリヤから『母親』の情報を聞いたナターシャはメモを取りながら頷いた。特に不自然な点はないように思える。だが……

『そう、解ったわ。私に任せておきなさい。必ず君のお母さんを見つけてあげる』

 イリヤにそう告げてからヴェロニカとジェシカに向き直った。

「2人にちょっと大事な話があるの。ここじゃ少し人目が多いから、どこか目立たない場所に行きましょう」

「え、あ……は、はい。イリヤも一緒でいいですか?」

「ええ、勿論。むしろ一緒の方が良い(・・・・・・・)わ」

 戸惑ったように頷くヴェロニカに、ナターシャは意味深な態度で促す。彼女にそう促されればヴェロニカ達に断る理由もない。ジェシカとイリヤを含めた3人は、ナターシャの後について繫華街からは外れた、人気のない寂れた空き地のような場所まで来る。そこでナターシャが向き直った。


「さて、ここならいいでしょう。私がローラに頼まれて大統領府のエージェントについて調べてたのは知ってるわね?」 

「あ、ああ。何か解ったのか?」

 ジェシカもこの場でナターシャがこの話題を出す理由が分からず戸惑う。因みに『大統領府のエージェント』という単語を聞いた時、イリヤが僅かに反応したのをナターシャは見逃さなかった。

「ええ。クレアともまた連絡を取ったりして色々聞いたり調べたりしていたのよ。それで解った事は、この街に派遣されたエージェントの数は全部で6人(・・)。あの時セネムが会ったサディークという男もその1人らしいわ」

「……!!」


「他にもクレアが調べられる範囲で調べてくれた結果、それ以外の5人も大まかな人相だけは判明したわ。その中に1人……ロシア人の子供(・・・・・・・)がいるという事もね」


「「っ!!?」」

 ヴェロニカとジェシカがギョッと目を見開いてイリヤの方に視線を向けた。美少年はその天使のようなあどけない顔から一切の表情が消えていた。

「ま、まさか……?」

「おかしいと思わない? セネムから皆の事が知られた直後に、狙ったようにあなた達の前に現れた少年。それにいくら捜しても出てこない『母親』の存在。ロシア領事館に寄り付こうとしない態度……。間違いなくあなた達を油断させて懐に入り込み、誰が『特異点』なのかを探るのが目的のはずよ」

 ナターシャの断定。そう言われると俄かにそんな気がしてくる。状況証拠も揃っている。

「イ、イリヤ……?」



「……ああ、バレちゃったか。残念だナ。折角上手く行ってタのに……」



「ッ!!」

 ヴェロニカ達は再度目を瞠って息を呑んだ。そこに、全く見知らぬ少年(・・・・・・)がいた。それまでの愛くるしく気弱で大人しい美少年の姿は鳴りを潜め、冷たく……酷薄な雰囲気を漂わせた何か(・・)がそこにいた。

「本性を現したわね。2人とも、これは逆にチャンスよ。この子供を捕まえて他のエージェント達の詳細を聞き出すのよ。大統領府がどこまで掴んでいるかもね」

 ナターシャが敢えて人気のない場所でイリヤの正体を暴いたのはその為であった。ジェシカとヴェロニカが揃っているし、他の人間に見られる前に素早く事を運べるはずだ。彼女らもこの少年の変貌ぶりを見たからには目が覚めただろう。

 だが……ナターシャは根本的な思い違いをしていた。否、彼女は普通の人間であり、気付け(・・・)という方が無理な話だ。


 一方ジェシカとヴェロニカは大量の冷や汗を流していた。騙されていた事はショックだが、所詮短い付き合いなのでそこまで情はない。ナターシャの言う通り彼が本当に大統領府のエージェントであるなら、捕まえて情報を聞き出すのも吝かではない。だが……

 2人の目にはそこにいる少年が、何か得体の知れない魔物に見えていた。それも恐ろしく強力(・・)な魔物だ。

 2人は本能的に理解した。この怪物(・・)を倒すには『チーム・ローラ』の最低でも4~5人は必要だ。ましてや捕らえるとなったら恐らくフルメンバーが揃っていないと不可能だ。

 ヴェロニカはジェシカと目を合わせて頷き合った。ここで彼女達が取るべき行動は、この怪物から逃げ延びる(・・・・・)事だ。


「ふっ!!」

 問答無用。ヴェロニカはイリヤに向かって全力の『衝撃』を叩きつけた。その隙にジェシカはヴェロニカとナターシャの腰をそれぞれ片腕で抱えると、脇目も降らずに人通りのある方向に向かって全速力で駆け出した。

「っ!? ちょ、ちょっとジェシカ!?」

「黙ってろ! 舌噛むぞ!」

「……!」

 事態を呑み込めていないナターシャが驚くが、余裕のないジェシカは一喝して黙らせる。人狼たるジェシカの脚力は文字通り人間離れしており、人2人を抱えていながら普通の人間では絶対に追いつけない速度で駆ける。このままなら逃げ切れ――


「――酷いナ。いきなり攻撃すルなんて」

「……ッ!!?」

 目の前にあの少年が出現(・・)した。驚愕したジェシカは慌てて急制動をかける。

「苦手ダったテレポーテーション(・・・・・・・・・)も最近やっト使えるようになったんダ。凄いでシょ?」

「……っ」

 ジェシカは瞬間的に悟った。この怪物からは逃れられないと。ヴェロニカとナターシャを降ろす。既にヴェロニカも同じ心境のようだ。

「こうなったらやるしかねぇな」

「ええ、そうみたい。ナターシャさん、下がってて」

「……え、ええ」

 ナターシャも遅まきながらようやく事態を呑み込めたらしく、今更ながらに青ざめている。だがジェシカもヴェロニカも既に彼女の事を気にしている余裕はない。


「アハハ、止めとイた方がいいヨ。お姉サん達じゃ僕には絶対勝てナ――」

「――はぁっ!!」

 ヴェロニカが先制攻撃を仕掛ける。充分に力を溜めた『弾丸』を撃ち込む。金属扉すら貫通する凝縮された念動弾は、しかしイリヤに当たる直前に見えない何かによって弾かれて消えた。

 その隙にジェシカが突っ込む。なりふり構っている余裕はない。突進しながら彼女は変身(・・)した。

「Gurururuuuuuuuuu!!!」

 一瞬で体毛が伸び、服が弾け飛んで、鋭い牙や鉤爪が備わる。その口から人外の獣の咆哮が鳴り響く。そして小さな少年に向かって、手加減無しの全力の爪撃を叩きつける。当たれば人間など一瞬で惨殺死体に変わる凶撃だ。だが、

「狼……女? けど日本のアニメみたイに可愛い感じじゃナいね。ホラー映画みたいダ」

「……っ!?」

 その爪撃が途中で止まる。ジェシカの身体ごと見えない力によって縛り付けられたかのように、空中で静止してしまったのだ。

「Gu……Gaaaaaaa!!!」

 勿論ジェシカは全力でもがくが、見えない拘束は全く緩む気配がない。人狼と化した彼女が全力で暴れているのにだ。


「ジェシーッ!? く……!」

 ヴェロニカは連続で『弾丸』を放つ。だが全てイリヤを覆う不可視の障壁によって防がれてしまう。『大砲』ならもしかすると破れるかもしれないが、溜めが長いあの技を使うにはチーム戦でなければ不可能だ。

「お姉さんも超能力者なんダね。でも僕の方がずっと強イ。今度はこっチの番だね」

「……っ!」

 弱者を嘲笑う魔少年は片手でジェシカを拘束したまま、もう片方の手をこちらに向けてきた。ヴェロニカは慌てて自身も障壁を展開する。その直後、イリヤから不可視の衝撃波が放たれた。

「うぐぅ……!!」

(な、なんて威力……!)

 障壁を前面に集中させているにも関わらず、なお完全には防ぎきれない衝撃がヴェロニカの身体を揺さぶる。軽減していてこの威力とは信じられなかった。しかもジェシカの拘束にも力を割いている状態だ。いや、それだけではない。

「ヴェ、ヴェロニカ……」

「……! ナターシャさん!?」

 掠れたような声に振り向くと、ナターシャも念動力で拘束されていた。その手にはスマートフォンが握られている。通報、もしくはローラに直接助けを求めようとしたのかも知れない。それを見咎めたイリヤによって拘束されてしまったのだ。


「く、くそ、2人を離しなさい!!」

 ヴェロニカは狂ったように『弾丸』を連射した。それしか出来る事がない。『大砲』は1人では使えないし、『爆弾』は接近攻撃をしてくる相手でなければ意味がない。

 だが当然そんな破れかぶれの攻撃が通じる相手ではない。イリヤが再度衝撃波を放ってくると、ヴェロニカの障壁は脆くも砕け散った。

「きゃああぁぁっ!!」

 障壁で軽減したとはいえ、それでもなお凄まじい衝撃をまともに喰らった彼女は悲鳴を上げながら吹き飛んで地面に転がった。死んではいないが完全に気絶しているらしく倒れたまま動かない。


「Gu……uuu……!」

「あ、ああ……ヴェロニカ……! そんな……」

 しかしナターシャもジェシカも拘束されたまま動けない。やはり2人だけで勝てるような相手ではなかったのだ。

「ちょっと予定が変わっちゃったけド、まあいいヤ。プランB(・・・・)に変更だ。お姉さん達から直接(・・)、『呪いの元』が何なのか聞き出ス事にするよ。そしたらあいつラ(・・・・)なんかジャなくて僕が一番手柄だ。アハハハ!」

「……っ」

 青ざめて震えることしか出来ない無力な女達を捕らえたまま、少年は無邪気に、それ故にこそ残酷な哄笑を響かせるのだった……
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